第90話 ムーラン・ルージュ

文字数 1,890文字

 パリのナイトショーといえば、モンマルトルの丘にあるムーラン・ルージュだ。しかし私は行こうと思わなかった。ニースの短期留学で知り合った恭子さんがパリに来た時に「行ってみたいから、ぜひ行きましょう」と誘われたので、予約していくことになった。
 予約は電話で「日本人です。予約して良いですか?」と開口一番に言う。
 すると相手も心構えをしてくれるのか、ゆっくりと時間を教えてくれたりする。ご飯つきではなくシャンパン付のショーにした。

 ムーラン・ルージュはキャバレーというカテゴリーらしいがキャバレーなんて日本でも行ったことがないからよく分からないまま出かけた。
 席は真ん中で、前の方はテーブルが置いてあって、なんというか素敵な人たちが座っていた。

 ショーが始まって、どの方も素晴らしい身体能力を見せてくれる。しかし私はどうしても昔からそうなんだけれど、舞台に上がる人の舞台裏を考えてしまって、あまり楽しめない。小学生の頃から、演劇に来てくれる人たちにすらそうなのだ。舞台を素直に楽しめば良いのに、今日、ここで演劇を披露して、明日はまた移動して…知らない場所に…と思うと何だか胸が…勝手に…まことに勝手ながら、胸が詰まってしまう。そんなこと考えずに楽しむことが一番なのだが、これは私の癖なのでどうしようもない。
 それともう一つ、どうして胸をさらけ出して踊らなくてはいけないのか…。それがどうしても居心地が悪い。(今はどうなっているのか知らないけれど、二十年前は半裸だった)
 日本の銭湯が裸で恥ずかしいという外国の方が多いらしいが、私は片方が服を着ているのに、片方が裸というのがどうも落ち着かない。
 画家のマネは嫌いじゃないが、「草上の昼食」も女性が一人裸で、男性二人が着衣(しかもなんかきっちりした)の絵も居心地が悪く感じる。
 
 そんな訳でムーラン・ルージュはそんなに私的には楽しめなかったが、恭子さんはその舞台の美しさを堪能していたからよかった。
 
 そして前方の素敵なテーブルに座っている人に見覚えがあった。私はそんなに人付き合いがいい訳じゃないから、見覚えある男の人が誰だか気になって仕方がなかった。
 それは当時、日仏合作として映画が公開されていた「wasabi」に出ていた人だった。日本人なのにとってもフランス語が上手で勝手に「大学教授かなんかにお願いしたのかな?」と思っていたから記憶に残っていた。
 広末涼子のフランス語での演技ということで、トゥール語学学校のみんなが見ていたので、私も見に行った。短期間であれだけフランス語の文を記憶して、同時に演技もして、発音も悪くなかったからすごいという評判だった。私も見に行ってすごいと思った。ただ日本人の弁護士役の男性のフランス語がナチュラルで心から感心して、一体、この人は何者だろう…と思いながら映画を見ていた。だから心に残っていて、彼はその男性だったのだ。

 私は恭子さんに「wasabiに出てた人がいる」と言うと、ピューっとしゃべりに行っていた。その行動力とコミュニケーション能力は本当に素晴らしい。
 彼は関係者、素敵な親族? に囲まれていたのに「映画に出られてました?」と話しかけに行ったのだ。
 しかし否定された。
「私は見ていないんですけど、彼女が見たと言ってて」
(おーい、見てないんかい)と心の中で突っ込んでしまったけれど、私は自分が感心したから覚えていたのだが、本当にそうなのか、不安に感じていた。
「違いますよ」とまた否定された。
 すると横にいた綺麗な和服を着た人が後ろで「そうなのよ」と言いながら頷いていた。
(あ、やっぱりそうなんだ)と思いながら、でも本人は否定してるんだから…と「失礼しました」と帰ることにした。
 正直、「あなたのフランス語素敵でした」なんて言えるほどの立場でもなんでもないし、フランスで映画を見たからパンフレットもないし、俳優名も分からない。ただフランス語ができて、演技ができることに感動して覚えていただけだ。パリに来て、私はパソコンとも無縁だから調べようがなかった。

 そして彼が何者かわからないまま、私の中では勝手にフランス語の大学教授で映画会社からお仕事を依頼されて、たまたま受けて、そして今日はその映画の身内だけのお疲れ様会みたいなので、フランスに親族やらお友達と来たのかなと勝手に思っていた。ソフィスティケートされた方でした。

 今回、これを書くにあたり調べたところ…、在仏三十年で俳優をされておりました。
 あの時は突撃した割に、何もお伝えできずに申し訳ありません。
「とっても素敵なフランス語でした♡」











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