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文字数 1,119文字
敷地の前から左右にどこまでも伸びていく道路を見て、勇三はため息をついた。歩いていけばいつかはどこかに着くのだろうが、下り坂の突き当りで木々のかげに隠れてしまったカーブの先や、勾配の頂上と青空の境に消失した中央線がどこに続いているのかわからない。
うんざりしながら首を巡らせた勇三は、そこで安堵した。バスの停留所があったのだ。
病院を行き来する人のためのものだろう。山間に設置されているにも関わらず、停留所は道路に面した部分を覗く三方向を、雨風を凌ぐための透明のアクリル板で、頭上を屋根で覆われていた。
ボストンバッグの中を漁ると、ありがたいことに財布とその中身は無事だった。定期代わりの交通系ICカードもそのままだったので、これでなんとか人里に降りることはできるだろう。
財布を確認しながらいそいそと向かいかけた足を、だが勇三は停留所の手前で止めてしまった。
先客がいたのだ。
まだ幼さの残る少女で、腰かけたベンチから投げ出した両脚を、ワンピースのスカートと一緒に空中で揺らしている。前屈みの姿勢で肩口からこぼれるその髪は薄い灰色をしていた。
少女は霧子だった。
「ああ、退院おめでとう」
そう言って笑いかけながら、霧子がベンチの上で身体を横にずらす。少女の隣に腰かけるだけの余裕ができたが、勇三は停留所のそばに立ったままでいた。
「バスならもうじき来る。終点で駅前まで行けるから、そこから電車に乗って一時間ちょっとで家の近くまで帰れるはずだ。どうだ? それまで話でもして時間を潰さないか?」
「そんな気分になれない」勇三は言った。
「まだ本調子じゃないのか? だったらそんなところに立ってないで――」
「おまえと話したくないんだよ」
勇三のその宣言にも霧子は表情を崩さなかった。
「トリガーにも言った。もう、おれなんかと関わらないでくれ」
「そうか」霧子が勇三から視線をはずす。「おまえが望むなら、それでもいいさ」
霧子がベンチから立ち上がる。
勇三は少女に手を伸ばしかけたものの、そこで動きを止めてしまった。木々に隠れたカーブの奥から一台の黒塗りのSUVがこちらへとやって来たからだ。
SUVはこちらを通り過ぎてから鼻先の向きを変えると、停留所の反対側で停車した。
「悪かったな」霧子が言う。「最後に一度会っておきたかっただけなんだ。まあ、ただ単にわたしのわがままなんだがな」
元気で。勇三が止める間もあらばこそ、霧子はそう言い残してSUVへと乗り込んだ。
エンジンがわずかに高鳴り、反射した陽光をきらめかせながら少女を乗せた車が走り去っていく。
カーブの向こうに消えた黒い車体と入れ違いにあらわれたバスが、滑り込むようにして停留所の前で止まった。
うんざりしながら首を巡らせた勇三は、そこで安堵した。バスの停留所があったのだ。
病院を行き来する人のためのものだろう。山間に設置されているにも関わらず、停留所は道路に面した部分を覗く三方向を、雨風を凌ぐための透明のアクリル板で、頭上を屋根で覆われていた。
ボストンバッグの中を漁ると、ありがたいことに財布とその中身は無事だった。定期代わりの交通系ICカードもそのままだったので、これでなんとか人里に降りることはできるだろう。
財布を確認しながらいそいそと向かいかけた足を、だが勇三は停留所の手前で止めてしまった。
先客がいたのだ。
まだ幼さの残る少女で、腰かけたベンチから投げ出した両脚を、ワンピースのスカートと一緒に空中で揺らしている。前屈みの姿勢で肩口からこぼれるその髪は薄い灰色をしていた。
少女は霧子だった。
「ああ、退院おめでとう」
そう言って笑いかけながら、霧子がベンチの上で身体を横にずらす。少女の隣に腰かけるだけの余裕ができたが、勇三は停留所のそばに立ったままでいた。
「バスならもうじき来る。終点で駅前まで行けるから、そこから電車に乗って一時間ちょっとで家の近くまで帰れるはずだ。どうだ? それまで話でもして時間を潰さないか?」
「そんな気分になれない」勇三は言った。
「まだ本調子じゃないのか? だったらそんなところに立ってないで――」
「おまえと話したくないんだよ」
勇三のその宣言にも霧子は表情を崩さなかった。
「トリガーにも言った。もう、おれなんかと関わらないでくれ」
「そうか」霧子が勇三から視線をはずす。「おまえが望むなら、それでもいいさ」
霧子がベンチから立ち上がる。
勇三は少女に手を伸ばしかけたものの、そこで動きを止めてしまった。木々に隠れたカーブの奥から一台の黒塗りのSUVがこちらへとやって来たからだ。
SUVはこちらを通り過ぎてから鼻先の向きを変えると、停留所の反対側で停車した。
「悪かったな」霧子が言う。「最後に一度会っておきたかっただけなんだ。まあ、ただ単にわたしのわがままなんだがな」
元気で。勇三が止める間もあらばこそ、霧子はそう言い残してSUVへと乗り込んだ。
エンジンがわずかに高鳴り、反射した陽光をきらめかせながら少女を乗せた車が走り去っていく。
カーブの向こうに消えた黒い車体と入れ違いにあらわれたバスが、滑り込むようにして停留所の前で止まった。