第79話 人生のご褒美
文字数 1,741文字
私は苦労して入った会社で
「私はこんなことをするために生まれて来たんじゃなーい」と思っていた。(何様ですか?)
真面目に(堅物なので)やってるということだけが、取り柄だったけれど、会社というところはザ理不尽な世界だった。
まぁ、色々あるけれど、天下りしてきた上司がものすごく意地悪な人で弱いモノいじめもするという典型的な嫌な人間だった。良くこんな人間が人の上に立つなぁ…と若造の私でもそう思ったが、横暴で傍若無人に振る舞っていた。
「残業するな」と言ってくるが、仕事内容がまるで分かっていないのにそう言う事を言う。
バイク便が夜21時に来るのを受け取ってから作業があるのに、どうやって、残業をしないでするというのか。上司自身は五時に帰って、何も知らないのに「なんで残業するのか」と怒っている。大体印刷業者というのは絶対、前倒しになることはなくて、結局、後ろ倒しになるということも分からないのだろうか。
…と言いたいことは山ほどあるのだが、まぁ、結局その上司もさらに上の人に嫌われて、違う会社に飛ばされて…ということになったららしい。(私が辞めた後で)
きっと彼なりにいろんなことがあって、あぁ言う性格になったのかもしれないが、私にとっては関係ないことだった。
仕事が楽しくやれたら、フランスに行こうとかそんなこと考えることもなかっただろう。
でも幸か不幸か、変な人間が上司になったせいで、冒頭の台詞が魂の叫びとなって出て、フランス語教室に通うようになり、仕事を辞めて、フランスまで来ることになった。
だからたまに思うことがあるのだけれど、マイナスな出来事が強いきっかけになったりするので、マイナスな出来事が必ずも不幸か、というと分からない。どんなことがあっても、それは自分自身の行動次第でどうとでもなるというか、どうとでもしていかなくてはいけない、と思っている。
そんなわけで、嫌な上司のおかげで、仕事が嫌になり、私はあれほど苦労して、掴んだ職を辞めて、フランスに行く方へ進んだ。
フランスに留学するというと、大抵「遊びに行くね」と言われた。
大概、いろんな人が「遊びに行くから、落ち着いたら連絡してね」と言ってくる。
私は堅物で、真面目なので、一応、言われたのを覚えていて、連絡した友達がいた。それは結婚をしていて、まだ子供がいない友達だった。子供ができたら、きっと遊びに来ることはできないだろうから、先に連絡しておこうと思ったのだ。
トゥールでは住むところが変わったりしたし、旅行で来るにはパリの方が来やすいだろうと思って、パリに引っ越してから連絡することにした。
家に電話がなかったし、その頃は国際電話は高かった。スカイプというのは存在していたが、そもそもパソコンを持っていない。携帯で海外通話をするとすぐにチャージしたお金がなくなってしまうので、公衆電話から電話した。どこか大きな駅だったと思う。
友達の夫さんが出てフランスから電話をしているというと驚いたような声で慌てて友達を出してくれた。
「パリに引っ越せたから、もし来れるなら…。後半年くらいはいるから…」と言った。
「そうなんだ。すごい」と彼女は言ったが「来る」とは言わなかった。
私もそんな気持ちがして、彼女が来れない理由を言っている時、目の前の景色をぼんやりみていた。青味がかったグレーのパリの屋根が連なる風景が広がる。電話の向こうは日本で、私が見ている世界はフランスだった。その遠く離れた距離を感じて、電話を切った。
別に彼女に来て欲しいと思ったわけではない。ただ私がパリに引っ越したから、来ると言っていたから、義理堅くお知らせしただけだった。
でもその電話で私は遠くの日本と、今いる世界の距離を感じて、これはご褒美だ、と思った。
人生のご褒美。
特に何をしたわけでもない。
ただ真面目に生きてきて、そして私はそれなりに努力した。会社が嫌だから、嫌だ嫌だとは言っていたが、語学学校に通ったし、通勤途中にずっとフランス語を聞いていたりしていた。
扉はノックし続ければいつか開く。
諦めずに、ある方向へ歩き続ければ、きっといつか辿り着く。
そんなことを感じた電話だった。
私がパリにいる、それは人生のご褒美だ、と思った。
「私はこんなことをするために生まれて来たんじゃなーい」と思っていた。(何様ですか?)
