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文字数 2,374文字

 乾杯のあと、四人のあいだに流れる空気はほんの少しだけ和らいでいた。

 英語を満足に話せない勇三だったが、どうしても理解できないところはヤマモトに助けてもらいながらから、ドーズやヘザーと身振りを交えて会話もした。

「あのサングラス集団……」新しい話題の接ぎ穂で、勇三はそう切り出した。「なんだかおれたちと違って本物の軍隊みたいだな」
「<デッドマンズ・ウォ-ク(死者の行進)>か……」頷くヤマモトの表情はどこか浮かない。

 疑問を示す勇三をよそに、ヤマモトはドーズとヘザーに水を向けた。どうやら<デッドマンズ・ウォ-ク>について訊ねているらしい。ドーズとヘザーは首や手を振りながら、唸るような声で答えた。

「やつらは同じ量のクソよりも臭いとさ」ヤマモトは肩をすくめてみせた。
「悪いやつらなのか?」
 その質問にヤマモトは苦笑を浮べると、「なんとも言えん。そもそも善悪でいうと、おれたちの稼業は存在そのものが灰色だからな……ただあいつらは、そんなワルのなかでも指折りだ。<デッドマンズ・ウォ-ク>の構成人数は数百人。現存するなかで最大の<コープス>だ。連中はその人員と豊富な武装で文字通り死者の列を築いていくのさ。まあおれが知ってるのはそんな噂話程度だか……おまえらは一緒に仕事をしたんじゃなかったか?」

 最後の一言はドーズとヘザーに向けられたものだった。英語しか解さないふたりはお互いの顔を見合わせたあと、曖昧に頷いただけだった。
 ヤマモトが続ける。

「ふたりが聞いた話じゃ、戦闘にかこつけて色々やらかしてるらしいな。盗み、暴行、他<コープス>メンバーへの強姦やら……罠にはめて共闘関係にあった味方をレギオンのおとりにも使ったこともあるらしい」

 不安だけではなく、勇三は憤りからも表情を曇らせた。レギオンではなく、同じ人間に対して。

「まあ、連中の気持ちもわからんではないがな……」

 その言葉に勇三は思わずヤマモトを睨みつけた。

「勘違いするな」勇三の圧にも、ヤマモトは涼しげな態度を崩さなかった。「おれだって、そんなことしたいとも思わん。理由はどうあれ連中がやってることは犯罪だからな。おれが言いたいのはな、こんなところじゃ頭がおかしくなったり、倫理観が馬鹿になっちまっても無理ないって話だ」
「そんなこと……わかりたくねえよ」
「それはまだおまえさんが若いからさ。いいか、おれたちは傭兵なんだ。金のために戦えるからこそ正規の軍人みたいに誇りや愛国心に縛られずに済むが、反対に言えば自由なだけ欲望に支配されやすいってことだ。人間の裏側……闇みたいな部分っていうのは、金で割り切るにも大きすぎるんだよ」
「だったら、金なんか欲しくなくなればいいんじゃないか? 金に魅力を感じなくなったら?」
「じゃあどうしておまえはここにいる?」
「それは……」
「そもそも金なんて、人間が持つ欲望のなかじゃちっぽけな動機さ。そんなもんが無くてもスリルや好奇心、それに快楽でどうとでもなっちまう。それこそ<デッドマンズ・ウォ-ク>のやつらみたいにな。もちろん、連中を含めて傭兵の一部にもいっぱしの誇りやモットーを持つやつはいる」
「あんたはどうなんだ? あんたはその……どっち側にいる?」
「そうだな……」

 いつしかドーズとヘザーも勇三たちの会話に加わっていた。ヤマモトは考えこむように、接触不良で時折ちらつくランタンの光を見つめていた。

「さしあたって金はもういらない」ヤマモトは言った。「あとはそうだな……意義のあることをしたい。すっかり自分の居場所になっちまったここで。たとえばおれがくたばったあと『いいやつだった』と、誰かが言ってくれるような人生を送れれば、それで満足だ」

 勇三は身じろぎひとつしなかった。ドーズは飲みさしのビールを開けると、空になった缶をそっと床に置いた。
 ヘザーがゆっくりと顔をあげ、ヤマモトになにかを話した。

 ヤマモトは頷き、ヘザーとともに勇三に向きなおる。

「ヘザーからだ。『なにを話しているのか知らないが、あんまり思いつめるな』だとさ」
「おれが?」鼻であしらおうとしたがうまくいかない。「思いつめてる? そんなわけないだろ」

 言いながらも、勇三の胃はビール以外の原因で重くなった。ヘザーの見立てが図星をついていたからだ。
 多額の違約金、いつ死ぬかもわからない仕事、それに危険なメンバーの存在と押し潰されそうなほどの孤独感……十六歳の少年が思い悩み、迷い続けるには充分すぎるほどの材料が揃っていた。これで平気なら、それこそ頭がどうかしていると言えた。

「おれは……」

 呟いたものの、あとに続ける言葉を見つけられない。いや、不安をあらわせるような言葉ならいくらでも見つかった。
 勇三が黙ったままでいたのは、単なる虚栄心からではない。認めたら最後、抱え込んでいるこの重圧に自分が潰されてしまうと感じたからだ。
 そして同時に、この胸いっぱいの不安感が、いまの自分を内側から支えている原動力にもなっていることも理解していた。

「まあ理由や事情を無理に訊く気はないさ」重々しい沈黙を破ったのはヤマモトだった。「そもそもおれやヘザーの見立てどおり、おまえさんが悩みを抱えてるともかぎらんしな」
「そんなことは――」
「もう遅い。休もう」

 ヤマモトが勇三の言葉をそう遮ると、ランタンを囲んだささやかな酒宴は幕を閉じた。それから彼らは思い思いの場所で身を落ち着けた。

「そう心配するな」

 暗くなった部屋の中、ヤマモトの声が虚空に溶けていく。英語ではないその言葉は自分にかけてきたようにも、ヤマモト自身に向けられたようにも思えた。

 それきり、誰の声もしなかった。
 部屋の隅の壁にもたれながら、勇三はライフルを抱えて闇を見つめた。
 時計の針が夜に向かって着実に進んでいくなか、眠りはいっこうに訪れようとしなかった。
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