第83話 パリで決めたこと

文字数 1,316文字

 私はもっぱら日本語の歌を聞いていた。歌の歌詞を聞けば、聞くほど、表現の豊かさに頷いてしまう。

「外国語を学ばなければ、母国語を理解しません」とかつて、ドイツ語の先生がそう言った。
 文豪ゲーテの言葉だということを後から付け加えて。

 そういうのとは違うかもしれないけれど、私はフランス語を学んで、中途半端だから余計に日本語が眩しく見えた。
 この自由自在に使える言語で何か表現したい、と思った。
 そこから小説を書くことにした。私が小説を書き始めたのはパリでだった。誰にも邪魔されず、自分の想像の世界に一日中、没頭できる。そしてありとあらゆることを自在に表現できなかったフラストレーションが解消されていく。

 ちなみに智子は夢でうまくフランス語の言葉にできなくて、喋ろうとしたら、口の中からゴムみたいなものが延々と出てくるという悪夢を見たらしい。

 人間は大なり小なり表現したい、と思う生き物だ。自分の気持ちであれ、なんであれ。
 パソコンを持っていない私はノートを買って、そこにまず下書きをした。うまく行かないこともあれば、うまくいくことも全部ノートに書いた。そこから応募しようと、原稿用紙を彼氏に送ってもらい(いい人だなぁ)、作品を書いた。

 パリでは二作くらい書けた。その内の一作が「星影ワルツ」である。その時書いた、そのままではないけれど、今アップしてるものの、内容は大体同じ感じだったと思う。昔、書いたものが手元にない。多分、捨ててしまったと思う。

 後、一作はまた今後書くかもしれないし、書かないかもしれないけれど、二作品書けて、帰国した。
 帰国後、色々書いて、「東のひつじ雲 西の太陽」という作品を坊ちゃん文学賞に応募した。
 まさか最終候補になるとは思っていなかったので、またパリに遊びにでも行こうかと思って飛行機を取っていたが、「最終候補者を松山にご招待」という、良いのか悪いのか…その提案を受けて、キャンセルした。
 結局、成果は最終止まりということで、パリに行けばよかったんじゃないか? とも思ったけれど、松山で緊張して、ちょっとテレビにも映ったらしい。

 パリに行って、私は小説を書き始めた。
 閉ざされた空間で、一人きりで、日本語の中にずっと沈んで書いた。外に出れば日本語なんて何一つないような場所だから、深く深く沈むことができたと思う。

 私はスーパーの帰り道、歩道の脇に植えられた植木を見上げて、空を見た。木漏れ日が落ちる午後だった。

「次は自分が心からしたいと思えることをしよう」

 かつて文章を仕事で書いていた。あの時は本当に辛かった。思ったことを書くこともあったが、そうでないこともいいように書いて、嘘をまるで本当のことのように書いていた。すごく辛かった。だからもう文章なんて書きたくない、と心底思った。
 本当は文章を書くことが好きだったのに、大嫌いになっていた。

 そんなことも忘れていたけれど、小説だったら、全て自分の世界で、心苦しい嘘までつかなくていい。そう思うと、忘れていた気持ちが蘇ってきた。

 私は空想壁で、文章を書くのが好きだったということを。
 しかしまた…私は数年後に書けなくなってしまう。それはまた別の話だけれど。










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