8
文字数 1,187文字
Ⅳ
着信の相手を見た勇三はかすかな胸騒ぎをおぼえた。
「誰からだ?」そんな勇三の表情を見て、輝彦が訊ねる。
「霧子」
勇三は帰り支度の手を止め、端末の画面に表示された名前を見ながら答えた。
霧子の拳銃の修理が終わるまでのあいだという条件付きで送れていたこの高校生活が、急にかげりだしたようにも思えた。
「出てみたらどうだ?」
「ここでかよ」勇三は思わず教室を見渡した。放課後とはいえ、周囲は部活や委員会に向かう生徒たちでにぎわっている。
「これだけ騒がしければかえって目立たないさ。それに急用かもしれないだろ」
気が進まなかったが、輝彦が言うことにも一理ある。実際、クラスメイトたちがこちらを気にしている様子はなかったし、さいわいにして啓二と広基は連れだってトイレに行っている。友香とサエは教室にいたものの、離れたところでほかの友人たちと談笑していた。
「もしもし……」
念のため椅子に腰かけた勇三は、机に覆いかぶさるように姿勢を低くして着信をとった。傍らでは輝彦も椅子に座り、会話を聞きとろうと顔を寄せてくる。
「勇三か?」
霧子の声を耳に、勇三は思わず受話口から顔を離した。輝彦も似たような気持ちなのか、驚いた表情を隠そうともせずこちらを見てくる。
いまの霧子からは、普段の泰然とした様子は微塵も感じられなかった。少女の声音はいま、その見た目通りの……それもすっかり弱りはてた少女と相応のものでしかなかった。まるで迷子になった末に帰り道がわからなくなり、途方に暮れているかのようだった。
「おい、どうしたんだ?」そのただならぬ気配に、勇三も焦りをにじませた。
「いないんだ……」
「誰が?」
「トリガー……」霧子がいよいよ消え入りそうな声量で答える。
「店にいないのか?」
霧子の無言が、そのまま肯定の意味を持った。
「たまたま出かけてるとかは?」
「今日はそんな予定なかったんだ。わたしが買い出しに行くから、トリガーは留守番してて」
「でもよ、急に散歩に行きたくなったとかじゃねえの? ほら、あいつって犬なわけだし……」
「馬鹿! そんなわけあるか! それにあいつの首輪が落ちてたんだ! この……馬鹿!」
一転、耳元で爆発した大音声に、勇三は今度は違う理由から腕を目一杯前に伸ばして受話口を遠ざけた。それから恐々と耳を近づけたときには、もう霧子の声はおろか、なにも聞こえてこなかった。
「切りやがった」言いながら端末から耳を離し、再ダイヤルの操作をしながら勇三は言った。「クソ、話し中か」
「いまのはおまえが悪い」
輝彦の指摘に、勇三は抗弁しなかった。
たしかに不安を紛らわすためとはいえ、あまり感心できる軽口ではなかったかもしれない。霧子は自分以上に、トリガーの不在に対して心細さを感じているのかもしれなかったからだ。
学校生活から束の間解放された生徒たちの喧騒を背に、ふたりはしばし黙って俯いた。
着信の相手を見た勇三はかすかな胸騒ぎをおぼえた。
「誰からだ?」そんな勇三の表情を見て、輝彦が訊ねる。
「霧子」
勇三は帰り支度の手を止め、端末の画面に表示された名前を見ながら答えた。
霧子の拳銃の修理が終わるまでのあいだという条件付きで送れていたこの高校生活が、急にかげりだしたようにも思えた。
「出てみたらどうだ?」
「ここでかよ」勇三は思わず教室を見渡した。放課後とはいえ、周囲は部活や委員会に向かう生徒たちでにぎわっている。
「これだけ騒がしければかえって目立たないさ。それに急用かもしれないだろ」
気が進まなかったが、輝彦が言うことにも一理ある。実際、クラスメイトたちがこちらを気にしている様子はなかったし、さいわいにして啓二と広基は連れだってトイレに行っている。友香とサエは教室にいたものの、離れたところでほかの友人たちと談笑していた。
「もしもし……」
念のため椅子に腰かけた勇三は、机に覆いかぶさるように姿勢を低くして着信をとった。傍らでは輝彦も椅子に座り、会話を聞きとろうと顔を寄せてくる。
「勇三か?」
霧子の声を耳に、勇三は思わず受話口から顔を離した。輝彦も似たような気持ちなのか、驚いた表情を隠そうともせずこちらを見てくる。
いまの霧子からは、普段の泰然とした様子は微塵も感じられなかった。少女の声音はいま、その見た目通りの……それもすっかり弱りはてた少女と相応のものでしかなかった。まるで迷子になった末に帰り道がわからなくなり、途方に暮れているかのようだった。
「おい、どうしたんだ?」そのただならぬ気配に、勇三も焦りをにじませた。
「いないんだ……」
「誰が?」
「トリガー……」霧子がいよいよ消え入りそうな声量で答える。
「店にいないのか?」
霧子の無言が、そのまま肯定の意味を持った。
「たまたま出かけてるとかは?」
「今日はそんな予定なかったんだ。わたしが買い出しに行くから、トリガーは留守番してて」
「でもよ、急に散歩に行きたくなったとかじゃねえの? ほら、あいつって犬なわけだし……」
「馬鹿! そんなわけあるか! それにあいつの首輪が落ちてたんだ! この……馬鹿!」
一転、耳元で爆発した大音声に、勇三は今度は違う理由から腕を目一杯前に伸ばして受話口を遠ざけた。それから恐々と耳を近づけたときには、もう霧子の声はおろか、なにも聞こえてこなかった。
「切りやがった」言いながら端末から耳を離し、再ダイヤルの操作をしながら勇三は言った。「クソ、話し中か」
「いまのはおまえが悪い」
輝彦の指摘に、勇三は抗弁しなかった。
たしかに不安を紛らわすためとはいえ、あまり感心できる軽口ではなかったかもしれない。霧子は自分以上に、トリガーの不在に対して心細さを感じているのかもしれなかったからだ。
学校生活から束の間解放された生徒たちの喧騒を背に、ふたりはしばし黙って俯いた。