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「なんだよ、これ……」勇三は声を漏らした。
「ラッシャアイ」声に反応するように人形が返事をする。言葉のイントネーションや目鼻立ちから外国人を模しているようだ。

 ここを出よう。半ば逃げるように、勇三はテーブル席をかきわけてドアへと歩いていった。

「これではない、彼の名前はハロルドくんだ」

 突然、背後からあがった壮年の男の声に思わず振り返る。
 だが、やはりそこに人はおらず、気味の悪い等身大の人形と犬がいるだけだった。

 どこかの物陰にでも潜んでいるのだろうか。声の主をさがしてあたりを見まわすが、スピーカーからボサノバが流れる店内に人の姿はない。自分と、人型のハロルドくんを別にすればの話だが。

「誰だ?」

 答える声はない。

 諦めた勇三はいささかうんざりしながら引き返し、ふたたびスツールに腰かけた。
 隣では犬がじっとこちらを見つめながら、舌を出して呼吸している。彼は頬杖をつきながら、この大人しい動物を眺めた。

 そのとき、不意に犬が呼吸するのをやめてこちらを見つめてきた。勇三はその深い茶色の瞳に宿る光に、理性が輝くのを見逃さなかった。
 犬がそのべろりと垂れた舌をまるまる口にしまいこむ。そのせいか犬の口元は引き締まり、さらに動物とは思えないような顔立ちに変わっていた。

 犬がおもむろに口を開く。

「ニンフズに呼ばれてここに来たんだろう?」

 目の前の犬の口から先ほどの男性の低い声が発せられ、勇三のあごは蝶番がはずれたように大きく開いた。

「彼女はもうじき戻ってくる。まあゆっくりしていくといい」

 犬が人間の言葉で繰り返すのを聞いて、勇三ははじかれるように椅子から立ち上がった。
 いきおいあまって、そばにあった二人掛けのテーブルにぶつかる。体勢を立て直そうと縁を掴んだ拍子に、天板に乗っていたガラス製のシュガーポットが涼やかに鳴った。

 なにかを言おうとしたものの、勇三の口は金魚のようにぱくぱくと開閉を繰り返すだけだった。

 混乱が静まらぬなか、なんの前触れもなくカウンターそばにあるドアが開いた。

 はたして、そこから姿を現したのは入江霧子だった。先日とは違い、カエルのキャラクターがプリントされた長袖のTシャツにデニム地の半ズボン、それから白のハイソックスと運動靴という、いかにも年相応な格好をしていた。

 勇三の姿を見て、霧子が引き締めていた口元をわずかに緩める。

「ああ、来てくれたのか」
「喋った!」
「わたしか? そりゃ喋りはするが」
「犬がだよ!」

 挨拶さえままならず、勇三はそう叫んだ。
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