第16話 レベチな授業と優しい台湾人

文字数 2,766文字

 八月後半に入って、ひと月の夏期講習が終わった。そこで帰る人もいれば、次のコースに進む人もいる。私は後者だったから、先生が判断してクラスを二クラスほどアップさせていた。

 それは私にとってかなりハードなクラスでついていくのも大変だった。男の先生で、面白いのだが、内容が初級者とは全然違うし、フランス語を読むレッスンもあったが、もうこれについてはお手上げだった。

 以前のクラスの先生が歩いていたので、「私には難しすぎます。クラスを変更してほしい」と言ったら、「試してみなさい。きっとできるから」と言われた。
 まぁ、そう思ってくれたからそのクラスに入れてくれたのだろうけれど…、毎日が恐ろしいくらい分からなかった。

「モンデュー」と先生はことあるごとに言う。
 フランス語は音と綴りが割と正確なので、辞書を引くが、なかなかない。数日考えて、一つの単語ではなく、二つの単語が組み合わさったセリフだと言うことが分かった。
「モン(私の)デュー(神様)」だというつまり英語で言うなら「オーマイゴー」と言うセリフだったのだ。
 数日考えて、分かった時にはある意味感動したが、一時が万事、こんな調子で私にはレベルが合っていないように思えた。
 同じクラスの日本人もいたが、東大の院でフランス語を専攻していた女の子や、某有名私立大学のフランス語の先生がいた。院生の女の子は「私は知っていることばかりなので、このクラスは簡単すぎる」と思っていて抗議していたし、有名私大の先生は「ひと月後には別の大学で死ぬほどフランス語を勉強しなくてはいけないので、ここは軽く慣らす感じでわざとテストを回答してない」と言う感じだった。
「難しすぎて、私にはこのクラスがあってない」と呟くと、私大の先生は「頑張ってついていかなきゃ」みたいなことを言ってきて、自分は力抜いたくせにとムカついた。
 院生の女の子のクラス変更は聞き入れられず、結局、私だけ、わからないまま授業を受けた。

 今回のクラスにはスペイン語を母国語とするメキシコ人が多かった。スペイン語とフランス語は似ているらしくリーディングの授業は彼らには難しくないようだった。ただし同じ単語でも発音が違うことで、大変そうだった。
「ボワイヤージュ(旅行)」と言う単語があるのだが、どうしてもスペイン語に引きずられるらしく「ボワイジャジェ」と言っていた。
 リーディングになると全くのお手上げの私は、これが中国語だったらなぁ…きっと意味が他の国の人より分かるのに、などとくだらないことを想像していたら…にやけていたのだろう、担任に「何か面白いこと書いてたか?」と言われた。
 何が書いてるのかさっぱりわからない。慌てて俯いた。

 その先生はそれなりに劣等生の私を気にかけてくれたようで、「誰と連《つる》んでるのか?」と聞いた。
「台湾人の友達です」
 私は日本人の友達がいなくて、台湾人の優しい女の子たち三人と一緒にいた。
「じゅ すい ふぁてぃげ とかスローに話してるだろう? 欧米の友達と連みなさい」と言われたが、欧米の人のスピード感溢れる会話はできそうになかった。

 それでも日常、分からないなりにフランス語を使っていたのだから、自分の中では褒めていいと思っていた。語学で、いわゆる、読む、話す、聞く、書くと言う技能はそれぞれ独立している。
 赤ちゃんは聞くから入るが、大人になってからは私は「話す」から始めるといいと思う。自分が言いたいことを外国語に変換することによって、文法も入ってくるし、聞く能力も上がってくる。
 書く、と読むは本当に難しい。

 台湾の女の子たちは本当に親切で炊飯器で大きな蒸し卵を作ってくれたりして、本当に大好きだった。それぞれ、フランスでやりたいことや、夢があって、この学校に来た。奨学金を得て来た人、自費で来た人もいたけれど、この語学学校からさらに大学へ進む予定になっていた。

 彼女たちは最初は学校の寮にいたけれど、パソコンを盗まれたりして、嫌になって、語学学校の先生に相談したら、とてもいい先生で保証人になってもらって、アパートを借りることができたらしい。

 朝、私は学校の側のアパートの一階に住んでいるので、通りすがった彼女たちに窓から声をかける。でも寝ぼけていたのか、私はなぜか日本語で「あ、おはよう。もう行くの?」と喋りかけてしまった。
 彼女たちがあまりにも日本人のような外見だったからかもしれない。脳がバグって、日本人じゃないと知っているのに、つらつらと日本語が止まらなかった。困惑した顔を見て、
「あ…ごめんね」とそれも日本語で言った。
 そしてフランス語で「日本人じゃないって分かってるんだけど、うっかり話しかけてしまった」と言うと笑ってくれた。 

 彼女たちは近くのお城見学に行くと言う時も私を誘ってくれた。異国で、異国の友達ができて、私はすごく嬉しかった。

 一方、大学院の女の子は諦めたようにクラスにいたが、私と話す機会があって、自分は「院生でたまに何をしているんだろうと思うことがある」と言った。
「え?」
「同じ年の子は就職したり、結婚したりしてるのに、私はフランス語の勉強をして…」
「したくないことしてるんじゃないよね? したくてしてるんでしょ?」と私は聞いた。
「…うん。でもなんか罪悪感があって」
「何の? 資金面で? …ご実家はいいって言ってくれてるの?」
 実家は医者で、資金面では問題ないらしい。だからなのか、余計に何だか心苦しいと思っているようだった。
「いつまでも遊んでる…訳じゃないけど、そんなふうに思われてて」
「うん…。そりゃ、誰でもが勉強したいって言って、ずっと勉強できる訳じゃないからね。才能や努力、環境とか、お金とか。でも、あなたはその才能や環境、お金もあるんだったら、できない人の分も勉強したらいいと思うよ」と言った。
「え?」
「だって、申し訳ないって思ってるんだったら、その分、勉強する以外ないじゃん。頑張って」
(我ながらいいこと言ったなー)と思った。
 彼女が何を思い詰めているのか分からなかったが、最終的にやっぱりクラスを変わっていった。

  そして仲よかった環はノルマンディーの大学に行ってしまったのだが、行く前に
「超感じの悪い日本人の男の子がいるんだよねぇ」と私に言っていた。
「へぇ」
 何かパソコン室のことを聞いた時に、ひどくぶっきらぼうだったらしい。
「それなのに、うちのクラスのスペイン人の女の子が可愛いって言ってるの。絶対可愛くないし」
「そっか。どんな子? まだトゥールに残るのかな」
 名前を聞いた。
「残るって言ってたと思う。…綾ちゃん、姉さんって言われるようになってたりして」と言われて、思わず吹き出した。

 まさかフラグを立ててたとは…思わずに「姉さんって」と大笑いしていた。










 
















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