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「ともあれ、歓迎しよう。三局へようこそ」
「はい。粉骨砕身、職務に励みます」

 高岡は前を歩いていることに感謝した。そうでなければ、黒川のこの大げさな言いかたに吹き出した顔を見られたかもしれなかったからだ。

「警察の人たち、苛立ってましたね」高岡に追いつきながら黒川が言う。
「こんな夜中にかり出されたんだ。そうでなくても、今夜は素性の知れないよそ者がしゃしゃり出てきて、自分たちより先に現場に入ってる。腹を立てるなってほうが無理な話だ」
「よそ者って……わたしたちの事ですか?」
「他に誰がいる?」

 黒川は一瞬開きかけた口を噤んで、俯いた。
 そのとおり、自分たち以外によそ者と呼べる人間がほかにいるものか。

「素性を知られないのもおれたちの仕事のひとつだ。それに事は急を要する。いまは下らない縄張り争いなんぞに関わってる時間も惜しいんだ」
「了解です……」

 しばしのあいだ、ふたりは黙り込んだ。その沈黙を、雨音と砂利道を行くふたつの足音だけが埋めていく。
 右手に広がる牧草地をなぞるように進んでいくと、霧雨で煙るなか、牛舎がいよいよその輪郭を際立たせはじめた。

「あのご夫婦、大丈夫でしょうか」

 黒川の声に高岡が振り返る。

「飼育していた牛が殺されたんですよね、誰かに」
「誰か、じゃない。なにか、だ。これからおれたちでその正体を確かめにいく」
「はい……」
「それで、夫婦って? あの牧場主の夫婦のことか?」
「ええ。牛たちが殺された事で、ふたりともひどくショックを受けているみたいです」
「保険がおりれば農場も続けられるだろ」
「それでも、可愛がってた牛がみんな死んじゃったんですよ。それも、殺されただなんて……」

 高岡はまたも、それと気づかれぬように嘆息した。

「ご夫婦は近所の人たちによく自家製の乳製品を配ってたみたいです。ここで酪農をはじめたのも、首都圏に住む子供たちに少しでも自然との関わりを持たせてあげたかったかららしくて……」
「そんな話、どこで聞いたんだ?」高岡は足を止め、黒川と正面から向き直った。
「ここに集まった人たちの会話からですが」

 驚いて目を丸くしたものの、黒川の声は平静そのものだった。
 つまり彼女は、この雨のなかでざわつく人々のあいだを縫いながら、その雑多な会話から信頼のおける情報を瞬時に集めてみせたというのか。おまけに本人は、どうやらそれが特別なことだとは思っていないらしい。

 高岡はひそかに感心した。
<アウターガイア>の情報処理を一手に引き受ける四局に所属していた経歴は、伊達ではないようだ。
 だがその情報は、いまの自分たちにとって本当に必要なものではない。

「いいか黒川、いまおれたちは職務中だ。ひとまず同情はよそにやっておけ。確かに生き物が殺されるなんてのは気持ちのいいことじゃない。この先の現場にしたって、食卓に肉が並んでいるのとは訳が違うからな。だから余計にしっかりしろ。おれたちが上手くやらないと、次に殺されるのは動物じゃ済まないかもしれないんだ」

 いいな。と、高岡は黒川に念を押すと、彼女が頷くのを待った。
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