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文字数 1,220文字

 雨音が聴覚を奪い、毒ガスが視野をゆっくりと狭めていく。

 焦点を失いつつある無音のなか、突然レギオンが歩みを止めた。いつの間にできたのだろう、その大きな背中に拳大ほどの穴が空いている。
 そのとき強い横風が吹き、運ばれてきた新鮮な空気が周囲を淀ませていた毒ガスを押し払った。文字通り息を吹き返し、がばりと起き上がった勇三のほうへ、レギオンがゆっくりと向き直る。

 そのでっぷりとした腹が内側から破裂していた。
 傷口から垂れた肉の残骸が放射状に広がる見た目は、奇怪な赤い大輪を思わせる。穴からは紐状の内臓がこぼれ出し、空洞となった胴体の上のほうには人の頭部ほどもありそうな心臓がぶら下がっていた。その心臓が大きく一度脈搏つと同時に、怪物の口吻から大量の血飛沫があがった。ほかの諸々の臓器ごと持っていかれたのだろう、心臓は下から半分が欠けていた。
 その最後の拍動を終え、レギオンが前のめりに倒れる。

 この一部始終を目に、勇三は奇妙な既視感を味わっていた。まるでこれは<アウターガイア>の小高い丘に作られた前線基地……ヤマモトたちの死地となったあの場所で最後に起きた出来事とそっくりだった。

 雨はいつの間にかあがっていた。校舎の向こうの空では雲の切れ間から空が顔を覗かせ、太陽の光が幾筋ものベールとなって地上を照らしている。

「勇三!」

 その光を背にするように、霧子がこちらへと駆けてきた。毒ガスを受けた影響だろう、その足取りからは普段の俊敏さがなりをひそめていた。

「無事か?」
「なんとかな……」傍らで立ち止まった霧子に片手を挙げて応じる。レギオンの口吻に貫かれてできた傷は早くも塞がりはじめていた。「おまえは?」
「まだちょっとふらつくけどな」霧子は言いながら、地面の上で横になるサエと友香を調べ始めた。「こっちのふたりは<特課>に処置を頼もう。すぐに応援が来るはずだ」

 勇三は這うようにして地面を進むと、クラスメイトのふたりの顔をあらためて見た。泥汚れや擦り傷こそあるものの、ふたりとも眠っているといって差し支えない表情をしていた。

「ふたりとも見たのかな?」
「レギオンをか?」

 霧子の問いに勇三は頷いた。

「どうだろうな……けど、なんとか穏便に済むよう高岡にかけあってみるよ」
「ああ、頼む」
「それにしても」霧子は立ち上がると、レギオンの死骸へと向き直った。「土手っ腹にこんな大穴空けるなんて、さすがだな。これ、素手でやったのか?」
 勇三は眉根を寄せると、「いや、おれはなにも……これ、おまえがやったんじゃないのか?」

 霧子が疑問符を浮かべたそのとき、運動場に面した裏門から数台の車両がグラウンドに乗り入れてきた。

(ああ、また騒がしくなりそうだな)黒塗りの車列を目に、勇三はため息をついた。

 はたして、先頭のヴァンから降り立ったのは高岡だった。彼は横付けされた他の車から次々と降りる揃いのスーツを着た局員たちに指示を飛ばしながら、こちらへと近づいてきた。
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