終章:空と海 2(完結)

文字数 1,923文字

 勝男が応えた。
「そうだ。あんたたち、なんで陸軍の兵隊に勝手なことをする?」
「海軍には水葬という送り方があるのだ」
「こんな夜中に人知れず送るのかよ」
「‥‥‥こちらにもいろいろあるのだ。分かってくれ」
「分かるものか‥‥‥。こいつは俺の大事な戦友なんだ。ブーゲンビル島で俺が土に還すから任せてくれ」
「‥‥‥そうか‥‥‥分かった」
「え? タケルさん、いいんですか?」
 驚いた水兵が横から尋ねた。
「ああ、もちろんだ。戦友がいるんならその方がいい」
 タケルはそう言うと勝男の方を向いた。
「俺はあの島で陸軍がこんなになるまで戦ったことに敬意を持っている。気を悪くしたなら謝る。済まなかった‥‥‥あんたの気のすむようにしてくれ」
 彼は頭を下げた。
「‥‥‥ありがとう」
 海軍の四名は二人に敬礼して去っていった。

 勝男は本多の亡骸をさっきの場所に坐らせ、並んで坐った。艦尾の白い泡が闇を通して見える。
 二人はグアム島の頃からずっと一緒だった。
「本多、分かるか? とうとう餓島ともおさらばだ‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」
「ずいぶん苦労したよな」
「‥‥‥‥‥‥」
——それから少したつと、はるかかなたの空が白んできた。だんだんと闇が薄明に変る。だが、明るみの中に黒点があることに気づいた。それがいくつか。
(敵機か?)
 せっかく生きて島を出たのに、何たることだ。だいいち、海の上では隠れるところがないではないか!
 彼は背筋にぞっと冷たいものが走った‥‥‥

 その朝、市は“増援部隊”の復路・第一直の直掩に出た。列機は五機。
 この直は非常に難しい。
 日出前の暗いうちに離陸し、決まった時間で艦隊の予測位置まで飛ばねばならない。その位置は艦隊の航行計画から割り出すが、相手がガダルカナル島を出る時刻が変れば予定位置も変わる。しかも、少なくとも黎明時までは暗闇の中を計器飛行するのである。もし艦隊をやり過ごしてしまったら一大事だ。
 なので市は第二小隊を上垣にまかせ、少し間隔を空けて追従させることにした。また暗いうちにすれ違わないよう、時間を慎重に調整し、上垣と綿密に打ち合わせる。高度は三百程度に下げ、翼端灯をつけて飛ぶ。
 彼らは知らなかったが、幸い艦隊は予定時刻に現地を発ち、予定通りスロットを北上した。
 おかげで市は黎明の中で艦隊に行き合った。
 どうやらそれまで敵機の襲撃はなかったようだ。だが、東の空に触接機らしき黒点を発見した。市は艦隊の上空でバンクしながら旋回上昇した。敵とほぼ同高度になると東に突進した。それはSBDのようだったが、市たちに気づくと退避していった。
「敵さん、帰りの空船には興味がないのかな?」
 実際に米軍も空船と思ったようで、“増援部隊”の復路はあまり攻撃を受けなかった。
 そのうちには上垣の小隊も現れ、彼らは艦隊の上空や後方で大きく旋回しながら敵を見張った。ほぼ二時間、何事もなく経過すると次の直が現れた。選手交代である。帰り際、市たちはまた艦隊に追い付き、バンクしながら低空まで舞い降りた。すでに日は昇っており、日の丸もはっきり見えるだろう。

 勝男はその一部始終を見ていた。
「本多、良かったな。友軍機が敵をおっぱらってくれたぞ」
 その瞬間にひらめいた。
(市ちゃんが来てくれたんだ!)
 彼はすぐさま本多の腕を肩に回し、二人で立ち上がった。なんとなくまだぬくもりがある。
「聞いてくれ、本多! 前にも話したが、俺には市ちゃんていとこがいてな。海軍の将校になって戦闘機を飛ばしているんだ。ものすごく強いんだ。あの海軍さんはきっと市ちゃんだぞ!」
 彼は空を指差して本多に教えてやった。
 なぜかまた涙が出てきた。ぬぐってもぬぐっても止まらない。彼はその手で本多の腕を差し上げ、二人で手を振った。するとその機体が近寄って来て風防を開けた。飛行眼鏡で顔ははっきり分からないが、市だと確信した。
「おーい、市ちゃん! 勝男はここにいるぞ! 地獄のガダルカナル島から帰ってきたぞ! 護衛してくれてありがとう! またどこかで会おう!」
 二人は千切れるほど手を振った。

「おや?」
 真ん中あたりの(フネ)の艦尾で、肩を組んだ二人連れが手を振っている。
(戦友とは良いものだな‥‥‥)
 きっと便乗してきた傷病兵が互いにいたわり合っているのだろう。市はさらに降下すると風防を開け、下から見えるように機体を傾け敬礼した。陸兵は髭ぼうぼうだった。
「陸軍さん、大変な戦場でよく頑張ったね。ご苦労さま。また来るからね」
 市は風防を閉めるとぐーんと上昇し、バンクしながらその場をあとにした。

 眼下では、二列の駆逐艦隊が飛ぶように走っている。その長い長いウェーキが、いつまでも心に残った。




   ― 了 ―
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