市の未帰還 2

文字数 2,242文字

 しかしである。その機動は僚機が追尾されたときに威力を発揮するものだ。いま市は追尾に入っていない。それどころか少し上昇すると、タイミングを合わせて横合いから片方に突っかけた。それはスミス機だった。
 ベテランのモローはスミスの危機を察知した。
「マック、伏せろ!」
 叫びながら無理やり機首をスネークに向けて乱射した。そのため市は途中で射撃を切り上げ、上に回避した。
 七・七で風防の上部に穴を開けられたが、マックはコクピットの中で“伏せて”無事だった。「伏せろ」は「機首を下げろ」の意味だったが、とりあえず彼は命拾いした。しかしモローは態勢を崩し、スミスと逆の方向に降下せざるを得なくなった。
 スミスは一瞬われを失い、フラフラと直線に飛んだ。これは市にとって絶好の獲物だったが、他のペアが上昇してきていた。市は旋回上昇し、さらに優位を取ると上昇してきたペアに襲い掛かった。しかし残念ながら七・七では命中しても威力が低い。パイロットやエンジンを撃ち抜かない限り、F4Fは平然と飛び続けた。

 この日は米軍機もしつこかった。叩かれると降下し、再び上昇して態勢を立て直す。このエスペランス岬沖合の空戦は長引いた。だが被弾して四機が引き返し、残った機体も結局燃料切れで、最後にスミスとモローが反転した。そのときには、北西の上空で本隊の戦爆連合と別な米軍機チーム(スナイパー大尉の中隊十二機)の空戦が始まっていた。
 長い長い空戦が終わり、市の任務は終わった。
 七・七はほぼ空で、燃料もそろそろである。上空の空戦を避けるために、彼は超低空に降りて最短(スロット上)の帰投コースを取った。
 ところが‥‥‥
 空戦はまだ終わっていなかった。

 辺りは雲が多くなっていた。
「ふう、さすがにきつかったな‥‥‥」
 市が機速を巡航に落として少したったときである。雲間から二機が降ってきた。リチャードとピットマンのベテランコンビだった。彼らは帰りがけにロルにねじ込み、スネーク狩りを続ける許可を得たのだ。
「ボス、スネークはあと一機です。このチャンスを逃す手はありません!」
「‥‥‥そうか、分かった。二人で残りの一機も叩き落せ!」
 という塩梅だ。
 それで基地に戻るや始動中のF4Fに乗り換え、全速でトンボ帰りしてきたのである。しかもスミスたち八機の攻撃には加わらず、じっと機会を窺っていた。今まさにその機会が来たのだ。

「よーし、じゃあ俺から行くぜ」
 まずはピットマンが浅めの角度で突っ込み、左から右に舐めるような射弾を送った。ところが、グーンと予想外に大きくスネークの機体が跳ね上がり、彼はバンクも引き起こしもできずにそのまま前に抜けた。
 すかさず市が七・七を発射。それが胴体後部にバスッバスッと命中する。
(クソ、こいつは悪魔か!)
 しかし間髪入れずにリチャードが突っ込む。彼も左から右に、しかも上下動をつけて射弾をばらまいた。市は左に急旋回。二人も上昇しながら大回りで一八〇度方向を変える。そのときには市はさらに急旋回して二機の方に向かい始めている。ピットマンはすれ違いざま無理矢理機首を曲げて射弾をばらまく。その流れ弾がバンっと市の主翼に命中する。しかし市の七・七もピットマンの主翼に命中する。
 似たようなパターンをもう一往復繰り返し、彼らが上昇反転で方向を変えたとき、市はすでに五百ヤード以上の距離に離れていた。北西に向き、しかも増速している。格闘しながら離脱のチャンスを窺っていたのだ。
「クソ、逃がすか!」
 二人は追いすがり、やや遠くから代わる代わる射弾を送った。かなりの時間全速で飛んだため、燃料が心細くなってきている。ここらで仕留めなくてはならないのだ。
 二人は焦った。
 しかし、たまに一発命中するものの、あまり効いている様子がない。
「クッソおお、喰らえええ!」
 最後にリチャードがやけになり、残弾全部をばらまいた。ところが、その二、三発が偶然にもエルロンの操作部(槓桿)を破壊し、しかも大きな破片を飛ばした。スネークの動きが急に鈍くなった。

 リチャードは興奮してわめいた。
「おお、やったぞおおクソが! おいピット、今だ! 止めを刺してくれ!」
「よーし、任せろ!」
 斜め上を飛んでいたピットマンがリチャードと入れ替わり、降下した勢いで十ヤードほど前に出た。
「おおー! くたばれ、スネーク!」
 彼は叫びながら機銃のボタンを押した。
 カチン。
(なんだ‥‥‥?)
 カチン。
 何事も起こらず、ピットマンは呆然とした。
「おい、どうした?」
「あああ、クソおお! ‥‥‥わりいな、リチャード。俺もなかったわ、弾が‥‥‥」
「なんだと? クソ、‥‥‥そうか‥‥‥おい、拳銃は持ってねえのか?」
「ねえよ、クソが」
 二人は下品なスラングを連発しながら、未練たらしく十秒ほど追尾を続けた。しかし残弾ゼロなら一刻も早く離脱せねばならない。距離もじわじわと開いていく。
「‥‥‥‥‥‥」
 すでに相当に深入りしており、彼らは急に不安になった。雲でよく見えないが、この先にはまだ日本軍の本隊がいるかもしれない。見つかればただでは済まないだろう。
「‥‥‥残念だが、帰投するしかねえな」
 リチャードが言い、ピットマンがまぜ返した。
「仕方ねえな‥‥‥だけど、俺は奴が落ちる方に一ドル賭けるぜ」
「ハッハッハ、俺もだ」
「アハハハ」
 思わず背中を叩き合いたい場面だが、二人ともワイルドキャット(F4F)の中だ。彼らはスネークに向けてバンクし、そこで反転した。
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