糧秣回収 2

文字数 2,268文字

 中尉の合図で数名の兵が小隊長に向けて小銃を構えた。が、その筒先は揺れている。小隊長は落ち着き払った態度で目くばせする。勝男はすぐさま軽機を腰だめに構えた。後ろではこちらの兵たちも小銃を構える。
 ガチャッ、ガチャッと槓桿を引く不気味な音。
 かくて、あわや皇軍相撃の事態となり、双方が睨み合った。だが、それも長くは続かなかった。
「済まん、この通りだ。頼む」
 中尉ががっくりと膝をつき、拝む真似をした。
 と同時に相手の兵たちは坐り込んでしまった。
「‥‥‥分かりました」
 少尉は勝男の軽機を下ろさせ、後ろの兵たちも銃を下ろした。
「それでは私の担いだ分だけお分けします。それで今日明日は凌げるでしょう。あとは後方なりコリ岬まで輸送隊をお出しください」
「後方にはすでに出しておるが、ちっとも戻ってこんのだ」
「そうですか。しかしわれわれもこれ以上のことはできません」
「‥‥‥うむ。大いに感謝する。この通りだ‥‥‥銃を向けたことは許してくれ」
 中尉は深々と礼をした。兵隊はみんな土下座している。
「それはこちらも同じですから‥‥‥」
 かくて一応話が付き、この場は切り抜けられた。小隊は先を急いだ。この分では後方の補給状態もお寒いものと思われたからだ。

 かなり進んだところで、勝男はまた小隊長に並んで話し掛けた。
「小隊長殿。もしものとき、自分はあの中尉殿をとても撃てませんでした」
「そりゃそうだ。撃ったらいかん。わしは最初から分けてやるつもりだったよ」
「はあ? なんと‥‥‥、そうでしたか!」
 少尉はニヤリとした。
「おう。だがな、貴重な糧秣をすんなりと渡すわけにもいかんだろう」
「はい。まことにその通りです」
 それからはこのような事態を避けるため、舞鶴道を外れて歩いた。しかし道を外れると障害が多く歩度がガタ落ちになる。そんなことでやっと一本橋に達するころには前方で戦闘が始まっていた。
 こんなとき小隊長はあっさりと判断をくだす。
「退避!」
 手信号で小隊はUターンし、マタニカウ川に沿って上流側に退避した。
 頭の固い上官がいたら「貴様、敵に後ろを見せるのか!」などと喚いたろうが、とてもではないが彼らは戦闘に耐えなかった。糧秣優先で装具をほとんど携行していないのである。壕を掘る円匙すら持っていなかった。
 かくて、迂回によって道なき道を進み、自分たちもマラリア患者を出しながら、小隊はやっとの思いで大隊本部にたどり着いた。ときはすでに十月に入っていた。持ち帰った糧秣は大隊の一日分にもならなかったが、大歓迎されたことは確かである。

 しかし、この頃は後方でもすでに飢餓が始まっていた。給与は三分の一定量(通常の食事量の三分の一)に落ち込み、残りは自分で「何でもよいから食えるものを探す」のが建前である。そのような状況でマラリアに下痢性の疾患を併発すると、もはや回復はおぼつかなかった。そこに米軍駆逐艦隊から艦砲射撃が浴びせられた。上空には常に敵機が飛び交い、見つかれば爆撃や機銃掃射を受けた。
 早くも後方地域は地獄の様相を呈していた。
 この島で誰もが待ち望んだのは、糧秣と友軍機である。しかしそれらに出会うのは、よほどの幸運がないと無理だった。
 勝男たちの部隊は輜重隊に充てられ、彼も糧秣輸送に従事した。彼らのジャングル行はなかば焼け石に水だったが、二週間飢えずに済んだのは非常に大きかった。
(それも小隊長殿のおかげだ‥‥‥俺はツいている)
 彼は心の中で手を合わせた。

 それから間もなく、その小隊長から声を掛けられた。
「軍曹。うちの大隊からもアウステン山の増援に兵を出すそうだ。ここにいて艦砲射撃を喰らうよりは前線の方がマシかもしれんぞ。わしは志願するつもりだが、お前も行かんか」
 勝男は即答した。
「ぜひお供したいです。私も連れていってください」
 彼は大連の中学では末席を温める劣等生だったが、軍隊では優等生で上下から好かれている。性格が温和で体力は抜群、戦技も最右翼だからだ。しかも戦闘時の勘と動作が良く、周囲から頼りにされた。小隊長は彼のそんな資質を見抜いていた。
 一方、勝男から見ての小隊長は、何よりも情勢判断が的確で指揮能力も高く、心から信頼できた。
(この人に付いていけば、少なくとも無意味に死なされることはないだろう)
 彼はそう信じた。
 このときは結局、志願などは募られず、ほぼ必然的に小隊長以下例の小隊の大部分がアウステン山守備隊の増援に向かうことになった。いまや彼らは“大隊で最も元気な兵”だったのだ。
 その頃、海岸方面では米軍が大攻勢に出て激戦になっていた。敵は五個大隊を投入し、火力も兵力も劣る日本軍は後退を余儀なくされた。その結果、マタニカウ川の左岸(西岸)一帯までが敵手に落ち、一本橋の周辺も占拠された。日本軍はその南方に位置し、アウステン山の北麓に東西方向に陣地を維持した。
 つまり、米軍は海岸方面で東から西に陣地を延ばし、日本軍はその南の山地で西から東に陣地を延ばしていた。
 勝男たちは二個小隊約六〇名で一個中隊を編成し、アウステン山西方の陣地に向かった。そこで持久する手筈である。弾薬はそこそこあったが、糧秣は不足で彼らにも飢えが忍び寄っていた。

 師団単位の大迂回作戦が開始されたのは、ちょうどこの頃である。既述のようにそれが失敗に終わったのは約二週間後、十月下旬のことだった。そんなことでガダルカナル島の日本軍は容易ならざる状況に陥った。
 しかし日本軍に退却はない。
 勝男たちはすきっ腹をかかえながら壕を掘り、掩体を構築した。
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