第50話 初パリの思い出 その二 それは私のカメラ

文字数 2,857文字

 パリのサンラザール駅から乗って、乗り換え一回で目的地には着くのだけれど、パリから一歩出るだけで、ものすごく風景が変わる。田舎の風景になった。もちろん、ムッシュークサカも一緒にいて、嬉しそうにフランス語の練習だと言って、切符を窓口で買うように言われた。
(ドイツ語履修していることをなんとなく言えないままだったので私は心の中で舌打ちしながら窓口で買った)

 何だか一人で相変わらず喋っていて、イタリアに行った時、ちょっとイタリア語風に語尾を帰ると通じるんだよーと嬉しそうに話していた。窓の外は少し曇っていて、雨が降るか、降らないかギリギリの雲行きだった。
 
 私はゴッホが好きで、どうしてもゴッホのお墓に行ってみたかった。(有名人のお墓に行きたがる行為は日本人特有らしい)
 ゴッホは日本に憧れて、南仏のアルルを日本だと見立てて、移り住んだ(まぁ、全く違うけれど、地理的に日本は南だ、という知識で南に下ったのだろう)ほど、日本フリークだった。たくさんの浮世絵をコレクションし、また自ら模写もしている。西洋絵画と全く違う表現の浮世絵はゴッホにとって面白かったようで、日本人風の自画像まで描いていた。

 そんなゴッホだから日本からたくさんの人がお墓まで来て、驚いているかもしれないし、嬉しく? 思ってくれているか? それはわからないけれど…、とにかく行ってみたかった。お墓だけでなく、今はゴッホが最後に泊まっていた宿が残されていて、部屋も見学できるようになっている。一階はレストランになっていて、一応(勝手にだけど)つきそいしてくれてるし、ムッシュークサカにムール貝(一人前をみんなで分けた)をご馳走になっていたし、でここは私たちがご馳走しようと、話していた。
 そこで初めてウサギの肉を食べた。まぁ、美味しかったけれど、それ以来、別に食べなくてもいいかな…と思った。
 ゴッホの小さな部屋を見て、私は胸に来るものがあったし、街を歩いてもやはりセンチメンタルな気持ちにもなった。曇天がそうさせたのかもしれないけれど。

 ところが、ムシュークサカはマイペースなのだ。私はカメラを持っていたが、当時はデジカメなどもなくフィルム式だった。フィルム式だから貴重なのだ。確認もできないし、もちろん撮り直しもできない。貴重なフィルムを使って写真を撮るのだから、構図やらきっちり考えてからシャッターボタンを押さなくてはいけない。今みたいに加工アプリがあるから「後からカットしたらいいか」というわけにはいかない。
 しかもここはフランス。さらにここはオーヴェルシュルオワーズ、また来たら良い、と気軽に言える場所ではなかった。(まぁ、パリから行きにくい場所ではないが)

 もう二度と来れないかもしれない、という思いで、カメラを引っ提げてやってきたのだ。

「ねぇ、そのカメラ貸して」
 ムッシュークサカはそんな思いも微塵も気にせず私のカメラを寄越せという。でも嫌ですと言えずにそのまま渡した。もちろんそんな彼だから気にせずパシャパシャ取りまくる。
(貴重なフィルム、失敗したら許さん)と念を送ったが全く気にしない様子だった。

 だから彼が、オーヴェル教会の写真も撮った。ゴッホの見た、描いた教会が今も同じように残っている。

 私はお墓に供える花を買いたかったが、それをムッシュークサカに告げると「花? 道端にあるやつを抜いたらいいじゃん」とあっさり言って、花屋を探すこともなかった。そして道端の雑草のような花を私は必死で集めた。ミゾが同情して少し集めてくれたけど、私はまぁ、花束と言えるくらいにはなったかなっと思っていると、ムッシュークサカが自分もちょっと引っこ抜いた数本の花と「それかして」と私のを取り上げて、一緒にして、そのまま自分でお墓にぽんと置いた。

 カメラは我慢した。しかし…こ…こ…これは…、私の沸点がマックスになった。
「こ…」いつと思ったが、目の前にはゴッホと弟テオのお墓が仲良く並んでいる。

 ずっと兄の才能を信じて支えていた弟テオは兄が亡くなった後、自身も精神を病んでしまい、半年で命を失った。

 そんな二人の前で、私はわざわざ日本から来て、怒ることはないと、不服には思いながらも手を合わせた。

「はるばる日本から来ました。憧れていた国の日本から、来ました。今、日本ではあなたの絵は大人気で、かつてあなたが浮世絵に憧れたように、あなたの絵が日本では大人気です」

 そんなことを言った時だった、雲が切れたのか、光が差し込んできた。本当に綺麗な光で、空が明るくなった。偶然かもしれない。
 でも
「よく来たね」と言ってくれたような気持ちになった。

(あぁ、来てよかった)と心が洗われた。

「私はあなたの絵に会えて、本当によかったです」

 そして私は心が洗われたような気持ちだったので、その後、ムッシュークサカの奇行にも何の引っかかりも感じなくなった。麦畑に行こうとして、なぜかとうもろこし畑に入り、背の高いとうもろこしの葉の中で、ムッシュークサカがかくれんぼを始めた時も、全く気にならなかった。もう用事は済んだので、さっさと帰りたかったが、気が済むまで放っておいた。

 帰りの電車がほぼ一時間に一本だったか、本数が少ない。
「時間とか気にしないから、私たちが気にしよう」とミゾと話していた。

 電車を待つのに、駅前のカフェでジュースを飲んだ。相変わらず一人で喋っている。案の定、放っておいたら独壇場になって、乗り遅れるところだった。乗り遅れたら、また一時間の独壇場が続く。絶対阻止しようとして、二人で時間ばかり気にした。

 無事に電車に乗れて、もう二度と会うことはない…、と安心した。

「ねぇ、君たち、僕の研究室でアルバイトしない?」と言われた。
 意外なことに時給はよかった。
 それに同じ大学だし、交通時間を取られることもない。ミゾは行くことにした。
「君は?」と聞かれて、私は今まで黙っていた違う大学の学生だということを言った。

 気まずい帰りの電車になった。ムッシュークサカは本能的勘が働くのか、知らなくていいことを知ってしまった。しかもドイツ語を履修していることまで聞かれた。

 そんなわけで、私のゴッホのお墓参りは人生初のお墓参りで(ご先祖様すみません)、忘れられない記憶がたっぷりとできてしまった。

 後日、ムッシュークサカは写真だけでなく、フィルムもくれ、と言われたので、そこだけ切ってミゾに渡してもらった。
 ミゾから聞く相変わらずの気候はもう笑い話にしかならないけれど、どうやら学生時代はものすごく真面目だったらしい。性格もあんな感じじゃなかったと知り合いの先生から聞いた、と言う。
 まぁ、フランスで留学していたというのもあるかもしれないが、多少、マイペースな方が合うかもしれないが、あれはタガが外れてしまったパターンのような気がする。

 いや、今書いてて、ふと思ったんだけど、意外と女子大生二人と一緒にどこかへ行くので浮かれていたのかも? とあれから三十年経って思う私がいる。



























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