真面目に(堅物なので)やってるということだけが、取り柄だったけれど、会社というところはザ理不尽な世界だった。
まぁ、色々あるけれど、天下りしてきた上司がものすごく意地悪な人で弱いモノいじめもするという典型的な嫌な人間だった。良くこんな人間が人の上に立つなぁ…と若造の私でもそう思ったが、横暴で傍若無人に振る舞っていた。
「残業するな」と言ってくるが、仕事内容がまるで分かっていないのにそう言う事を言う。
バイク便が夜21時に来るのを受け取ってから作業があるのに、どうやって、残業をしないでするというのか。上司自身は五時に帰って、何も知らないのに「なんで残業するのか」と怒っている。大体印刷業者というのは絶対、前倒しになることはなくて、結局、後ろ倒しになるということも分からないのだろうか。
…と言いたいことは山ほどあるのだが、まぁ、結局その上司もさらに上の人に嫌われて、違う会社に飛ばされて…ということになったららしい。(私が辞めた後で)
きっと彼なりにいろんなことがあって、あぁ言う性格になったのかもしれないが、私にとっては関係ないことだった。
仕事が楽しくやれたら、フランスに行こうとかそんなこと考えることもなかっただろう。
でも幸か不幸か、変な人間が上司になったせいで、冒頭の台詞が魂の叫びとなって出て、フランス語教室に通うようになり、仕事を辞めて、フランスまで来ることになった。
だからたまに思うことがあるのだけれど、マイナスな出来事が強いきっかけになったりするので、マイナスな出来事が必ずも不幸か、というと分からない。どんなことがあっても、それは自分自身の行動次第でどうとでもなるというか、どうとでもしていかなくてはいけない、と思っている。
そんなわけで、嫌な上司のおかげで、仕事が嫌になり、私はあれほど苦労して、掴んだ職を辞めて、フランスに行く方へ進んだ。
フランスに留学するというと、大抵「遊びに行くね」と言われた。
大概、いろんな人が「遊びに行くから、落ち着いたら連絡してね」と言ってくる。
私は堅物で、真面目なので、一応、言われたのを覚えていて、連絡した友達がいた。それは結婚をしていて、まだ子供がいない友達だった。子供ができたら、きっと遊びに来ることはできないだろうから、先に連絡しておこうと思ったのだ。
トゥールでは住むところが変わったりしたし、旅行で来るにはパリの方が来やすいだろうと思って、パリに引っ越してから連絡することにした。
家に電話がなかったし、その頃は国際電話は高かった。スカイプというのは存在していたが、そもそもパソコンを持っていない。携帯で海外通話をするとすぐにチャージしたお金がなくなってしまうので、公衆電話から電話した。どこか大きな駅だったと思う。
友達の夫さんが出てフランスから電話をしているというと驚いたような声で慌てて友達を出してくれた。
「パリに引っ越せたから、もし来れるなら…。後半年くらいはいるから…」と言った。
「そうなんだ。すごい」と彼女は言ったが「来る」とは言わなかった。
私もそんな気持ちがして、彼女が来れない理由を言っている時、目の前の景色をぼんやりみていた。青味がかったグレーのパリの屋根が連なる風景が広がる。電話の向こうは日本で、私が見ている世界はフランスだった。その遠く離れた距離を感じて、電話を切った。
別に彼女に来て欲しいと思ったわけではない。ただ私がパリに引っ越したから、来ると言っていたから、義理堅くお知らせしただけだった。
でもその電話で私は遠くの日本と、今いる世界の距離を感じて、これはご褒美だ、と思った。
人生のご褒美。
特に何をしたわけでもない。
ただ真面目に生きてきて、そして私はそれなりに努力した。会社が嫌だから、嫌だ嫌だとは言っていたが、語学学校に通ったし、通勤途中にずっとフランス語を聞いていたりしていた。
扉はノックし続ければいつか開く。
諦めずに、ある方向へ歩き続ければ、きっといつか辿り着く。
そんなことを感じた電話だった。
私がパリにいる、それは人生のご褒美だ、と思った。