前進基地 1

文字数 2,372文字

 さて、話は戻る。
 ラバウル東飛行場はまだ暗く、夜設の灯りが滑走路の端を示している。
 列線ではガダルカナル行きのために試運転が始められていたが、徳永たちが別途二人の機体に取りついている。これは彼の好意であろう。
「じゃあ出発しますね」
「ええ、ご健闘をお祈りします」
 市は彼らに礼をすると、気軽な様子で権藤に声を掛けた。
「じゃ、飛曹長行こうか」
「はい」
 二人は機上の人となり、整備員たちがクランクで慣性始動機を回す。
「コンタク!」
 バーっと発動機が始動すると、発進前の点検を行う。調子は上々である。市が合図し、二人は同時に発進した。二機は暗闇の中を難なく空中に上がり、地上では十名ほどの整備員が帽子を振っていた。

 前進基地までは二時間足らずの飛行だ。暗い海峡上を一飛びし、ブーゲンビル島のジャングルに差し掛かる。その頃に東の空が白んでくる。
 だがその日の天候は悪く、現地に着いてみると雨あがりである。早朝のジャングルにはところどころ(もや)が掛かり、海に向かって伸びる滑走路がポツンと寂しげに見える。
 二人は低空で旋回しながら地上をじっくりと観察した。滑走路は水浸しである。粗末な小屋と矢倉が見えるだけで、基地らしい構造物は何も見えない。
「大丈夫?」
 市は下を指さし、権藤に手信号で尋ねた。彼は大きくうなずいている。
(よし、じゃあ降りるか)
 市は滑走路になるべく緩い角度で降下し、尾輪を接地させてザーッと滑ると最後にガチャンと主車輪を落とした。滑走路の凹凸はひどかったが、なんとか逆立ちせずに済み、前にタキシングして権藤に場所を開けてやる。権藤も同じようにして着陸した。
 二人が降り立つと、わーっと整備員たちが群がり、さっそく機体をジャングルに引き込んだ。この基地に掩体壕は一つしかなく、分遣隊長の機体が入っているという。他はジャングルの下で枝を払って大きな天幕の中に機体を収め、雨を防ぐそうだ。整備員の苦労は並大抵なものではなかった。
 二人は出迎えた富田特務少尉たちに挨拶し、それから滑走路反対側の指揮所に向かった。

 分遣隊長は九ノ泉(くのいずみ)という変わった名の大尉だ。なんでも藤原貴族の末裔というが、誰も聞いたことがない姓である。その本人は長身でただれた眼をしている。それが笑顔を作って言った。
「おお、来たか、待っておったぞ。若い者が来るかと思っていたが、こんなベテランが二人も来るとは実に頼もしい。貴官らには第二小隊になってもらう。編成は固定だが、

、これからは君が第二小隊長を務めてくれ。頼むぞ」
「はい」
 えらく上機嫌の応対に権藤は警戒したが、隊長の目が笑っていないのを見て取った。
「今日は八時から出撃予定だ。行き先は当然ガダルカナル島だ。さっそくだが、貴官らにも出て貰う。エース二人の派遣ということで大変期待しておるぞ。すぐに準備に入ってくれ。集合は七時半だ。委細はそのときに説明する」
「了解しました」
 権藤は、(え?)と市を見たがもう遅かった。このまま整備に時間も掛けず、基地の様子も分からぬまま、あのぬかるみから離陸するのか?
(おいおい、勘弁してくれよ‥‥‥)
 その後は一通りの注意を受けた。指揮所を出ると、二人はいったんジャングル内の宿舎に向かう。人気のない場所で権藤は市を呼び止めた。

、この状況で出撃は厳しくありませんか?」
 暗に分遣隊長の無謀を訴える。
「うん、そう思う。しかし、このままだと出撃は中止じゃないかな。俺たちはともかく、他の者は飛べないでしょ? この状態では」
「はあ、そうなら良いですが‥‥‥」
 権藤はなるほどと思いつつも半信半疑だった。

――まもなく出撃は中止と示達された。
 ところが、驚いたことに午前中のうちに水が引いてきて、さらに作業隊がたくさん出て水掻きを使って排水した。どこにあんな大勢の宿舎があるのかといぶかったが、これには現地人もかなり混ざっていた。
 一方で、市たちは整備を手伝うことにし、引き込み線の奥の収容場所に向かった。二機は数メートル離れて別な天幕にあったが、どちらも整備員が数名取りついている。
「よろしく願います」
 市も富田に挨拶し、一緒になって作業したが、足回りはすでに点検され、発動機も問題ないようだった。気真面目な富田も、市の整備能力を知るとすぐに打ち解けてきた。
 そうこうするうちに、権藤の聞きたい“搭乗員は消耗品”の話になった。その方向に彼が誘導したともいえる。富田が若い者を遠ざけ、声を落とした。
「...分隊士(市のこと)、第二小隊長になられたとのことですが、くれぐれもお気をつけください。これまで戦死した六名は全て第二小隊なのです」
「は? ‥‥‥といいますと、これまでも第二小隊があったのですか?」
「はい。それで次々と戦死して、誰もいなくなりました」
 市たちは顔を見合わせる。
「へ? それはどういう事ですか」
 今度は権藤が尋ねた。富田は周囲を窺い一段と声を落とす。
「あの分遣隊長、気に入った搭乗員を第一小隊に集めて直卒するのです。今は飛ぶのをやめていますが。それで、それ以外の者を第二小隊にして、囮につかうのです。そして、その囮が全員戦死したということです」
 どうやら富田は分遣隊長によい感情を抱いていないようだ。
「そんなことで六人も搭乗員が死んだってことですか?」
 権藤が思わず大声を出した。彼はもともと声が大きいのである。ちなみにその“気に入った搭乗員”とやらの姿はまだ見ていない。
「まさにそうです。ですから、お二人ともとにかくお気をつけください。私は空戦のことは分かりませんのでそれ以上は言えませんが‥‥‥」
「そうでしたか。わざわざご注意くださり、ありがとうございます」
 市は丁寧に頭を下げた。
 整備を終えると、二人は若い者の案内で基地の内外を見て回り、大体の内容を把握した。
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