糧秣回収 1

文字数 2,249文字

 さて、ガダルカナル島の勝男に話を戻す。日時も一か月以上戻る。

 勝男たち右翼隊を構成する大隊は、九月中旬の総攻撃が失敗した後、はるか西方のマタニカウ河口付近に転進することになった。ところが勝男の所属する小隊だけが特殊な任務を与えられ、別行動をとった。彼らが東方の揚陸地点付近に残してきた糧秣を回収しに行ったのだ。これは小隊長の意見具申によるものだった。
 この小隊長は一兵卒から叩き上げの少尉で、大陸での従軍経験が豊富だった。そのときに糧秣の欠乏に苦しんだ経験が何度もあり、今回もそれを危惧したのである。右翼隊も(九月の)総攻撃が終わった頃には糧秣が枯渇しており、小隊長の進言はまことに当を得ていた。勝男が彼と一緒になったのは、イル河畔で壊滅した後の再編成によるが、以来ウマの合う上官だった。

 小隊、といっても二個分隊約二十名はかつて通ったジャングルを急行軍で逆行した。例によって軽機を担いだ勝男は、先頭を進む小隊長に並んで話し掛けた。
「小隊長殿、実は自分の父親(隆政のこと)も『補給のない戦はやってはいかん』と常々申しておりました」
「ほう、軍曹の父上はどちらで従軍されたのだ?」
「はい、日清、日露の話ですが、輜重の追及が遅く、前線では常にと言ってよいほど糧秣や弾薬が欠乏したそうです」
「なるほどな。それはわしも聞いている。わしの場合は敵中で孤立する状況が多かったがな。いずれにせよ糧道が確保されておらんことには話にならん。どうも今回の戦はそうなりそうな気がするのだ。いや、すでになっておるだろう」
 勝男はいま一つピンと来ない。
「はあ‥‥‥。確かにジャングルにおいては糧秣の輸送はなかなか困難ですね」
「うむ、それどころかこの島全体が補給難に陥る気がするのだ」
「は? とおっしゃいますと?」
「わしらも軍曹もここには駆逐艦で夜間に上陸しただろう?」
「はい、ですがそれは奇襲するためでは?」
「うむ‥‥‥そうも言える。だが本当の理由は違う。‥‥‥つまり、わしらは白昼堂々輸送船では上陸できんのだ。敵機の跳梁のためにな。その意味が分かるか?」
「はて‥‥‥」
「要するにこの島は‥‥‥、はなから糧道が細いのだ」
「はあ‥‥‥」
「このままだと、わしらは困ったことになる」
「‥‥‥」
「杞憂であってほしいがな‥‥‥」
(なるほど‥‥‥そうか!)
 勝男はやっと分かった。敵が上陸して以降は、確かにこの島に白昼堂々上陸した者はいない。それは糧秣も同じことで、白昼堂々の揚陸はできない。悪く言えば、夜間にこそこそ揚陸しているだけだ。
 彼はこの事実の重大さを、いま初めて気づかされた。
(確かに、小隊長殿のおっしゃる通り、糧道が細いな‥‥‥)
 とするなら、これから向かう糧秣の回収は、極めて重要な任務である。すでに島に来ている物資はかけがえのないものだ。彼は小隊長の慧眼にますます敬意を抱いた。

 小隊が海岸に近づくにつれて緊張が高まった。あるとき突然小隊長が前に飛んで伏せた。勝男も横に飛んで伏せた。後続もみな伏せる。その瞬間にダーンと銃声。小隊長は斥候を三名放ち、勝男は軽機を据えた。だが。
「おーい、友軍だ。撃たないでくれ」
 前方から声がする。
 そのまま伏せていると、ほどなくして斥候の三名が二名の日本兵を連れて戻って来た。なんとその二名は同じ大隊の人間で、海岸部に残留した人員の一部だった。海岸部には他にもかなりの数が残留していた。彼らは揚陸点を確保しているということで、合流を勧めても動こうとしなかった。
 海岸地域に出ると、勝男たちは徹底的に探し回った。米軍が見逃した分がかなり残っていた。
「随分ありますね」
「ああ、だが運ぶ手段がないな」
 自動車はもちろん、騾馬(らば)もいない。
 とはいえ、コリ岬の物資集積点でかなりの糧秣を回収した。それを各自が目いっぱいに背負い、再びジャングルに入った。勝男の弾薬手を務める本多上等兵は、今や勝男の当番兵の趣もあるが、彼だけが弾薬類を運んだ。その他は全員が糧秣のみである。
「食事は一日四合とする(定量の約三分の二)」
 小隊長は食事を制限し、道を急いだ。ルンガ河上流の大屈曲点を過ぎ、舞鶴道と呼ばれるジャングル道に入る。この道はアウステン山の北麓を西に進み、マタニカウ川河口から一キロほど上流に架かる一本橋と呼ばれる地点に出る。敗れた旅団の撤退路でもある。
 ところが、とあるジャングルの切れ目の地点で、他部隊の兵たちがわらわらと出て来て道をふさいだ。

「あの、少尉殿が隊長殿であられますか。実はお願いがあります。貴隊が運んでおられる米を少し分けていただけないでしょうか。われわれはこの付近を守備しておりますが、糧秣がなくなってもう五日になるのです。どうかお願いいたします」
 彼らは口々に訴える。しかし小隊長は言った。
「済まんがこの米は分けてやれない。われわれはこれを本隊まで運ばんといかんのだ。お前たちも自分で糧秣を運べばよいではないか。コリ岬にもまだ残っておるぞ」
 実はそれまでも落伍した傷病兵に頼まれれば一握りの米を分けていた。だがこのときは、相手がまとまった部隊だと見て断ったのである。
「いやしかし」などと押し問答をしていると隊長の中尉が出て来た。
「少尉、済まんがそういう事情なのだ。少しでよいから分けてくれ」
「申し訳ありません。他隊に分けてよいとの命令を受けておりませんので」
 それからも押し問答が続いたが、とうとう中尉は激高した。
「貴様! これほど頼んでも否と言うなら腕づくで貰い受けるぞ!」
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