再び最前線 2

文字数 2,268文字

 爆撃の終り頃に顔を出してみると、戦闘機が乱舞し機銃掃射をしている。とても離陸できる状況ではなかった。この基地は掩体設備は整っていたので零戦は裸ではなかったが、何波もの攻撃で多数が破損した。前述のように対空火器が乏しく、しかも燃料の備蓄があまりなかったため、十分な数の上空警戒機も出せなかった。つまり、敵が来てもにっちもさっちも行かなかったのだ。
 その上、ここは居住環境も劣悪だった。宿舎は天幕で、昼は蠅の大群、夜は蚊の大群に襲われ、寝床には毒虫などの有害な蟲が這いずり回った。
「うーん、これは勘弁してくれ‥‥‥」
 搭乗員は口々にぼやいた。市の経験でも、かつての前進基地よりさらに悪かった。
 しかしそれは我慢するとして、せっかく敵に近づいてもこちらから攻撃隊を出さなければ意味がない。その後も一方的な攻撃を受けて連日被害を出し、結局零戦隊は一週間もたたずにラバウルに撤退した。
 それは昭和十七年も押し詰まった頃であった。
 
 一方、ガダルカナルの勝男はどうなっていたか。
 アウステン山西方に布陣した勝男たちの中隊は、といっても二個小隊約六〇名だが、当初は最前線ではなかったため陣地構築と糧秣確保が最大の課題だった。しかし十一月中旬を過ぎると全体的にじりじりと押され始め、彼らの付近にも砲弾が落ちるようになった。
 重砲や迫(迫撃砲)で滅茶苦茶に叩き、それから歩兵が押しては引き、引いては押すのが米軍のやり方である。
 さらに米軍が迫って来ると、今度は砲弾が落ちなくなった。こちらの後方地域に射程が伸びているのだ。そんなことで後方にいた中隊長が戦死すると、先任の少尉である勝男たちの小隊長が中隊長代理として指揮をとるようになった。
 彼は中隊を三つに分け、前線勤務、後方勤務、糧秣運搬(補給廠から)とした。だが全員がマラリア患者なので発作の合間にしか活動できない。従って稼働できるのは平均して約半数だった。

 十一月末にアウステン山方面の日本軍は反転攻勢を掛けた。勝男たちも左翼の牽制隊として参加した。このときはマタニカウ川一本橋の上流一キロ付近まで進出した。
 慌てて逃げた敵の陣地跡を調べると、宝物が見つかった。
「おい、レーション(米軍の携帯食)だぞ!」
 誰かが叫んだ。
 そこに散らばっていたのは食い残しだが、貴重な戦利品だ。
「あたりを探してみろ」
 彼らは戦闘そっちのけでくまなく捜索した。全部で三包分(九食)ぐらいが見つかった。それ以前にも何度か斬り込みは実施したが、これほどの“戦果”はなかった。
 小隊長はその場で半分を全員に分配し、残りは持ち帰って残留者に分配することにした。
 レーションは缶詰とビスケットが主体で、デザートの甘味品やコーヒーまでが付いている。
 勝男もでんと坐り込み、小隊長と分け合った分を貪り食った。
「ふう‥‥‥しかし奴ら本当にいいもん食ってますね」
「ああ」
「それに比べて‥‥‥」
「軍曹、それは言わんでおけ‥‥‥」
 だが勝男は無性に腹立たしかった。
(俺たちは碌に食っておらんのに、敵は贅沢しやがって、クソ‥‥‥〔ちなみに米軍にとってレーションは携帯食でしかなく、基地ではもっと良い物を食べていた〕)

 その怒りはもちろん現在の状況にも向いている。彼の中で無敵皇軍の神話は完全に崩壊した。
 今や歩くことすら難儀なのだ。
 子供の頃、よく戦争ごっこのときに「腹が減っては戦ができん」などと訳知り顔で言ったものだが、こんな形で自分に降りかかるとは夢にも思わなかった。しかも状況は悪くなる一方で、補給改善の見込みはまるで立っていない。これが小隊長のいう「糧道が細い」結果なのであった。
 つまるところ、彼らはただただ敢闘精神のみで前線を維持していたが、小隊長の統率力がなければとっくに崩壊していただろう。
(戦って死ぬのはやむを得んが、食えないで死ぬのは納得がいかんよな‥‥‥)
 補給の成否は制空権に帰着するが、彼は空や海の戦いについては門外漢だ。とはいえ、彼らはいつも敵機に頭を抑えられており、友軍機の劣勢は誰の目にも明らかだった。だがそれが何故なのかは誰も分からない。
(市ちゃん、どこにいるんだ‥‥‥早く来てくれ)
 もはやこれは神頼みであった。

 さて、この攻勢のあとも山中の日本軍はたびたび斬り込み(小規模な夜間襲撃)を繰り返し、米軍の攻撃は十二月に入るとやや下火になった。だが、実のところこのような合間に敵は砲弾を集積しているのである。
 その砲撃が再び活発になったのは十二月中旬だった。しかし、この頃になっても勝男たちは稜線上の陣地で頑強に抵抗していた。陣の前面は斜面になっており、しかも大量の倒木や瓦礫、着弾痕などのために簡単には敵も前進できないのだ。
 勝男たちも岩や倒木を利用して掩体とし、銃眼を設けたトーチカを構築していた。その後方にも壕や掩体陣地が縦横に張り巡らされている。これで人員と弾薬と糧秣があればそう簡単には抜かれないが、そのどれもが足りていなかった。
 糧秣はますます欠乏し、彼らよりも東方に布陣している部隊は全滅の危機に瀕していた。
 そんなとき、マラリアの発作に耐えながら小隊長が言った。
「軍曹、いよいよとなったら下がるからな」
「はあ‥‥‥、そんなことができるでしょうか」
「ああ、左右の陣が抜かれたらここを引き払うぞ」
「はあ‥‥‥」
「それともここで全滅するか?」
「それは‥‥‥」
 全滅は嫌だが、そもそも命令もなしに下がれるのだろうか?
 彼には判断がつかないが、ともかく小隊長に従っている限り間違いはないと思われた。
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