勝男、見参! 2

文字数 2,267文字

 何の脈絡もないが、落下傘が市のように思えた。
(殺させてたまるか!)
 敵機がぐーと向こうに回り込む間に、兵たちも小銃を構えた。
 勝男は以前に市から対空射撃の極意を聞いたことがある。飛行機は一秒に百メートル以上進む。それを計算に入れて敵機の通過する場所に弾幕を張るのだ。そうすれば必ず命中する。
「敵機の百メートル前方に弾幕を張れ! 撃てえええ!」
 兵たちがバーンバーンと小銃を撃ち始めた。
「これを、喰らえ!」
 勝男は腕力にまかせて軽機を腰だめで撃った。タンタンタンタンと軽快な射撃音とともに、透明な弾道が空に向かっていく。そこに敵機が突っ込んだように見えた、いや、感じた。その間に落下傘は海に落ち、小さな水飛沫(みずしぶき)があがった。
 一方、敵機はぐるっと回るやこちらに突っ込んでくる。
 グワーっともの凄い爆音だ。機首は明らかに勝男に向いている。
 しかし、彼はすばやく弾倉を交換し、立ったままタンタンタンタンと撃ち続けた。そこにババババっと機銃掃射の弾道が迫る。兵たちは「わーっ」と蜘蛛の子を散らすように逃げた。勝男が砂に伏せたとき、敵機はブワーンと頭上を過ぎた後だった。しかし、あまりに軸線が合い過ぎており、弾道は彼の両脇をすれすれに通過していった。

「班長殿、早く!」
「お!」
 彼はようやく我に返り、ジャングルに逃げ込んだ。だが、弾がなくなったのか敵機はそのまま戻って来なかった。
 すぐさま泳ぎの達者な兵二名が沖に向かい、その搭乗員を引っ張ってきた。みんなで海岸に引き上げると、それは市ではなく大柄な海軍兵曹長だった。この階級は陸軍の准尉に相当する。男は息はあるが意識がない。上半身が血達磨で服も焼け焦げていた。
「海軍さん、しっかりしろ!」「おい、ここは味方だぞ!」
 口々に励ますが、意識は戻らない。
「本部に連れていけ!」
 勝男が命じた。
 すぐに兵たちが担架を準備し、本部に運んでいった。その搭乗員とはそれっきり二度と会わなかった。
 こうして権藤は命を助けられた。
 ベテラン搭乗員ということで、早くもその夜に増援で来た駆逐艦に乗せられ、帰っていった。しかし彼は両足を骨折しており、結局内地に後送されるのである。

 空では、市がジャングル上を南西に飛びながら、周囲の敵機を確認していた。かなり後方の低空に何機かいるが脅威ではない。上空は、はるか西方に敵編隊が二つ。ちなみに陸地では下から上の機体は見えても、上から下の機体は見えにくい。ジャングルに溶け込んだ市は、多分上空の敵編隊からは見えていないはずだ。
 権藤が爆発に巻き込まれたのは計算外だったが、脱出するのを確認した。気持ちの切り替えは済んでいる。
(あとは飛曹長の持つ運だ‥‥‥)
 そう割り切れた。

「さてと‥‥‥」
 選択肢は二つある。
(このまま超低空で離脱するか高度を取り直すか‥‥‥)
 彼は後者を選んだ。この場合、超低空の離脱が常道であり、敵もそう思っているだろう。その裏を掻き、全速で上昇を開始する。燃料はまだ半分以上残っていた。
 その市を追うピットマンは、米軍パイロットにしては遠目が利いた。彼は地形に沿って高度を上げながら追跡している。スネークの位置を逐一仲間に報告する。
「こちらピットマン。スネークは上昇しながら山脈を超えます。飛行場からの方位二二五度(南西)、高度は約一万に達しました」
「了解。われわれも高度を上げる。ピットたちも引き続き追尾してくれ」
「了解」
 スミスの小隊は二万、ミートの小隊は二万二千程度である。刻々と会敵の瞬間が迫っていた。

 一方の市は、またさっきと同じことをつぶやいている。
「さてと‥‥‥」
 とりあえず危地は脱したが、今日の空戦は何か物足りない。一応第一小隊の敵討ちは果たした形だが、権藤の敵討ちはまだである。このまま離脱するのはどうも気が咎める。しかし肝心の二〇ミリはすでに撃ち尽くしていた。七・七で確実に墜とすには操縦席を横から撃つしかないが、それは好まない。止むを得ずやるとしても、よほど鈍重な機体か不意打ちでもない限り難しい。
 彼は最初の攻撃が操縦士(ガトー大尉)に命中したとは思っていなかった。おまけに、右のエルロンに被弾しており、右バンクがややぎこちない。
 しかし考える前に急降下に入っていた。全速で東に向かい、左に回ると地形に沿って山越えをする。
 ガダルカナル島は全島のほとんどが丘陵地か山地で、東西方向のほぼ全長に渡って脊梁山脈が横たわる。その最高点は中央よりも南に偏している。彼がその山影に入ってしまえば、向う側の山裾にいる米軍機からは見えなくなる。かくて、ピットマンはわずかに注意を逸らした隙にスネークを見失った。それは後方を飛んでいる他の五機も同じだった。
「ああ!? 編隊長! 申し訳ありません。スネークを見失いました」
「なんだと? どういうことだ?」
「分かりません。距離が離れて空に溶け込んじまったようです。そのうちそっちに現れるんじゃないですか?」
「了解。君たちは奴がいるものとして、そのままのコースで追ってくれ」
「了解」
 日本機の塗装は、空に溶け込みやすく見えにくい。さっきまでは辛うじて見えていたのだが。単に距離が離れすぎたのか、自分らの眼が疲れたのか、それともまた裏を掻かれ‥‥‥?
「クソっ、スネークめどこに行きやがった?」
 ピットマンはマイクをどけて毒づいた。しかし十四対一の気安さから、第三の可能性は考えなかった。彼は一番機のグレゴリー中尉とペアを組みなおし、後方に三番機と四番機のペア、およびリチャード少尉のペアが続いた。
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