撤収作戦 3

文字数 2,620文字

——それにしてもわずかな差だった。歩きながら彼は悔やんだ。悔やんでも悔やみきれなかった。
 知らせがあと少し早ければ小隊長は死なずに済んだかもしれない。後の祭りとはまさにこのことだ。
(小隊長殿は早い時期からこの島の前途を危ぶんでいた。その通りになった。しかし困難の中、自分たちは陣地で最後まで持ちこたえた。それは小隊長殿のおかげだ。だが最後の最後に彼はやられてしまった。いま思い出すと、あのときの自分は狼狽していた。どうも間違った行動をとったように思えてならない)
 彼を救う手立てはなかったのだろうか? 死なせてしまったのは自分のせいではないのか‥‥‥
 彼は先立たない後悔に苛まれた。
(小隊長どの、申し訳ありませんでした。一緒に帰れなくて無念です‥‥‥)
 他にも大勢の者が死んだ。特に最後の三名は悲惨だった。
 なので本多だけは絶対に助けたい。
「本多、どうやらこの島から撤退するらしいぞ。しっかりしろ。生きて島を出るんだ」
 そうやって励まし、必死に歩かせた‥‥‥

 二人が転がるようにしてエスペランスにたどり着いたときは、すでに二月に入っていた。ここで先行組の三人や同じ小隊員と再会した。食糧もまあまああった。
 乗船は揚陸と称されていたが、確かに撤退だと思われた。
 だが二人の乗船は後回しにされ、カミンボに移動を命じられた。

「な、なんだこれは!?」
 目的地に辿り着いてみると、前送しきれなかった糧秣がそこかしこに山積みになっている。
 これは海軍の潜水艦輸送による涙ぐましい努力の成果でもあったが、勝男はあまりの不条理にその場でへたり込んでしまった。
 彼も軍隊生活は長く、裏も表も知り尽くしているつもりだが、心は理解を拒んだ。
 しかし考えてみれば彼のいた陣地はここから五〇キロ離れた山の中である。しかも途中は道なきジャングルで、上空には常に敵機が目を光らせている。そこを必死の思いで兵たちが糧秣を運んだ。
(つまりわれわれはできることは精一杯やった。否、死力を尽くしたのだ)
——だが現実にはおびただしい数の人間が戦病死するか餓死した。つまりは何かが根本的に間違っていたということだ。
(いったい何がどう間違っていたのか?)
 それは考えて分かることではない。
 彼は目の前の現実や運命の変転について行けず、どうでも良い気分になってしまった。使役はあったが無視し、本多の看病に専念した。本多は高熱を発し、ほとんど意識がなくなっていた。

 一方、バラレ基地の市たちは、“増援作戦”の初日を迎えていた。
 早朝、駆逐艦二〇隻はまだ泊地で分散待機している。
 現地の陸海軍上層部や連合艦隊司令部は、すがる思いで成功を祈っていただろう。だが何も知らない搭乗員たちは、いつもの増援作戦のときとあまり変わらなかった。
 市は上空警戒の第一直をあてがわれていた。二機だが、列機はいつかの上垣上飛曹だ。彼とならかなり戦える。
 二人はまだ暗いうちに離陸し、低めの高度で空を透かすように警戒する。そのうちに東の空が白んできたが、その中に黒点を認めた。
「こちらスズメ一番」
「スズメ一番、どうぞ」
「敵編隊、ガダルカナル方面より当泊地に向かっている」
「了解。敵編隊の高度知らせ」
「中高度。おそらく四〇ないし五〇」
「了解。ただちに迎撃機を発進させる」
 地上は急に大忙しだ。
 市たちは増速し、緩上昇しながら敵の真下に突っ込んでいく。敵は二層になっており、上層はB-17で下層はおそらくP-38だ。機数が多く、駆逐艦が危ない。
「こちらスズメ一番。敵はB-17十機、下にほぼ同数のP-38を随伴する」
「了解」
 大変なことになった。しかし市たちもB-17の迎撃は間に合わない。あとは対空砲火に任せるしかないが、どうなるだろうか。

 それはともかく、市と上垣はやや下方から捻りを入れつつP-38の編隊を突き上げた。だがそれは命中せず、相手の乱射も外れた。しかしそのまま左回りの空戦になる。P-38は四機を残して先に行ったが、その前方にぽこん、ぽこん、と対空砲火の雲ができている。
 P-38は、ときどきガバァっという感じに方向を変えるが、そのことから内側の発動機を絞ることで小回りできるとの噂があった。
(いやあ、そんなことをすればバランスを崩して錐もみに入るでしょ?)
 市は否定的だ。
 “ガバァ”は空戦フラップの効果とも考えられるが、今のところ真相は不明である。だが、市から見ればそれも鈍重な動きだ。すぅっと上昇反転で内側に入り、軽く二〇ミリを一連射。主翼の内側連結部付近に命中して空中分解した。と、もう一機はまたガバァっと下降に入り遁走する。
 上垣はと見ると、例によってまた二機を市の前に連れて来る。とっさに切り替えて七・七で連射。それに気づいた片方がこちらに乱射しながら向かってくる。それを突っ込んで躱し、さっきの片割れに喰いつく。そのP-38は機体を捻るが、市に背中を曝す結果になった。二〇ミリ一連射でこれも空中分解。
(どうもP-38はF4Fよりも互いの連携が悪いな。向こうさんも陸海軍で大分違うようだな)
 上垣はさっき市がすれ違ったP-38を追っている。だがそいつは大きな宙返りを打ち、そのまま垂直に降下していった。
 市は上垣を呼び寄せ、基地の方角を指さす。彼は電話は聞こえないのである。

 はるか前方で何機かのB-17に多数の味方機が群がっていた。残りのP-38はどこかと見回すと、大胆にも基地を銃撃している。二人はそれを攻撃することにして螺旋降下した。
 その途中で大型艦が黒煙を噴き上げているのを見た。正直なところ敵の来襲は奇襲に近く、迎撃が間に合っていなかった。敵は黎明前に計器飛行で来たのだ。
「ううん、電探がないのがなあ‥‥‥」
 いつもの愚痴を言いながら市は目標を捉えていた。
 いい気になって地上を銃撃しているP-38に覆いかぶさるように迫る。そいつが慌てて回避する背中に二〇ミリ。その機はその場で爆発した。すぐに機を引き上げて周囲を見張る。上垣も一機撃墜し、それが地上に激突・爆発した。他の敵機は必死に離脱を図る。市たちは追撃し、遠巻きに七・七を連射した。弾道がP-38の背中に吸い込まれ、手ごたえはあったが逃げられた。友軍機もB-17を何機か撃墜したようだ。
 結局、二人で四機撃墜したが、やはり艦に被害が出ては防空隊の負けである。いつもながら、電探のない迎撃戦闘の難しさを感じるのであった。
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