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 トリガーの言葉通り、退院の手続きは代金の支払いも発生せずに終わった。

 見送りの挨拶もないまま病院ををあとにする勇三の手には、ボストンバッグが握られていた。あのとき<アウターガイア>に持ち込んだもので、意識を取り戻した病院のベッドの傍らに置かれていたものだった。
 ただしあったのはボストンバッグだけ……ライフルやグローブはどこにもなかった。
 本来であれば、物騒なものが手元にないことに解放感をおぼえるべきなのだろう。
 だが勇三はどこか物足りなさを感じていた。

 電源を入れると、すぐに携帯電話が新着のメッセージがあることを伝えてきた。
 五月のまぶしい陽光の下、勇三は画面に目をこらした。
 思えば一週間、屋外に出ることはおろか、太陽の光をまともに浴びてもいなかった。身体も弱ったのかもしれない。着ていた七部丈のTシャツからのぞく手首は、色が幾分白くなっている。

 メッセージはいずれも啓二たちからのものだった。
 学校を休んでいる勇三の体調を気遣ったり、いつ登校するのかを催促するようなものだった。広基と輝彦は授業の内容をデータにして送ってくれたし、着信履歴も彼らの名前で埋め尽くされていた。

「おれなら心配ない。ちょっと地面の下で殺し合いをしてただけだ」そう口にして、勇三はたまらず苦笑を漏らした。

 メッセージの中には叔母から届いたものもあった。特段当たり障りも無く、勇三の近況を訊ねてくるものだった。

 そういえば、ふたりのところにはずいぶん帰っていない。もともと勇三も中学卒業まで住んでいた家だったし、そこを出てひとり暮らしを始めてからまだ二ヶ月だけだったが、それでも昔のことに思えた。
 三月も終わりに差し掛かった頃には高校入学に向けてひとり暮らしの準備にばたついてもいたので、叔父や叔母とゆっくりと過ごせた時期はさらに遠くに感じる。

〝あんた、実家には帰ってるの?〟

 世話焼きな幼馴染でクラスメイトのサエにそう訊ねられるのも、一度や二度ではない。

 携帯電話をポケットにしまうと、勇三は暖かな春の空気をあらためて吸い込んだ。

 ここはどのあたりなのだろう。病棟を出ても敷地の外に人の手が加えられた部分は見当たらず、あとは見渡すかぎり木々に覆われた山肌ばかりが広がっていた。
 この病院を出入りする人間の事情を考慮してのことなのか、それとも買い手のつかない安い土地だったからか。いずれにせよ辺鄙な場所に放り出された勇三は、ため息をつくほかなかった。

 まるで藁でできているかのように、スニーカーを履いた足は歩くたびにゆらゆらと揺れた。あれだけ長い時間ろくに身体を動かさなければ、こうなるのも無理はないのかもしれない。
 月面歩行のように心もとない足どりで、勇三はロータリーをぐるりと迂回した。普通の病院なら客待ちのタクシーでも停まっていようものだが、ここにはそれどころか一台の車も見えなかった。
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