19

文字数 1,964文字

 はじかれるように武器を構え、勇三と輝彦は臨戦態勢に入った。もはやそこに冗談を飛ばし合い、平穏な日々をゆるゆると過ごす高校生たちの姿はない。

 曲がり角の向こうから、だしぬけに霧子が街灯の光の下に飛び込んできた。
 さらに彼女の頭上を飛び越えるようにして、四足歩行のレギオンが姿をあらわす。相当の手傷を負わされたのか、全身が血にまみれていたものの、飢えた瞳に<アウターガイア>の怪物特有のぎらついた生気がみなぎっているのが離れた場所からでもわかった。
 肉食獣を思わせるレギオンの鋭い爪がひらめき、行手を阻んだ獲物に襲いかかる。
 だが霧子は身をかがめて大振りな一撃をかわすと、踵を返してバリケードへと向き直った。

(いよいよだ)

 勇三がそう考え、身構えた時間はほんの一秒にも満たなかった。
 そのわずかなあいだに、一歩目を踏み出した霧子の姿が突如消え、次の瞬間には二メートルはあろうバリケードごと、自分たちの頭上を飛び越えていたのだ。風にたなびく灰色がかった髪のなか、彼女の眼が血のような赤色に輝いているのが見える。

 この瞬間移動とも言える芸当に目を丸くする勇三をよそに、着地した霧子は気だるげに身を起こした。

「あとは任せた」

 吐息交じりに霧子がそう言った直後、レギオンがこちらへと猛進してきた。手傷を負わせた相手に怒り、我を忘れているのだろう。そこに逃走の気配はない。
 とはいえ猛進するレギオンは先ほどの霧子の動きとくらべれば遅く、驚いた勇三に心を落ち着ける時間を与えてくれた。

 レギオンがバリケードに差し掛かるなり、全身のバネを使って跳躍する。
 勇三は銃口をほとんど真上に向けると、影となったレギオンに引き金を引いた。
 放たれた弾丸が怪物の胴体を捉える。この衝撃にバランスを崩したレギオンはもんどりうつわうに地面に墜落すると、前脚で何度か宙を掻き、そして動かなくなった。
 勇三は地面に膝をついた姿勢から立ち上がると、レギオンのほうへと摺り足で近づいていった。傍らでは輝彦が同じように武器を構えており、少し離れた街灯にもたれかかった霧子も肩で息を切らしながら拳銃を持ち上げていた。

「大丈夫だ」勇三は動かなくなったレギオンの手前で立ち止まった。「もう死んでる」

 それはほんのわずかな油断だった。
 勇三はライフルの照準から視線をはずし、輝彦を見た。友人もこちらを見てきたが、次の瞬間、その目が驚きに見開かれた。

 視界の隅でなにかが動くのを捉え、息遣いを耳にした瞬間、勇三は咄嗟にライフルを投げ捨てた。

「勇三!」

 輝彦が叫ぶのを聞きながら、勇三は頭上から振り下ろされたレギオンの両前脚をつかんで止めた。手傷を負った相手の攻撃でも、ライフルの弾丸は止めることはできないと判断したからだった。

 レギオンは死んでいなかった。くちばしそのもののような目鼻の無い頭部が迫り、勇三の眼前でがちがちと開閉する。つかんだ前脚からは色も長さもナイフの刃のような爪が伸び縮みし、目尻の脇の肉を裂いていく。
 背後で輝彦が武器を構えるのがわかり、霧子が駆けつけるのを感じた。だが勇三が組み合っているこの姿勢では、レギオンだけを撃つのも困難だった。

 勇三は意を決し、つかんでいた両前脚を離した。ただし、同時に相手を突き放すようにもした。レギオンの背中が背後へと弓形にしなる。

 レギオンの鋭い爪がふたたび振り下ろされた。だがのけぞった姿勢から立て直したために遅れが生じ、その爪は空を切っただけだった。
 一瞬の差で姿勢を低くした勇三は、そのまま潜り込むようにしてレギオンの胴体に両腕をまわした。顔を埋めた毛皮の奥から立ち上る獣臭さと血の生臭さが鼻を突いたが、頓着していられなかった。
 勇三はそのまま背筋に力をこめると、切り株でも抜くかのようにレギオンを背後へと投げ飛ばした。

 宙を舞ったレギオンは、しかし今度はバリケードを飛び越えることはできなかった。
 逆さまに映った勇三の視界の中、レギオンは空中でもがくようにしたあと、バリケードを構成する廃材のひとつに背中を貫かれた。

 肉を破く湿っぽい音と、骨の割れる乾いた音があたりに鳴り響く。

 百舌鳥の早贄のように串刺しになったレギオンが吐き出す血が、錆びの浮いた廃車で奇跡的にも無傷で残っていたフロントガラスを赤く染める。
 レギオンは苦悶と憎悪の声をあげたが、もがけばもがくほど廃材は身体の奥深くへと食い込んでいった。

 三人の<グレイヴァー>のあいだに言葉は無かった。
 彼らはお互いに一瞥を向けると、それぞれの武器を手にレギオンのもとへと歩みよった。

 この怪物が最期にあげる声のなかに、いったいどんな意味が込められていたのかはわからない。人間に対する激しい憎しみか、それとも同情を誘う命乞いか。

 答えは、三つの銃声がかき消した。
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