『翔鶴』応援 2

文字数 2,178文字

 しかし基地航空部隊から派遣されたのは市だけである。特に指名があったわけでもなさそうであり、彼は自分の立場がよく分からなかった。
 翔鶴飛行機隊には『赤城』に乗っていた者もおり、(よりによってこの男か)という顔をする士官もいた。「先方も喜ぶぞ」はとんだ仲人口だったようだ。
 また、市は昭和十二年(一九三七)任官の予備士官である。それが、ずっと戦地にいたにも拘らずいまだに少尉なのは異常である(同期の予備少尉はどんなに遅くても昭和十六年中には中尉になっている)。
 当初「あの少尉は何かとんでもないことを仕出かしたんだろう」などと噂が出た。これはある意味事実だが、そのうちに“横須賀騒動”について聞き込んできた者が現れ、進級停止の話が次第に広まっていった。

 だが、察しのない市は、逆にこのような雰囲気に左右されないのが強みだ。
 彼はたゆまずに訓練を続けた。
 特に空戦訓練をすると雰囲気が変わってきた。
「少尉、相手をしてくれ」「次は俺も頼む」「お前には負けんぞ」
 などと鼻っ柱だけは強い海兵出の中尉クラスが市に挑んだ。しかし、てんで勝負にならなかった。それはいつものパターンである。彼らは勝つまでやろうとするが、やればやるほど機動を読まれ、ぼろ負けした。また忖度のできない市は手加減をしない。
 面白いのは、そんな市を応援する者が結構いたことだ。彼の周りには次第にベテランの准士官や下士官、特務士官などが話しに来るようになった。

 一方、ガダルカナル島をめぐっては、その間にも熾烈な補給競争が繰り広げられていた。大本営は、旅団による総攻撃が失敗すると、師団の投入を決めた。その輸送に海軍が全力で協力することになっていたのだ。それに伴っていくつかの海戦が起こった。
 そのクライマックスは、十月十三日に行われた戦艦『金剛』『榛名』による飛行場の艦砲射撃だろう。「飛行場は火の海」という有名な言葉があるが、陸軍は欣喜雀躍した。
 ところが驚くなかれ、半数近くの敵機が生き残っており、翌日の夜から行われた乾坤一擲の船団輸送に際し、わが軍は手痛い損害を被った。海軍は『金剛』『榛名』に続き、重巡による艦砲射撃やいつもの基地航空部隊による爆撃など、全力で飛行場を叩き続けた。しかし、敵の航空部隊はそれをかいくぐったのである。
 輸送船は敵機の攻撃で六隻のうち三隻が擱座・沈没した。軍需品は八割方揚陸できたものの、引き続きの爆撃と艦砲射撃で大部分が焼失した。その後、一部の艦艇輸送が行われたが、敵機動部隊が出現したことでピリオドが打たれた。
 とはいえ、必死の努力によって師団単位の兵力を揚陸できたことも事実である。かくてガダルカナル島奪還作戦は陸軍にバトンが渡された。
 そして、ちょうどその陸軍の総攻撃が行われた十月下旬に、日米の機動部隊が激突したのである。

 十月十一日、空母『翔鶴』『瑞鶴』『瑞鳳』を基幹とする機動部隊は、勇躍トラック基地を出撃した。それは、艦砲射撃に向かう『金剛』『榛名』が出撃した数時間後であった。飛行機隊は洋上で母艦に収容された。
 市にとって着艦は四カ月ぶりだが、陸上で定着訓練をおさらいしたので難なくこなせた。『翔鶴』の発着甲板は十分に広かった。
 ところで、母艦の飛行機隊はひとたび洋上の作戦に出ると上空警戒や索敵以外に飛行することはない。それが続くと腕が落ちると言われるが、市もそれは同意である。そのため、彼は積極的に上空警戒の直に入った。

 また意外かもしれないが、実は母艦の搭乗員は、陸上基地にでも派遣されない限り実戦経験はそれほど多くない。
 というのは、海戦に伴う空戦自体が少ないからだ。実際問題、開戦からミッドウェー海戦までの半年間で、『赤城』にいた市が敵機と交戦した回数は、ソロモンにおける半年間のそれよりはるかに少ない。母艦では大部分の飛行は、母艦上やあるいは陸上基地に移動しての訓練なのだ。
 その一方で、一たび海戦に臨むと恐るべき数の機体を喪失する。鈍足な艦爆や艦攻の被害が酷いが、戦闘機の被害もかなりのものだ。それは、毎回のガダルカナル島攻撃で出る零戦の被害よりも明らかに大きい。
 それらの理由は明確で、機動部隊の激突は決戦の要素が強いからだ。
 攻撃隊は、それこそレーダーで待ち伏せする敵の戦闘機隊や、艦隊の輪形陣が撃ち出す凄まじい量の対空砲火を乗り越えていかねばならない。また攻撃を終え、運よく生き残っても、はるか洋上の一点にすぎない母艦まで戻らねばならなった。さらには母艦そのものが沈む事態もあった。それらが相まって、おびただしい数の飛行機と搭乗員が失われるのだ。
 こうして飛行機隊が消耗してしまうと、搭乗員そのものが足りない海軍は、母艦飛行機隊の再建難に陥るのである。

「俺は死なないよ。死ぬのは誰か他の奴だ」
 彼らは一様にそう言い放つ。だが実際は「他の奴」ではなかった。仮に母艦は無傷でも、搭乗員だけ大量に戦死するような事態も起こった。
(この中でどれぐらいが生き残るのだろう)
 市はそんなことを考え、放歌高吟する搭乗員たちを見ながら密かにため息をついた。
 良く知られるように、母艦では、搭乗員はややもすると一種の治外法権のような立場でのさばっていた。だがそれは、著しい危険の代償なのかもしれなかった。

「濠少尉。行ける口と聞いておりますが」
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