『翔鶴』応援 6(南太平洋海戦)

文字数 2,008文字

 さらに近づくと、炎上する空母は涼子のようなすらっとした艦型だ。飛行甲板最前部に「シ」と書かれており、まぎれもなく市たちの『翔鶴』だった。
「‥‥‥‥‥‥」
 どうもこの艦はツいていない艦で、珊瑚海海戦以来の被弾である。
 彼も列機も二〇ミリは撃ち尽くしていたが、すぐさま下手人の敵機を追跡した。しかし敵機は全速で離脱中で、追い付くまで少し時間が掛かりそうだ。その間に再び母艦が攻撃される恐れがある。
 二人は追撃を途中で打ち切り、上昇して母艦の周辺を警戒した。だがそれ以降は敵機を認めなかった。そうこうするうちにぽっかりと戦闘が途切れ、着艦して補給するチャンスができる。被弾した『翔鶴』は着艦不能で、二人はやむを得ず『瑞鶴』を探し、着艦した。
 市は飛行甲板に降り立つと、整備員に機体を任せた。続いて降りてきた白井三飛曹を迎える。
「分隊士! 母艦が‥‥‥」
「うむ‥‥‥俺はまた黒星を付けてしまったよ」
「力及ばず、申し訳ありません」
「いや、君が悪いのではない。それよりもよく付いて来たな。次もその調子で頼むぞ」
「はい!」
 この搭乗員はスジが良く、うんと鍛えれば権藤のレベルに近づけたかもしれない。だがいまの海軍航空隊にはそれを行う時間も余裕もなかった。
「増山飛長(三番機)はどうなったか分かるか?」
「いいえ、雲で見えませんでした」
「そうか‥‥‥」
 市も同じだった。

 しばらくして彼は『瑞鶴』の飛行長に呼ばれた。
「濠少尉。ご苦労だが攻撃隊の直掩についてくれ」
「かしこまりました」
 それは第三次攻撃隊だったが、飛行甲板に出てみると驚くほど機数が少ない。用意された機体に乗り込む。
 列機は一機で瑞鶴飛行機隊の搭乗員だ。あまり知らない男だが、愛想よく挨拶してきた。空戦の注意を与える暇もなかったが、幸いにこの攻撃行で敵機との交戦はなかった。
 攻撃隊は敵空母を発見したが、それはすでに断末魔に陥った『ホーネット』である。市たちは艦爆隊や艦攻隊が攻撃する間上空を警戒し、終了後は全機無事に帰艦した。その後は敵の攻撃もなく、海戦は終わった。
 この海戦は南太平洋海戦と呼称された。

 海戦中は分からなかったが、撃墜された増山は落下傘降下し、駆逐艦に救助されていた。顔や腕に大火傷を負いながらも「濠少尉のところに連れていってください。一緒に飛ばなくてはいけないのです」と言い張っていたそうである。市は後でそれを聞き、とにかく自爆しなくて良かったとほっとした。

 一方で『瑞鳳』『翔鶴』の被弾は市をもどかしくする。
 当たり前だが、どんな名人でも敵機が見えなければ撃墜できない。爆撃を防ぐ方法はあったのか、なかったのか?
(二隻も被弾させちまって、防空隊は失格だな‥‥‥)
 どちらも沈まなかったのが唯一のなぐさめだが、母艦の戦闘は一瞬の隙で奈落に突き落とされる。市は、レーダーで敵機を探知し、無線電話で防空隊に的確な指示を出せる米軍がうらやましかった。
(実際には、このときの米軍の管制システムはまだそれほど洗練されていない。だが技術開発は市の想像を超えており、すでに敵味方識別装置が実用化されていた。それがいずれレーダースコープ上に反映されるようになるのである)

「結局、戦いは技術なんだよ、技術」
 かつて、エンジニアの伯父(市政・父の次兄)がよく言っていた。彼が今回のような戦闘のありようを予見していたとは思わないが、確かに慧眼であった。
 技術で遅れた日本軍が取れる唯一の方策は、防空隊の機数を増やし、監視の目を増やすことだが、それこそがまったくできない相談だった。せめてもの対策として、市は無線電話の改善と積極的利用を『翔鶴』の飛行長などに訴えたが、「それができればとっくにやっているよ」と言われてしまった。
 まったくその通りで、市も「はあ」とうなずくしかない‥‥‥

 また、“勝利”(海軍は米軍の空母を三隻撃沈したと考えていた)の陰に隠れていたが、この海戦でも恐るべき数の母艦機を喪失した。零戦は搭載機数の四分の一、艦爆と艦攻にいたっては半数以上が失われている。それらの搭乗員もほとんどが戦死した。
 艦内で市の話を真剣に聞いていた搭乗員も、何名かは還らなかった。「一人十殺」「粘り強く戦う」という市の信念をあざ笑うかのような結果だ。
 (科学)技術や物量で劣勢に立つ日本軍は、それを人材の力で補わねばならないが、肝腎な人材がどんどん失われていた。戦争の最先端部において、早くも末期的様相が現れ始めたのだ。

 ちなみに、それらの搭乗員を奪った米軍側は、「空母に随伴する戦艦や防空巡洋艦の対空砲火が有効だった」と述べているが、やはり戦闘機の管制システムも有効に機能したのだろう。とはいえ、『ホーネット』を失い、『エンタープライズ』も中破されたことから、結果的には防空に失敗したと考えていた。そのため、彼らは母艦に搭載する戦闘機の比率をさらに上げていくのである。
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