第85話 情熱の国 スペインへ

文字数 2,309文字

 死ぬまでにゲルニカが見たい。ゲルニカを見ずには死ねない。絶対に見たい絵、ゴッホの夜のカフェテラスはオランダまで見に行った。後はゲルニカだ。
 ゲルニカを見ずには死ねない、とずっと思っていた。見たら、じゃあ死んでいいのかと言う問題ではないが、見れる時に見ておこうと思った。
 ピアニストのMさんとスペインに旅行に行くことにした。二泊三日だったかな。ユーロバスというヨーロッパの国境を越えるバスに乗っていくことにする。十六時間くらいかかるが、値段が安かった。今は安い飛行機もあるが、当時は値段を考えるとバス一択だった。
 夜に出て、午後に着くような感じだったと思う。国境でパスポートチェックがあったが、簡単なものだと思っていたが、数人、降ろされていた。彼女たちは白人だったが(ユーロ圏内じゃないのか?)降ろされてしまって、そのままバスは発車した。(他人事ながらどうなったんだろうと心配したが、どうして下ろされたのかも、それからどうなったのかはわからない)
 夜のバス休憩所でご飯を食べたりして、大してリクライニングできない椅子に揺られた。若かったからできたけど、今はもう絶対無理。
 大分、忘れているので、覚えていることだけ書く。(もう本当に自分が何にも思い出せなくてびっくりしている)
 全然思い出せなくて、Mさんに連絡したら、マドリードとバルセロナ間は飛行機だったらしい。(なんでやねん。なんでそこ、飛行機やねん。パリとマドリード、バスやのに…)

 ということで、覚えていることだけ。
 マドリードにゲルニカが収められているソフィア王妃センターがある。そこに行きたくて仕方がなかった。ただ朝、時間があったので、ホテルからすぐのところにチュロスを売っているお店があった。開いているのか、開いていないのかわからない店だった。どういうことかというと、お店は空いているのだが、店主がいない。お店はたい焼き屋さんのような感じて、道に売り場が面している。その前で待っていても、誰も来ない。
 しばらくして、諦めようかと思った時に、地元の女の子がやってきた。彼女はどうするのかと思ったら、「いないわね」というような感じで、私の方を見た。
 私も首を横に振った。そしたら、ウィンクをされたのだった。人生初。人からウィンクされてしまった。
 なんてキュートなんだろう。
 初対面でウィンクされたのは後にも先にもこれ一回限りだ。ウィンクの破壊力半端ない。そう呆然としていると、たい焼き屋のおっさんならぬチュロス屋のおじさんが出てきて、そのウィンクのお嬢さんと口論になった。スペイン語で何言ってるのか分からないが、口論の挙句、女の子はなにも買わずに帰って行った。そしておじさんは私の方を見て「何の用?」と聞いてる気がしたので、
「チュロスひとつ下さい」と言った。
 するとおじさんは口論もせずに頷いて、普通に作ってくれた。
 一体、なんの口論をする必要があったのだろうか、と思ったが、待っていると熱々の美味しいチュロスが出来上がった。本当に美味しかった。彼女も短気を起こさなければ美味しいチュロスが食べれたであろうに…、と思ったが、仕方がない。情熱の国なのだから。

 美術館に行く途中でMさんが「薬用リップ買いたい」と薬局に入って行った。

「リップください」と全部日本語で言った。
 横で爆笑してしまった。
「伝わるわけないやん」
 ここでもお腹がぷっくり出たおじさんが困った顔をする。そしてMさんは唇に塗るジェスチャーをしつつ、全て日本語で「リップ、リップ、ください」と何回も言う。
 多分、ジェスチャーで分かったらしく、ちゃんと薬用リップを出してくれて、思わずおじさんとMさんに尊敬の念を覚えた。言葉違っても通じるって…すごい。おじさんも誇らしげに笑っている。何だかリップ買うだけでほっこりした。
 
 スペインのおじさんはお腹が出ていて、そしてループタイをしている人が多かった。なんでかわからないが、日本にいてもあまり違和感のないおじさんが多い。

 そしてお目当てのゲルニカを見たのだが、やはり大きかった。これを描いた時のピカソは怒りがあったのだろう。一瞬にして瓦礫になったゲルニカの街。モノクロで描かれた悲惨な叫びだった。
 長い(バスのせいだけれど)旅をしてここまで見にきた。
 もう二度と来ることはないだろうが、そんなに長い時間滞在しなかった。美術館のカフェに入って、カフェオレを頼む。フランスより物価が安い。私は二回目のカフェオレを買ったのだが、二度目は値段が違っていた。ちょっと安かった気がする。よく分からないが、値段チェックは必須だと思った。

 マドリードは治安が悪いと聞いていた。
「パリのスリなんて可愛いもんで、ナイフでざっくり切られるから」
「お金より命が大切だから、財布を放り出した方がいい」
「大きな宝石のついた指輪は指ごと切られる」などと物騒な噂を聞いていた。
 でもこれは噂じゃないから「マジやばいから」と絶対つけ加えられたので、お腹にパスポートといくばくかの現金を仕込んで歩いていた。
 なので、現金をお腹から出さなくていけない時は、しわくちゃで生暖かい紙幣を渡すことになった。

 いつも緊張しながら街を歩いていたが、街は本当に綺麗で、そして食べ物は美味しかった。ホテルの近くのレストランでガスパチョが食べれるランチがあった。そこにふらっと入ったが、ガスパチョ(トマトとピーマンとニンニクの冷製スープ)は本当に美味しくて、ご馳走だった。
 そして本当にシエスタをするらしく、昼間はお店も閉まっていた。不思議な国だと思った。
 昼間の時間、本当に街が眠ったように静かなのだ。
 















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