第80話 母の途中下車

文字数 1,104文字

 私の母はデザイナーになりたくて、五島列島から東京に向かった。割と裕福な家だったようだが、田舎のお嬢さんの怖いもの知らずで家を飛び出し、東京へ行こうとした。
 当時は一日で東京に着くことはないので、大阪で降りた。

「あれが失敗だった」と呟いていた。

 大阪に知り合いの服飾の先生がいたらしく、「東京なんて厳しいから、大阪で暮らしなさい」と説得されて、途中下車の大阪で生活することになった。
 ちょっとだけ怖気付いたのだと思う。
 勝手に家を飛び出したので、一切の援助がなく、アパートで暮らし、オーダーメイドの服を作っていた。(きっと彼女のしたい仕事ではなかったかもしれない)
 そこで、これまた福岡の田舎から出てきた父と知り合い、結婚し、夢を手放し…といった人だった。

 だから私がフランスに行くと言った時は特に応援もしなかったが、反対もせずに、時々、手紙を書いてくれた。
 古風な人なので、メールの仕方も分からないから、連絡手段をとるために封筒にトゥールの住所をたくさん書いて、それを送った。パリに移動したら、パリの住所を書いた封筒を送る。それを郵便局に持って行って手紙を送ってくれたようだった。
 内容は自分もやりたかったことを最後まで出来なかったから、少し後悔しているということと、できることをしたらいい、ということが書かれていた。

 私の母は戦中に生まれていたから、古風な考えもあった。だからずっと母親だったし、その役目をきっちりこなしていた。
 ご飯も手作り、出汁も煮干しからとって味噌汁を作ったりと、今で言う、添加物がほぼ入っていないようなご飯の作り方をしていた。もうデザイナーを夢見ていた少女だったという片鱗は少しもない。もちろん、小さい頃は服を作ってくれたりはしていたけれど、少しも楽しそうではなかった。
 子供の服を作る…それは夢が叶わなかった現実を教えられたからかもしれない。

 そんなわけで私は母の気持ちなんか少しも考えずに好き勝手に生きて、フランスで初めて母の本当の気持ちを知ったような気がした。

 あの時、途中下車しなければ…、とずっと後悔していた。
 私の行動に自分の想いを重ねたのかもしれない。
「だからお母さんは応援しています」と体を心配する言葉が書かれた手紙を読んで、少し胸が詰まった。
 私はずっとこれからどうしようか考えていた。

 何としてでも…フランスに残る…そういう手もあったかもしれない。日本にいる彼氏と別れて、ここでやっていくんだ、と踏ん張る道もあったかもしれない。
 ある意味、私も途中下車をしたのかも…。
 パリは素敵な街で、私にとってはご褒美だった。でもここで一生暮らすという覚悟はできなかった。







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