ブカ基地 1

文字数 2,013文字

 一方、こちらは東京から五千キロ南に離れたブカ基地である。
 晴れた空に零戦が三機、飛び立とうとしている。
 市は軽く手を上げ、待機線から滑走位置に移動した。ブレーキを離し、スロットルを上げるにつれて、景色がどんどん後ろに流れていく。列機二機が追う。
 遠くの女たちの祈りを知ってか知らずか、市たちは軽やかに空中に浮かび上がった。
 この基地は本隊のガダルカナル行き航空路から少し外れており、二号零戦の合流はかなりの難儀だ。もちろんたかだか三機のために正確な発進時刻や高度などは通知されない。一号零戦なら航続力に余裕があるから、少し前に上がって周回していればよい。だが二号零戦ではその燃料消費が大変に痛い。ならば基地の見張りが編隊を見てから上がればよいが、かなり距離がある。雲でもあればまったく見えなかったりする。
——だが、この日の合流はまあまあ上手くいった。三機は余分な燃料を使わないですみ、何よりの出足であった。
(今日は幸先がよいな)
 市はそう思いながらぐんぐん高度を上げ、戦爆連合の本隊に追い付いた。陸攻隊の五百メートルほど上方に二群の直掩隊が付き、市たちはそのさらに一千メートル上をカバーする。一応直掩ではあるが、制空的な要素もある配置だった。

 一般的に、空戦の勝敗を決する要因としては機数と位置取り(特に高度)が最も重要である。これに、そのときの速度、機体の性能(得意な高度、速度、上昇性能、降下性能、格闘性能など)や天候(特に雲)、操縦や射撃に関する個々の搭乗員の技倆、などの要素が絡まり、複雑な過程を経てその場その場の勝敗が決まる。
 ただ、基本的には機数の多い方(一対二以上の開きがある場合は圧倒的に)、あるいは相対的に高度の高い方が有利だ。従って、編隊を率いる指揮官は後者について意を砕き、接敵した際に有利であるような位置取りをする。
 この意味では、市たちはやり易い位置にいた。惜しむらくはたったの三機でしかないことだったが。
 ちなみに、この陸攻隊の直掩という任務もかなり困難な仕事である。正直なところ、優位な高度から高速で突っ込まれると防ぎようがないのだ。なので毎回毎回いくばくかの陸攻が墜とされていた。
 前進基地に多数の戦闘機があれば、以前に市たちが試みたように事前の制空戦を行えばよい。だが、今はできない。ならば、なるべく陸攻隊には高度を上げてほしいが、それはそれで問題がある。第一にそれでは爆弾が当たりづらい。第二に直掩戦闘機(特に一号零戦)も八千や九千ではあっぷあっぷである。高度を下げれば爆弾は当たり易くなるが、対空砲火も当たり易く、敵戦闘機の脅威も増す。まさにあっち立てればこっち立たずで簡単にはいかないのである。

 さて、スロットを南下するにつれて雲が多くなってきた。陸攻隊は雲をなるべく避けようと高度を下げ始めた。防御側に有利な非常に良くない状況だ。案の定、ラッセル諸島の辺りで市は二群の敵を発見した。
(これはまずいな‥‥‥)
 高度優位を取られている上に、数も敵の方が多い。
「前上方、左右に二群の敵編隊あり。F4Fと思われる。反航してくる」
 この出撃では、小隊長以上の機体は無線電話が調整されていた。しかし報告しても応答はなかった。
 たったの三機で両方の相手はできない。市は大きくバンクすると左前方の敵に向かって高度を上げ始めた。この場合、不利でも突っ込んでいくより他はない。ちなみに右の敵は味方に任せる。
 と、左の敵はさらに二手に分かれ、一群は市たちの右上方にかぶさり、一群は左に回り込みながら降下を始めた。向かって右が四機、左が八機だ。つまり左の八機が陸攻隊を攻撃するつもりだろう。市たちがそれを追えば、右の四機が後ろに回る態勢である。
 だが市は絶妙のタイミングで急反転し、八機の斜め後方につけた。目いっぱいの操作で回ったため、列機は遅れている。敵機は横隊に近い梯形で四機ずつ前後に分かれている。市は後ろの四機の手前、三番機と四番機に次々と七・七を放った。
 もはや操縦席を外す余裕はない。距離はあったがもろに命中する。
 二機とも風防が穴だらけになり、あっさりと降下・離脱していく。しかし残りの二機と前の四機はそのまま陸攻隊に殺到していった。降下速度はF4Fの方が速く、どんどん離れていく。
(ち‥‥‥)
 市は素早く宙返りを打ち、列機に取りつこうとしていた別の四機に背面で射撃を浴びせた。今度は二〇ミリである。それを喰らった一機の左翼がもげた。すれ違った後、F4Fはぱっと左右に、二機と一機に分かれて反転してくるが、市もすでに機を捻り降下から上昇に入る。そのときには列機もようやく反転して追尾に入ろうとする。
 ところがここで列機も左右に分かれてしまった。市は一対二になった方に上昇反転で接近し、支援に回った。そのF4Fの片方が無理に宙返りを打とうとして、鈍い動きになった。
「撃て!」
 市は思わず叫んだ。
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