九月の総攻撃 1

文字数 2,242文字

 一方、ガダルカナル島のジャングルでは。

——その“理想的空戦”の数日前からだが、勝男たちが悪戦苦闘していた。彼らは総攻撃の開始地点を目ざし、ジャングル内の難行軍をしているのである。
 スコールの雨だれを大量に浴びながら、薄暗い中で木々を伐採し、沼地を迂回し、起伏を乗り越え、倒木や障害物に邪魔されながら、道なき道を黙々と進む。その密林は言うまでもなく植物が支配する世界だ。鳥はギャーギャー鳴いて梢の上を飛び回るが、地上に動物はあまりいない。その代わり、(ひる)や毒虫のような有害な(むし)が大量に這いずり回り飛び回る。
 ときどきぱっと森が切れて陽光を浴びる。ひととき生き返った気分になるが、また暗い密林に入る。
 かくて勝男たちは期日に間に合わせるべくひたすら先を急いだ。
 だが、彼らには詳しい地図がない上に、磁石までが狂っていた。行軍の途中で分かったが、磁北がおよその北東だった。それでも昼はなんとか歩けるが、夜はまったくの闇でほとんど歩けない。結局丸一日で一里(約四キロ)がせいぜいである。ただ、この頃はまだ糧秣があり、兵たちは元気だった。

 勝男は湿地に嵌る足元に難渋しながら考えていた。
(あの火箭の中で突撃するのは無理だ。敵の陣地があのときと同じようなら、また全滅するのではないか? お偉方は分かっているのか?)
 彼はどうしてもこの考えに行きつく。もう何十ぺんも同じことを繰り返している。
 中川(イル川)河口の海岸で突撃したのがもう一年前ぐらいに思えるが、つい三週間前のことだった。あのときの生き残りは、分隊では彼と本多という上等兵だけだ。他は後から来た連中(第二梯団)で、誰もあの戦闘を経験していない。要するに敵を知らないのだ。敢闘精神だけで突撃しては絶対やられる。——しかしそのことを他の者には言えなかった。
(こっちの火力はこれしかないからな)
 彼は若い者にまかせず自ら軽機を背負っている。これで火点をつぶすのだ。砲が来ていない以上、それしか勝つ方法はない。陣地撤収のときに余分な軽機は返納させられ、この一挺だけが頼りだった。
「とにかく俺がなんとかせねばならん」
 この観念が勝男の頭を支配した。戦場で過度な責任感に囚われるのは危険だが、彼の運命は誰にも分からないのである。

 そして総攻撃の夜が来たが、右翼隊の彼らは暗闇のジャングルで右往左往しただけだった。
 森の切れたところに狭い草原があり、その向こうの茂みに敵の陣地があると思われた。だが、突入すると何もないただのジャングルだった。西の方で断続的に空が明るくなり、銃声や砲声が聞こえたが、戦闘の様子はまったく分からなかった。
 この夜は、約四個大隊の兵力が飛行場の裏手から夜襲する予定だった。左右に展開した各大隊が南から北に向かって突撃する手筈だ。だが実際は、その一部が敵の陣地に接触しただけだった。大部分の兵はジャングルで迷子になっていたのである。そのため総攻撃は次の夜に再興されることになった。
 夜が明けて以降、米軍の砲弾や迫撃砲弾を避けながら日本軍は態勢を整えた。勝男たちの大隊も北に進んで新たな草原に出くわし、その向こうに鉄条網陣地があることを確認した。

 夜、いよいよ総攻撃仕切り直しの時刻が迫ってきた。
 月は新月で暗く、ジャングルの前方に広がる草原は星明かりで(かす)かに照らされている。兵たちは無言で一人また一人とジャングルから這い出し、前方に展開した。
 定刻になると申し訳程度に友軍の砲撃があり、西の中央隊の方角で銃声や砲声が激しく起こった。そのあたりにシュー、シューと照明弾が上がり、こちらまでがぼんやりと明るくなる。
 だが右翼隊はやや出遅れていた。
 鉄条網の破壊作業をする工兵や、あたりに匍匐する多数の兵が影絵のようにぼーっと照らし出される。その途端、奥の方からバリバリバリ、ダダァーっと機関銃や自動小銃が撃ちだした。その量はもの凄く、弾道は低い。誰かに弾が当たると「ギャッ」と悲鳴があがる。兵たちは伏せたままなす術がない。だが‥‥‥。
 ドガーン!
 ついに工兵が鉄条網の一部を破壊筒で爆破した。そこに火箭が集中する。弾の一部が鉄条網にあたり、派手な火花を散らす。
 勝男はもともと右手にいたが、軽機を保持しながらさらに右に移動した。しかしそこは湿地帯だった。それ以上は行かれず、鉄条網はそれを避けるように北に湾曲していく。さっきから闇の中で二つの火点(重機)が火を吐いている。まだ勝男の存在はばれていない。
 彼は軽機を構えて立ち上がった。横合いからタンタンタンタンと火点を狙い撃つ。しかし火点は沈黙しない。彼に気づいた弾道がこちらに向かう。ダーっと小銃の射撃も集中する。火箭が彼のいた場所を舐める。だが、その前に彼は伏せて移動していた。
 敵の射撃が右手に集中した隙に、爆破点から兵たちが走り込む。また何名かが撃たれた。しかし何名かが手榴弾を投げる。ガーンと小さな爆発がいくつか起こり、ついに火点の片方が沈黙した。鉄条網は火点の前にもう一条あるが、その付近でさらに手榴弾が炸裂する。敵の火力が弱まると、手前の鉄条網はほぼ無力化された。もう一箇所が破壊され、兵たちはどんどんなだれ込む。勝男は至近距離から軽機を放つ。左の方でも誰かが撃っている。
 残りの火点が沈黙した瞬間、中隊長が号令を掛けた。
「突っ込めえええ!」
「おおおおおお!」
 かくして彼らは警戒陣地を一つ抜いたが、そこでいきなり側射を浴びた。何名かがまたバタバタと倒れた‥‥‥
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