第69話 「真夜中の訪問者②」
文字数 3,031文字
猫が喋る。
その上、庭に居た筈の猫が、
先ほどから繰り広げられる、まか不思議な光景。
ステファニーは、
周囲が寝静まった真夜中である。
今、ステファニーは化粧を全くしていない。
『すっぴん』のステファニーが、あどけない表情で驚いている様はとても可愛かった。
ジャンも、俺と全く同じ気持ちだったようだ。
可憐なステファニーの顔を、「ぼうっ」と眺めている。
魂がシンクロしているから、共感し易かったのかもしれないが。
俺は腑抜け状態のジャンに構わず、ステファニーへ話しかける。
『こんばんわ、いきなりで驚いただろう、ステファニー』
俺の呼び掛けに対し、ステファニーはやっと普段の自分を取り戻したようだ。
その証拠に頬を軽く膨らませ、口を尖らせると怒った振りをする。
『……もう! 驚くわよ。こんなのばっかり見せられたら』
『御免な』
俺が素直に謝ると、ステファニーは機嫌を直してすぐ微笑んでくれた。
『ふふ、……でも』
『でも?』
『ケンが来てくれるなんて全然思っていなかった。また貴方に会いたかったから、とっても嬉しいわ』
「ぱあっ」と、花が咲いたように笑うステファニー。
ああ、やっぱりこの子は気品があって素敵だ。
いかにも貴族令嬢って感じだな。
何故、
俺はここで、今夜来訪した目的を告げる。
『いきなり会いに来たのはな、その……ひと言謝りたくてな……』
『謝る?』
ステファニーは何故俺が謝るのか、ピンと来ないようだ。
可愛らしく、首を傾げている。
『ああ、俺……お前の事情、色々と聞いたんだ』
『聞いた? 私の事情を……そう、なの……』
ステファニーの表情が、少し曇る。
自分の境遇には、あまり触れて欲しくないようだ。
だから俺は彼女の事には触れず、謝る事に専念した。
『ちょっとお尻、叩き過ぎたかなって、な』
『ううん……良いの。あんなに激しくお尻を叩かれた事なんてなかったわ。私の事をちゃんと叱ってくれて凄く嬉しかったから』
頬を染めて、恥らうステファニー。
俺は、思わずドキッとした。
『…………』
『…………』
沈黙が部屋を支配する。
ふたりの言葉が、何故か止まってしまう。
ああ、この微妙な沈黙を振り払わないと……
俺は、転移魔法で『ある物』をこの部屋へ送った。
『これ……良かったら貰ってくれ。今日、市場で買った。……大したもんじゃないんだけど』
俺が魔法で送ったのは、古めかしいが素敵なデザインのアミュレットであった。
今日の昼、市場で購入した水滴形の宝石が付いたペンダントだ。
多分、水の精霊の加護を模したものに違いない。
大空屋で村の女性へ売る為のものであったが、俺がこっそり抜いておいたのである。
ミシェルには、後で理由を話し、ちゃんと謝ろうと思う。
しかし俺からのプレゼントを受け取ったステファニーの反応は、予想外のものであった。
『え!? これ、くれるの! ううう、嬉しいっ』
あれ?
すっげぇ、喜んでいる。
これは意外だぞ。
貴族のお嬢様であるステファニーは、もっと高価で立派な装身具をたくさん持っているだろうに。
『そんなに喜んでくれて嬉しいよ』
ステファニーは俺に一旦了解を求めてから、アミュレットを首から下げた。
美しい碧眼、豊かな金髪……
そして抜けるように真っ白な肌の胸元にある青い宝石が良く映えており、可憐なステファニーの美しさを一段と際立たせている。
『ねぇ、似合う? 私、こんなに気持ちのこもったプレゼントなんて貰った事なかった。今、とても嬉しいの』
『ああ、バッチリだ。凄く可愛いぞ、お前』
俺が褒めると……
何と、ステファニーの双眼に涙が溢れて来た。
よほど嬉しかったに違いない。
『ケ~ン! ありがとうっ!』
『うひゃああっ!』
ステファニーは俺の代わりにジャンへ飛び付くと、思いっきり頬ずりし始めた。
驚くジャンに構わず、何とソフトキスまでしている。
何だ、ジャン。
良かったじゃないか。
最後に役得が来たな……
ジャンを揉みくちゃにして喜ぶステファニーを、俺は暫し黙って見守っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌朝……
夜がろくに明けないうちに、俺達はエモシオンの町を出発した。
ラバが曳くミシェルの荷馬車の傍らに、俺とレベッカは護衛として騎馬で併走するのだ。
この時間に、ボヌール村の北にあるジェトレ村へ向かう大規模な商隊がある。
情報を内々でキャッチしたミシェルが、俺達も同時刻に出発しようと提案したのである。
但し俺達は勝手に後に着いて行くだけ。
だから、商隊に断わりなど入れない。
護衛義務もないし、気楽なものだ。
当然、俺達から金など払わない。
万が一、襲撃などがあったら商隊を護衛する為に、雇われたギルドの冒険者達が代わりに戦ってくれるだろう。
ちゃっかりしたものだが、優れた生活の知恵ともいえるやり方である。
昨夜、ぐっすりと眠ったのでレベッカとミシェルも元気一杯だ。
ちなみに今朝から、ケルベロスとジャンが俺達の従士として目に見える形で加わった。
妖馬ベイヤールも含めて、俺が召喚したと嫁ズへ伝え、納得して貰ったのだ。
ケルベロスは俺達の少し前方……
商隊最後方との間をのしのしと威嚇するように歩いている。
ジャンはといえば、荷馬車の荷台で丸くなっていた。
昨夜の疲れもあって、ぐっすり寝ているらしい。
魔物である2匹だが、両名とも人の中に入っても全く違和感が無い。
擬態したケルベロスは逞しい番犬という趣きであり、ジャンは元々普通のぶち猫にしか見えないから。
時期は春とはいえ、まだ朝は寒い。
東から、徐々に太陽が昇って行く。
辺りが、少しずつ明るくなって来た。
『ケン様……』
いきなり念話で話し掛けて来たのは、荷馬車で寝ていると思ったジャンである。
『おう! 昨夜はお疲れだったな、ありがとう』
『いいえ、こちらこそ! また頑張りますよ』
いつになく殊勝なジャン。
それには、やはり理由があった。
『ケン様、あの子……ステファニーちゃん、何故連れて行かなかったんですか? 貴方と一緒に行きたいって心から強く強く伝わって来ましたよ。ケン様も分かっていたでしょう?』
『……馬鹿言え! もし本人がOKしても俺が連れ出したら、貴族令嬢誘拐事件になってエモシオンの町は大騒ぎさ……だよ』
『そうすか……でも、ステファニーちゃん……本当にいい
『……ああ、そうだな』
ステファニー……
頼りにしていた父親とも距離が出来て、これから何を支えに生きて行くのだろう?
ごめんよ、今の俺にはお前に何がしてやれるか思いつかないんだ。
やがて太陽が高く昇り、商隊と俺達を照らし出す。
俺は複雑な思いを胸にして、嫁達と共にボヌール村への帰途についたのであった。