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文字数 1,219文字

(怪我の功名ってやつだな)怪物から離れ、路地の対角線を目指しながら霧子は思った。(いまのでだいぶ距離を稼げた)

 背後から笛を吹くような鋭い音が鳴るのを耳に、霧子は反射的に空中に飛んだ。
 視界の中に捉えたのは、鈍い衝撃音とともに地面に突き刺さった、ぬめりのある肉の筋だった。

(やつの舌か)

 霧子の脳裏でブリーフィングの内容がよみがえる。

 VF-134にはその巨体に加えて、舌という強力な武器があった。伸縮性の強い舌をカメレオンのように発射することで、大口径のライフル並の破壊力を生み出せるのだという。

 怪物の舌が地面から引き抜かれるのと同時に、突如として周囲を黒い影がおおった。
 頭上を仰ぎ見た霧子は思わず息を呑んだ。十トンにもおよぶ怪物の巨体が、空中に飛び上がっていたのだ……いや、正確には撃ち出した舌を鞭のようにしならせながら、こちらに飛びかかってきたというべきか。

 霧子の頭であらゆる思考と判断が明滅する。
 空気抵抗やら万有引力など知ったことではないが、先に着地するのが自分であることは間違いない。問題は地面に足をつけた後、押し潰そうとする追撃をどうかわすかだ。
 ほぼ真円に近い怪物の影が霧子をほぼ中心で捉えている以上、少々飛びのいたところで身のかわせそうにはない。
 かといって、手持ちの武器では相手を押し返すことも不可能だった。もっとも、重力を味方につけたこの巨体を押し返せるだけの技術力を、そもそも人類が有しているのかどうかすら怪しくはあったが。

 もはや一刻の猶予もなかった。大型輸送機のような怪物の土手っ腹が、頭上三メートルほどにまで迫っていた。
 そのとき霧子の視界が赤く染まったのは、恐怖による錯乱からでも戦闘での興奮が原因によるものでもなかった。普段は薄灰色をしていた彼女の瞳は、レギオンの落とす深い闇の中で深紅に発光していた。

 ジェットエンジンがたてるような轟音とともに、霧子の姿が怪物の身体の下から忽然と消えた。直後に巨体が地面に激突したときには、霧子はすでに路地の突き当たり、逃走経路上にある最初の角の手前まで移動していた。
 足がもつれ、派手に倒れ込む。腕を踏ん張って立ち上がろうとしたが、いっぽうで両脚はまったく動かなかった。

「入江!」

 叫ぶような高岡の通信が入る。作戦の動向を監視映像で見守っていた彼は、霧子がとんでもない高速で移動するのを見ていたことだろう。
 彼女が通ってきた道の上では、ところどころで石畳がめくれあがっており、そのひとつずつに二十二センチ弱の足型が刻まれていた。

「おい! 返事をしろ、入江!」
「聞こえてるよ」霧子は喘ぐように応じた。「ちょっと張り切り過ぎただけだ」
「動けないのか? 待ってろ、すぐに救援を――」
「どうだろうな」霧子は遮った。両脚の感覚がわずかに戻りはじめていた。「わたしはともかく、あいつはあまり気の長い性質じゃなさそうだ」

 視線の先では、怪物もまた体勢を立て直そうとしていた。
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