ラバウルの出会い 3

文字数 2,040文字

 権藤の横の空戦は、エンジンを調節しながら腕力とG耐性にものを言わせる、いわば体力勝負の空戦であった。同じやり方で彼に勝てる者はなかなかいない。無論、技巧も抜群であるが。
 市も最初は彼に合わせて回っていたが、どうやらこのやり方では権藤に勝てないと分かった。おそらくG耐性が群を抜いているのだろう。
 そこで市は徹底的に空気に乗るように切り替えた。エネルギーを失う前にである。一方、どうやら権藤は空気に“乗れていない”ようだった。彼がすっと引き離されたのはそれである。
「‥‥‥飛曹長は空気に乗るって分かる?」
「はあ? 空気に乗るんですか?」
「うん、そういう瞬間はないかな。すっと機体が軽くなるような」
「‥‥‥」
 思ってもいないことを言われ、彼は考え込んだ。しかし意外にも、思い当たるふしがあった。彼もときどきふと軽く回れる瞬間があるにはあったのだ。それが空気に乗るということなのだろうか? しかし彼は意図的にそれを再現することができなかった。
「はあ‥‥‥そういえば‥‥‥」
 権藤は完全に理解せぬまま、あいまいにうなずいた。しかしこれまで彼は自分のやり方で後れを取ったことはない。もちろん敵に後ろを取られて撃たれたこともない。
「うん、多分それだと思うけれども、なかなか口頭で説明するのは難しいんだよ」
「はあ‥‥‥」
 それがあの、すっと引き離された秘密なのだろうか?
 権藤は納得できないまま言葉が継げなくなった。その後は射撃の話になり、市が二〇ミリの弾がもっと欲しいとぼやいた。
 結局二人はそれで分かれ、権藤は聞きたいことを聞きそびれた。

 しばらくして、彼は機体の整備を見に行った。
「よっ、ご苦労さん」
 ニヤニヤしながら徳永が近づいてくる。後ろでは若い者たちも頭を下げている。
「権ちゃん、三連敗じゃねえか、どうなってんだよ。俺も見物させてもらったが、しょっぱなからえらい高く上がったんで見えなかったぞ。そんなに強えのか、あの少尉?」
「うむ。確かに一戦目は完敗だった。罠にはまっちまってな」
 二戦目は互角に回り合って後半わざと負けに行ったようなものだ。
「おいおい、罠にはまったどころかお前、手加減されてたって皆に言われてんだぞ」
「何だと?」
 権藤は目を剥いた。
 しかし、冷静に考え直すとそうも思えた。一戦目はいきなり裏をかかれたが、二戦目、三戦目はただ回り合っただけで、裏をかき合う空戦ではなかった。それはもしかすると、向こうはこちらに付き合っただけで、しかも手加減しながら回っていたのかもしれない。
(俺としたことが‥‥‥)
「おい、何黙ってんだよ、喧嘩権藤が」
「‥‥‥あ、いや、ほんとに俺の三連敗で完敗かもしれんわ。少尉はここで一番強いかもな」
「へえ、本当か⁉」
 こんどは徳永が目を剥いた。
 権藤が抱いた第一印象は消し飛んでいた。正直いって舐めてかかる気持ちがあったのは否めない。実戦なら自分は死んでいただろう。
(いろいろ教わんねぇとな‥‥‥)
 彼はまた思った。

 一方、市は飛行長に呼ばれていた。二人は大陸で一緒に飛んだことがあり、彼は市を高く評価する数少ない士官の一人だった。
「記憶を失ったにしては、腕は鈍っていないようだな。あれは三連勝と見て良いのかな。権藤からいきなり三本取るとは大したものだ」
 彼は双眼鏡で見ていた。
「いえ、彼にも言ったのですが、もしかすると射線に入ったと思える場面が複数ありました。実戦では私が落とされていた可能性もあります」
「そうかな? 地上からはそうは見えなかったぞ‥‥‥大体それを言うなら権藤も同じだろう?」
「はあ、それはまあ‥‥‥。しかし、問題は米軍の弾道でして、二〇ミリは無理でも一二・七は当たったかもしれません。何しろ向こうは弾がたくさんありますからね」
「なるほど‥‥‥まあ、それは少し大げさに思えるが、考えてみれば陸攻も艦爆もいいように落とされているからな」
「はい」
「ところで君の腕を見込んで頼みがある。というよりも命令だが、明後日から分遣隊に行ってくれ。あそこが今苦境にあるのは知っているな。要するに助っ人だが、君の様な手練れが行かねばどうにもならんようだ」
「はあ、さようですか」
「知ってのとおり、ラバウル進出以来、われわれ基地航空部隊は激烈な航空消耗戦を戦っておる。しかもガダルカナル島に米軍が上がって以来、二正面になってしまった。それが如何に大変なことかも分かるな。前進基地はその片方の最前線にあたるわけだ。非常な重責だぞ」
「はあ‥‥‥」
「任務はすでに承知していると思うが、われわれより先にガダルカナル島に乗り込んでの制空だ。あの基地からなら片道二時間も掛からんから、空戦はゆうに一時間やれるだろう。存分に戦って分遣隊を立て直してくれ」
「承知しました。それで、行くのは私一名でしょうか?」
「いや、権藤飛曹長も一緒だ。奴も手練れだからな、明日は二人でよく訓練して呼吸を合わせてくれ。それから、零戦の都合がつき次第さらに補充を送る」
「了解しました」
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