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「見ろ、泡を吹いてる」光をあてながら高岡が言う。「なにかの化学物質……おそらくガスの類いだろう」
「じゃあ、ここは……」
「心配するな。もう風で散ってるはずだ」周囲を見回す黒川に言う。「それに、ガス自体はどうも殺すために使ったわけじゃないらしい」

 疑問を隠そうともしない黒川に対して、高岡は周囲にライトの光を巡らせた。

「どの牛も激しく暴れた様子がない。つまり一斉に昏倒させられたんだ」
「つまりその、広範囲に散布できる毒ガスが使われたと?」
 高岡は頷くと、「命まで奪うものではなさそうだが、身体の自由がまったく効かなくなるんだろうな。で、弱った牛を殺したのがこの一撃だ」

 高岡は牛の眉間にぽっかりとあいた三センチ弱の穴を指さした。
 周囲には少量の血痕が付着しており、穴自体も注意深く観察しなければ毛並みか汚れにしか見えなかっただろう。
 さらに牛の眼窩からは眼球が抜け落ちており、持ち主の亡骸のそばの土の上と、餌カゴの干草の上にそれぞれ転がっていた。本来真球に近い形の眼球はどちらも、網膜から眼底までがラグビーボールのように細長く引き伸ばされていた。
 しかも高岡が調べた手近な一頭だけではない。牛舎にいた全ての牛が同じような死に様をさらしていた。

 眉間の穴と空洞になった眼窩。答えを導き出そうとするふたりを、ぽっかりとあいた三つの穴だけが見返してくる。彼らを囲むその虚ろな姿は邪教徒の崇める神像のようだった。

 高岡はやおらペンライトを咥えると、ポケットから取り出した白い手袋をはめた。それから持ち直したライトで牛の頭に空いた穴の奥を照らし、内部を覗き込む。
 牛……ましてや死んだ牛の頭はひどく重く、死後硬直も起こしているのかほとんど動かなかった。そのため高岡は、地面に頬擦りできるほど低く屈まなければならなかった。
 調べを終えた彼は立ち上がると、牛たちの死骸を前に頷いてみせた。

「高岡さん? なにか見つかったんですか?」
「脳が無い」それから眉根を寄せる黒川にこう続ける。「空っぽなんだ。ここにいる牛たちはみんな脳味噌を吸われている。この穴は……そうだな、ストローを通したものだ。少なくとも警察にできることはもうなにも無い。やはりこれはおれたちの仕事だ」
「ストロー……脳みそ、ですか?」強張った表情とともに黒川が胸元に手を寄せる。
「順を追って話そう。おまえがここに来る前、このあたりをぐるりと回ってみた。この牧場の裏手に河が流れているのは知ってるな?」
「ええ、資料に航空写真が添付されてました」
 高岡は頷くと、「その河からこの牛舎まで足跡が続いていた。シートンじゃなくても、あれが牛や人間のものじゃないことくらいすぐにわかるようなものがな。指は三本、扁平で、爪先側の地面の深さから見て四足歩行ではない。おそらく我々と同じ二足歩行で、足の大きさから体長は二メートル以上、脚は短く、胴が長いと推測できる」

 高岡はふたりが入ってきたのとは反対に位置する牛舎の出入り口をライトで照らした。
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