19

文字数 1,372文字

   Ⅴ


 午前十時四十分。

「では、つつがなく」

 そう言って青ざめた顔をぶら下げながら応接室を辞去する校長を、三対の目が見送った。ふたりは二人掛けのソファの両脇に立ち、ひとりはロウテーブルの上にある端末の画面の中にいた。応接室は校内の一室に設けられていたが、端末はその上座側に鎮座していた。

「このたびは、お忙しいなかご尽力に感謝します。教育長」

 下座側の高岡がそう言って画面の中の人物に頭を下げると、ソファを挟んで反対側に立っていた黒川もそれにならった。
 その相手、教育長が画面の中で片手を挙げて応える。

「まったく、秘書から話を聞いたときはどこの馬の骨と思ったが、まさか北条くんのところの人間だったとはね」
「緊急のことでしたので……ご無礼をお許しください」
「構わんよ。そんなことより、北条くんにはくれぐれもよろしく言っておいてくれたまえよ」
「承知しました」

 ふたたび深く頭を下げるふたりをよそに、教育長は通話を切った。
 雨が窓ガラスを叩くなか、高岡は端末の画面が黒くなっているのを確かめてから顔をあげた。ネクタイを緩め、短く息を漏らす。

「強引な手段でしたが、なんとかうまくいきそうですね」
 高岡は黒川の言葉に頷くと、「助かったよ」
「いえ、わたしはただ電話しただけですから」

 黒川が照れ臭そうに片手を振る。実際、彼女は第四局に勤めている元同僚に電話を一本かけただけだった。それがいったいどうしたことか、この国の文部科学省の事務次官に繋がり、レギオン襲撃の予想ポイントとして可能性の高いこの学校の校長とのアポイントメントが取り付けられ、先ほどまで通話していた教育長が面談の場にあらわれた。
 そうした一連の動きのすべてに、第四局局長である北条の名前が見え隠れしていた。しかもここだけではない、確率は低いがその他にレギオンがあらわれそうな場所の主要施設に対しても同じような対策が、同じような機密性でもって順次行われている。

 現場を這いずり回っている第二局や、高岡が所属する第三局にはとてもできそうにない芸当だ。第四局の存在に感謝すると同時に、彼はそこにある強権的な側面にかすかな戦慄をおぼえていた。

「だが、よかったのか? おれが言うのもなんだが、古巣の上司を利用したわけだろ?」
「その利用された古巣の上司の信条なんです。『利用できるものはなんでも利用しろ』って。緊急時だから手段なんて選んでいられませんし、きっと北条局長も事後承諾で納得してもらえますよ」

 さすがは入局から異例の早さで局長に就任しただけのことはある。得心する高岡ではあったが、昨夜顔を合わせてから初めて見せる黒川の活き活きとした表情に釈然としない部分もあった。

「だが、今回きりにしたいもんだな」
「どうしてでしょうか?」
「現場には現場の意地ってものがあるからな。お膳立てはしてもらったが、ここからはおれたちの仕事だ」
「けど、どうやって生徒や職員の安全を確保するんですか? まさか学校を丸ごと占拠するわけにもいきませんし、そもそもそんな人員は割けません」
「占拠って、物騒な考えだな。それにおれたちが表立って行動するわけにもいかんだろう」
「それじゃあ、どうやって?」

 高岡は降りしきる雨に耳を傾けるようにして、しばらく俯いた。

「そうだな……」それから顔をあげると、「黒川、おまえ映画は好きか?」
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