第32話 仕事について

文字数 1,216文字

 深井さんは本当にいい人で「パリに来るときは連絡して。泊まってくれていいから」と言ってくれた。
 本当にいい人で優しい心の持ち主だった。日本では美容師をしていたらしく、腕もよかったと思われる。人当たりがすごくいいので、お客さんにも人気があっただろう。でも彼女なりに何か思うところがあって、フランスに来たようだった。嫌いな仕事じゃなかったけど、続けるのが辛かった、そんな話をした。

 私は仕事が嫌いで、超氷河期に就職できたものの、不平不満を抱えて仕事をしていた。ただ周りの人が本当に良かったから続いたものの、仕事は全く合っていなかった。文章を書く仕事もしたけれど、好きなことを書く仕事ではなく、相手の意向に沿った内容を書く仕事だったので、それはそれで辛かった。少しもそんなこと思っていないのに、そう書くしかなかった。
 そんな仕事をしていたから、レビューとか、そう言うものを見て、これは本当のことなのか、そう書くしかなかったからそう書いたのか…分かるようになった。
 映画のレビューも書いて、仕事の先輩から「あの映画、そんなに良かった? 見てみたいなぁ」と言われたけれど、私はほぼ眠たくて鑑賞しながら寝かけた。
 「いえ。映像はよかったですけど…」と答えた。
 仕事とは言え、嘘をつくのが辛くなってきた。
 でもまだレビューの仕事は良かった。

 地方新聞の旅行記みたいな仕事もあった。飛び込みでそのお店紹介するときは、お店の人とコミュニケーションを取らなくてはいけない。初めて会う人の懐に飛び込むのが得意ではなかったので、甚だ苦痛だった。突然訪問するものだから、こっちもいきなり怒られたりした。
 掲載するのに無料だったが、有料だと思い込んで、お店の人に警戒されたり、本当に辛かった。カメラマンも同行しないことが多く写真も自分で撮る。自分でそうして書き上げたある地方の旅行記だけど…。私が取材したのは初夏で、紙面になるのは秋の手前。秋の行楽に、ということで書いた時と発行するまでにタイムラグがある。
 私が取材したあるお寺の塔が発行する直前に台風だったかで、倒れた。苦労して取材した意味がなくなった瞬間だった。もう差し替えも無理だったから発行したけれど、その紙面を見て、見に行く人はいなかっただろう。
 向いてない。
 私にこの仕事は神様も
「向いてない」と言ったに違いない、と思った。

 そんなことで私はフランスで、日本に帰ったらどうしようかと考えていた。

 フランスの人はレジでも買い物客に挨拶をする。そして「元気? どう?」と会話もしてくれる。「元気。ありがとう。あなたは?」と聞くとにっこり笑って「元気よ」と言ってれる人もいた。
 私は彼女の笑顔が眩しくて、レジの仕事であれ、どんな仕事であれ、次は自分が心から笑える仕事ができたらいいなと思った。

 深井さんも今はどうしてるか分からないけれど、本当に心から楽しんで仕事ができてたらいいなと今でも思う時がある。 















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