権藤落つ 2

文字数 2,331文字

 権藤機の風防は数センチぐらいの穴がいくつも開き、ひびだらけだ。
 そういえば敵機の爆発が一瞬遅れて起こったように感じたが、その破片をまともに喰らったようだ。よく見ると、うつむいた権藤が頭を動かしている。飛行帽も飛行服も血だらけだが。
(おお、生きてる!)
 おそらく意識が朦朧としているのだ。市は真横のわずか上につけて左翼の先端で権藤機の右翼の先端を軽く叩いた。しかし権藤は気づかない。
「飛曹長!」
 市は風防を開けて大声で叫んだが聞えるはずもない。こうする間にも旋回降下の形で高度は下がっていく。そうこうするうちに、はるかかなたに新たな敵機が現れた。このまま飛行していれば確実にやられる。どうやら絶体絶命のピンチである。だが、ともかく権藤をなんとかしなくてはいけない。不時着か落下傘降下をするまで守りきらねばならないのだ。
「このまま墜落すれば、あの世行きだよ。飛曹長、早く起きてくれ!」
 市は権藤機の翼端を叩き続けるが状況は変わらない。どうしたら彼を守りきれるか‥‥‥?

 とうとう上空の敵機が二機ずつに分かれ、後上方から降ってきた。
 だが、その直前に市はグワっと左斜め宙返りに入っていた。ラダーを使って射線を外すと同時に、上昇やや背面の姿勢で敵機を撃ち上げた。その機は権藤を撃とうとしていたが、二〇ミリを一発喰らい、慌てて躱した。
 これらはグレゴリー中尉の小隊で、彼らも接近したときに権藤機の状態を見て取った。
(スネークを叩き落すチャンスだ!)
 そう悟った瞬間に、ロルの作戦は消し飛んでいた。射撃した二機はそのまま下に抜けたが、支援の二機が市を追尾し始めた。フォーメーションを崩し、格闘戦に入ってしまったのだ。
 市は背面姿勢で権藤の無事を確認するとインメルマンから下降に移り、左旋回を打った。と、二機が追尾してきている。だが、ぐーっと機体を持ち上げ、すっと急反転すると早くも一機の尻に喰いつけそうになった。七・七を命中させると、その機は慌てて急降下で逃げた。
 残る一機の旋回はかなり手ごわかった。だが、このとき市の視界に権藤機を攻撃する別の二機が映った。すでに距離はかなり離れている。市は旋回をやめ、追尾されるのを承知で権藤機を追った。その市を追うのはグレゴリーの二番機を務めるピットマン准尉で、手練れである。

 一方、権藤の後方に取りついたのは、ガトーの二番機だったリチャード少尉だ。それを同じく三番機だったギルバート中尉が支援する。二人は小隊が市たちに攻撃されたときに急降下で逃げたが、態勢を立て直して戻ってきたのだ。
 リチャードは叩き上げのベテランで、一番機をやられた復仇の念に燃えていた。出撃前に彼は初陣で緊張するガトー大尉に言ったのだ。
「後ろは俺が守りますから安心して飛んでください」
 しかし、無残にも大尉の体は銃弾に貫かれた。リチャードはコクピット内に飛び散る赤いものを見た。
(クソっ、スネークの外道どもが‥‥‥)
 しかし今は眼前でその片割れがのたうっている。千載一遇のチャンスである。
「冷静に、冷静に」
 彼は自分に言い聞かせながら、発射ボタンを断続的に押した。距離は約四百ヤード(一ヤードは約〇・九メートル)。緊張で手が滑るが、命中してぱらぱらと破片が飛ぶ。
「おお! やった!」
 最後に大きな断片がバリンと飛んだ。火災も起きた。止めを刺す前に彼は機体を傾けて後ろを見る。意外に素早い動きでもう一機のスネークが追いすがって来る。そのエンジン上部がチカチカ光っている(市が七・七を撃っている)。
 それがガン、ガン、ガン、と着弾した。

「クソッ、まずいな‥‥‥いったん外すか」
 彼は左に捻り降下に入った。
(こいつはおそらく墜落する。後ろのスネークは味方にまかせよう)
 退避しながら彼はそう思った。代ってギルバートが射撃の位置に付いた。しかし市は距離を詰めて七・七を連射している。これをしこたま喰らい、とてもではないがギルバートも離脱せざるを得なくなった。
 もう高度は二千メートルを切った。権藤の機体は左翼の先端部とエルロンが飛び、煙を吐きながら不随意的に左に旋回降下していく。そしてついにクルンと背面になり、権藤本人が投げ出された。朦朧としながら肩バンドを外し風防を開けていたのだ。
 と、ぱっと花が咲いたように落下傘が開く。そこは海の上だった。
 市は思わず叫んだ。
「よし! いいぞ、飛曹長! 幸運を祈る‥‥‥」
 その瞬間、ぐわっと斜め宙返り気味に上昇し、伝家の宝刀を抜いた。左捻り込みである。しつこく追尾し、市をまさに撃たんとしていたピットマンは、慌てて宙返りで追ったが見失った。彼は危険を感じ、降りぎわに素早く左旋回を打った。しかし後ろを見ると、スネークがぐーっと背中に接近してくる。
(やられる!)
 彼はぞっとした。冷汗がどっと出る。一か八か旋回をやめて失速すれすれの横転を打ち、飛行場の方角に逃げだした。だが、その後ろには市がぴったり付いている。慌てて周囲を見回すがスネークを攻撃できる味方機はいない。
「おいおい、なんてこった」
 もはや高度は千フィートほどしかなく、急降下などできない。ガンガンガンと市の射弾を浴びながら、彼は海面すれすれまで降下する。必死に横滑りさせるが、操縦棹が汗で滑る。
 しかしそのうちに命中弾が来なくなった。左にバンクして後方を見ると、去っていくスネークが見える。彼は安堵のあまり翼端で海面を叩きそうになったが、危うくこらえた。
「こちらピットマン、スネーク一機が超低空で

。最終位置はちょうどコリ岬の沖合(飛行場の東約十マイル)。奴はおそらく南西方向に離脱します」
「了解。引き続き追尾してくれ!」
 落ち着いた様子でスミスが応えた。
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