前進基地 2

文字数 2,244文字

 夕食の後、市と権藤は連れだって海岸に出た。
 滑走路の海側先端から百メートルほども歩くと、もう海になる。その一帯だけジャングルが伐採されているが、他は海岸線のそばまでジャングルが迫っている。正面少し右手に小さな船着き場があり、その左右に狭い砂浜が伸びていく。
 月は明るいが、沖合の泊地は黒々として何も見えない。船はいないのかもしれない。
 二人は一メートルほどの小さな段差の上に腰を下ろした。権藤はまた煙草に火をつけ、煙を吸い込んだ。ザーンと規則正しい波音がし、意外に心地良い風が背中に当たる。
「飛曹長どうしようか?」
「とおっしゃいますと?」
「大尉が囮作戦を命じてきたときのこと。‥‥‥おそらく俺たち二機を低高度で突っ込ませて、第一小隊が上から被るつもりなのだろう」
「そうですね‥‥‥」
「でも敵がそんな作戦に引っかかるはずはないと思う。電探(レーダー)を持っているのだから」
「はあ」
「とは言っても、こんな少数機では何をやっても無駄かもしれないけれど」
 ちなみに第一小隊も三機しかない。あとは分遣隊長の一機があるだけだ。
「はあ‥‥‥」
「まあ、それはともかく、そうなったらガダルカナル島の手前で適当に高度を取り直そう」
「それで行きますか。そりゃあその方がいいですよね。しかし大丈夫ですかね」
「お咎めがあったら、敵を発見したので高度を上げたで良いと思う」
 そもそも市は海兵出の士官をあまり信用していない。それは九ノ泉に限らないが、こういう思考や言動につながりがちである。そしてこれが軋轢や抜き差しならぬ対立の原因になるのだ。
「はあ」
「俺たちより視力のいい人間はそうそういないでしょ」
「なるほど」
 市はもちろん、権藤も視力二・〇を軽く超えている。
「一応確認するけど、もし後上方から被られたら、初動は左右に斜め宙返りからで良いかな? あとは訓練通り」
「了解しました」
「侵入は単縦陣であとは臨機応変に。ただしわれわれ二人は常に連携する。飛曹長が一番機になってくれてもいいけど‥‥‥そうしたら俺が合わせるよ」
「いえ、それは‥‥‥」
「ふむ‥‥‥そうか、了解。とにかく生き残ることを第一義としてほしい。そのための連携だから」
「はい」
「けれども‥‥‥なんと言ったらよいかな。‥‥‥飛曹長となら如何に不利な空戦でも勝てる気がする」
「はあ」
 その後もいろいろ機動について打ち合わせ、最後にまた市が念を押した。
「ともかく、俺たち二人は絶対に生き残る。それを肝に銘じてくれないか」
「はい。承知いたしました」
 だが、市があんまり真剣に言うので、権藤は少し妙な感じを抱いた。そもそも、それまで「生き残ることが第一義」などと強調する士官はいなかった。仮に思っていても、みな口には出さないか、出せないのである。あるいは、一部(全部?)の士官にとっては、そもそも“第一義”ではないのだろう。
(下手なところに下手な伝わり方をすると、さぞやまずいことになるだろうな)
 彼は気を回した。
 だがこれは市の空戦哲学であり、彼は涼子のもとに帰らねばならなかった。一方、権藤を待つ者はなく、その違いも“妙な感じ”につながったのかもしれない。

 翌早朝、分遣隊長が案の定の作戦を命令した。
「今日の作戦を説明するぞ。目的は...(中略)...よって、第二小隊は高度三千で先行し、敵を攪乱せよ。第一小隊は五千で後続し、戦果を拡大する...まあ、ざっくばらんに言えば、われわれは、本隊の戦爆連合が到着するまでの前座を務めるわけだ。第二小隊の二人もよいな」
「はい」
 一応、市が応えた。
 しかし第一小隊が二千メートルも上では、二人が襲われても支援に入れない。
(はて? これでは囮作戦にすらならないじゃないか‥‥‥)
「...何か質問はあるか?」
 二人は黙っている。
「言うまでもないが、三千という高度は牽制の効果を最大限に上げるためだ。零戦のもっとも動きやすい高度で、手練れの二人はグラマン(F4F)やP-39を相手に存分に腕を振ってくれれば良い。もちろん、敵機を低空に集めれば本隊にとって好都合だしな」
「ならば、むしろ全機が三千で行く方が有効ではないですか?」
 市は思わず言ってしまった。
 九ノ泉は「なんだと?」と言わんばかりに眉をひそめた。
 そもそも市は感情というもの自体がよく分からない。それは他人の感情をも理解できないことを意味する。これはさらに他人の気持や体面を分からずに発言することに繋がる。それが得てして上官を不快にさせ立腹させる。
 要するに市は忖度ができないのである。
 無論、九ノ泉はそんな事情を知るわけがなく、怒りを覚えた。
(予備少尉ふぜいが何を逆らうか!)というわけだが、表面上は抑制し、理屈で押した。
「いやいや、五機で行こうが、敵はその上で待ち構えておるだろう。故に少数機を敢えて分散させ、敵を攪乱するのだ。もちろん、牽制の目的を達するかどうかは、最も先行する貴官らの腕に掛かっているのだが。いずれにせよ我々は本隊が来るまでの繋ぎなのだ。それぞれの小隊は最大限有効に行動せよ。‥‥‥と、こういうことだ。よいかな? 予備少尉」
「はあ‥‥‥。ちなみに五機とおっしゃいましたが、分遣隊長は攻撃に参加されないということですか?」
「そうだ。本隊との連携があるからな、わしはここで指揮をとらねばならん。貴官らは苦しい戦いになるだろうが、手練れの搭乗員として派遣されただけの実力を示せ」
「了解しました」
 直ちに出撃である。五名は滑走路に出た。

(おお?)
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