文字数 1,522文字

   Ⅲ


「ちょっと、顔貸せ」

 放課後、啓二と広基が掃除当番で不在にしているのを見計らい、輝彦の席の隣に立った勇三はそう言った。言いながら、不愛想な声かけをしてしまった自分が嫌になった。

「わかった」

 そう答える輝彦にいつもと変わった様子はない。勇三にはそれがありがたかった。

「ちょっと待っててくれ。おれももう出るから――」
「先に行ってる。別館の屋上まで来てくれ」

 そう言い残すなり教室を出た勇三は、購買部に寄ってから別館の屋上へ通じるドアに向かった。あの雨の日、霧子と出会った場所だった。

 きっと鍵がかかっているはずだ、と勇三は思った。あれから数日が経っており、見回りの教員か用務員が鍵が開いているのに気づいて施錠しているのだろうと。
 それでも勇三は、輝彦との会話でここより適した場所を思いつかなかった。普段からたむろしているところはあったが、そこで話せるのはあくまで何気ない日常の話題に限られるし、啓二と広基がやって来るかもしれない。
 輝彦とふたりきりになれる場所が必要だった。物騒な話をするのに、自分たち以外は誰も寄りつかないような場所が。

(もしも鍵がかかってたら、壊してでも外に出よう)選択肢がこの場所以外に無いことに思い至り、勇三はそう決心していた。

 しかし重い鉄扉は、錆びた軋みをあげながらも開けることができた。外から吹き込んできた風と日光が、人通りの少ない別館のじめじめした淀みを吹き払っていく。歩を進めるごとに、上履きごしに目の粗いコンクリートの感触がざらざらと伝わってくる。
 勇三は屋上の端まで歩を進めると、住宅街を背景に広がるグラウンドを見下ろした。サエと友香を救いに駆けつけた場所では、陸上部の短距離走者がスタートダッシュの練習に勤しんでいた。

「へえ、こっちも本館と似た感じなんだな」振り返ると、輝彦が階段室から姿をあらわしていた。「まあ、屋上なんてどこもそんなに違いはないか」

 勇三は上着のポケットから缶コーヒーを取り出すと、歩み寄ってくる輝彦に投げてよこした。ここに来る途中、購買部で買ってきたものだった。
 思った以上に低い軌道で放ってしまったそれを、輝彦は片手で簡単にキャッチした。それから手に収まったラベルを見て、次に勇三をきょとんとした表情で見つめてくる。その目つきは普通の高校生のものと変わりないように思えたが、奥にある無邪気さは霧子やトリガーのものとひどく似通っており、勇三を狼狽させた。

「なんだよ?」そんな動揺を押し隠すように、勇三は輝彦にそう訊ねた。
「いや、てっきり殴られるもんだと思ってたからさ」
「殴ったほうがいいのか?」
「遠慮しとく」
「だろ? それにいまのところは殴る理由も無いしな」
「いまのところは、か……確かにそうかもな」輝彦は笑みを漏らしながら勇三の隣に立つと、グラウンドを見つめながらプルタブを開けてコーヒーを一口すすった。「微糖か」
「嫌なら、こっちにするか?」勇三がポケットから取り出したもう一本の缶を振ってみせる。こちらは無糖だ。
「いいよ、こっちで」

 ふたりはしばらく黙りこむと、そのまま足下の風景を見つづけた。屋上の風鳴りに、陸上部の顧問が吹くホイッスルの音が規則正しく割り込んでくる。

「どうして……」とうとう勇三は切り出した。「どうして黙ってたんだよ、いままで」
「秘密を打ち明けられた人間がどうなるかはわかってるだろ?」

 勇三は頷くことしかできなかった。

 少しでも<アウターガイア>に関わってしまった人間がどうなるか、身をもって味わっていたからだ。それに輝彦は、ただの高校生だと思っていた友人にこんな物騒なことをわざわざ吹聴する人物でもなかった。
 ちょうど勇三自身も、そうしていたように。
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