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文字数 1,248文字

 叔母が沸かしてくれた風呂の湯につかると、勇三は身体から凝り固まった疲れが出ていくのを感じた。
 自宅アパートでは大抵シャワーで済ませてしまうし、よく通う入浴施設は人の出入りもあるのでここまでくつろげない。おまけに、まだ外が明るいうちからこうして風呂に入れるのは格別の贅沢に思えた。

 昼下がりの住宅街、窓の外では数羽のスズメが声を交し合っている。叔父と叔母は夕食の買い物に出かけており、家の中も静まり返っていた。

 すくった湯で顔に洗っていると、自分の中でなにかが息を吹き返したような気持ちになった。それから身体を傾け、浴槽のふちに頭を置く。
 湯船の中に沈み、首から下が溶け出していくような感覚が心地よい。それでも、閉じたまぶたの裏ではここ数週間の出来事が断片的に浮かんでは消えていった。

 何故あのとき、霧子を追って<アウターガイア>へと足を踏み入れてしまったのか。
 何故あのとき、<グレイヴァー>などという得体の知れないものになってしまったのか。

 何故あのとき、ヤマモトたちを救えなかったのか。

〝おれたちを助けようなんて、あつかましいぜ〟

 不意に脳裏でヤマモトの声がよみがえり、慌てて身を起こす。その声はあまりに真に迫っていた。
 死者の残響を打ち消すように、勇三は潜った湯の中で叫び声をあげた。くぐもった声とともにあぶくが両耳をかすめていく。息が切れるまでとはいえ、その音が続くあいだだけは気をまぎらわせることがありがたかった。

 浴室を出ると、脱衣所のかごにバスタオルと衣類が入れてあるのを見つけた。

 叔母が出がけに用意してくれたものだろうか、バスタオルに顔をうずめると、嗅ぎ馴れた洗剤の柔らかな香りがした。身体を拭いて袖を通した下着とスウェットのズボン、それからTシャツからも同じ匂いがする。
 いま使っているどれもが、この家を出て行くときに勇三が置いていったものだった。衣類も雑貨も、叔母は捨てることなく残しておいてくれていたのだ。
 勇三。がいつ帰ってきても困らないように。

 少し早めの夕飯の食卓に並んだのも好物ばかりだったが、勇三の箸はあまり進まなかった。
 目の前には皿に乗って湯気を立てる大きなオムライスが据えられていた。

「少し作りすぎちゃったかしら」

 困ったように言う叔母に対して、勇三は笑顔が引きつらないよう意識しなければならなかった。
 いまよりずっと幼かった頃、勇三の好物だったのを覚えてくれていたのだろう。その心遣いはありがたかったが、脳裏では<アウターガイア>で見たあの圧倒的な質感を伴った悪夢がよみがえっていた。

 スプーンですくったひとくちを、なかなか口に運ぶことができない。あれがただの夢だとわかっていても、目の当たりにした恐ろしい光景を振り払うことはできなかった。
 けっきょく飲み下すようにして数口食べたあと、勇三は食事を終えてしまった。

 食卓を離れた勇三を見て心配してくれたからか、叔母はすぐに寝床を用意してくれた。
 勇三もまたこの好意にすがるように、早めに寝ることにした。
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