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 温かいコーヒーを一口すすってはみたものの、勇三の動転した気持ちはおさまらなかった。

 興奮からか、カップを持つ手がまだかすかに震えている。波紋が浮かぶ焦げ茶色の水面から、彼はカウンターにおさまっている奇妙なロボットに視線を動かした。
 ハロルドくんと呼ばれるこのロボットは霧子がコーヒーをひとつ所望すると「アァイ、こーひーイッチョウ」という掛け声とともにカウンターで仕事にとりかかった。

 壊れた電子楽器から無理矢理ひり出したような声質もさることながら、ハロルドくんがカウンターの内側で幽霊のような水平移動をする姿にも薄ら寒いものをおぼえてしまう。
 おそるおそるテーブルの向こう側を覗いてみると、ロボットの下半身には太い金属製の棒が一本立っているきりで、それを使って床に敷かれた専用のレールを滑るように動いていた。

 そんなハロルドくんが、工場のオートメーションのように精巧な動作で火加減を調整し、サイフォンから淹れたてのコーヒーを抽出する。

「ヘイ、オマチ」

 深いコクのなかに鼻から抜ける酸味を醸す油分の浮いたコーヒーは、非常にうまかった。
 だが、勇三がこの腕の良いバリスタに心を許すことはなかった。十六年間生きてきて、こんなロボットを目にするのは初めてだった。

 ハロルドくんは自分が大切にするバイクとは一線を画す機械だ。
 そこには不安定な危うさが感じられた。進歩した文明のひずみに偶発的に生まれたような存在。それは勇三に自然と、あの怪物を想起させた。

「紹介が遅れたな」裏口にほど近いところ、レジスターのそばに置かれた背の高い木製の椅子に腰かけた霧子が口を開く。「そっちの彼はハロルドくん、この店のマスコット兼厨房担当だ。で、こっちはトリガー」

 紹介された犬が頷いてみせる。
 その所作に勇三は飲みかけていたコーヒーを吹き出しそうになった。

「トリガーは<エンド・オブ・ストレンジャーズ>のリーダーだ。と言っても、メンバーはわたしとトリガーのふたりだけだが」
「エンド・オブ……なんだって?」勇三が眉根を寄せる。
「<エンド・オブ・ストレンジャーズ>だ」トリガーがあとを引き継ぐ。やはりこの犬が喋るのは幻聴でも空耳でもないらしい。「頭文字をとって<EOS>と略すときもある」
「で、それがなんなんだ?」

 勇三は尋ねながら、霧子とトリガーを交互に見た。人の言葉を話す犬トリガーと目が合ったときは辟易したものの、それでもハロルドくんと比べれば幾分ましな相手に思える。

 いっぽうで問いを投げかけられた<EOS>のふたりはしばし俯いていた。それから顔をあげて口を開こうとしたトリガーを手で制し、霧子が勇三に向きなおった。

「そのまえにまず訊いておきたいことがある。今日はどこかに……そう、学校なんかには行ってないか?」

 霧子の問いに勇三は首を振った。そもそも学校に行っていたらこんな時間にこんな場所にはいない。
 彼の返答に、霧子はどことなく安心した様子だった。

「それじゃあ、学校以外にもどこにも出かけていないか?」
「風呂屋とクリーニング屋、それからコンビニに行ったな。あとはバイクを洗うのに近所の洗車場にも出たけど……なあ、だったらなんなんだよ?」
「誰かに尾行されたりとか……ああ、気づくはずもないか」

 霧子がそれきり口元に手をあてて黙り込んでしまったので、勇三もなにも言えなかった。やがて彼女は、仕切り直しとばかりに椅子の上で姿勢を正した。
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