第88話 悪計

文字数 2,017文字

有刺鉄線が張り巡らされ おざなりに「立ち入り禁止区域」の看板が下がった簡素な鉄扉を押し開けると 遠くに霞む「屍」を見遣った。
澱んだ大気の所為で 幽霊の様に其の足元が見えない。
禁止区域 か ―
もっと奥に行けば、正しくそうなのだが 此の辺はただの廃墟でしかない。
行き場の無い子供達は 此の場所で死を目の当たりにする。

狂気に満ちた抗争で命を落とす者 見放されて廃墟を彷徨い、朽ち果てる者
黒い蝶が憑かずとも 人は簡単に奈落に堕ちる

闇は深まるばかりだ ―

青陽は処置無しと言った溜息を一つばかり吐くと 白く乾いた土壌を、いつもの気怠い足取りで歩き 街との境に停めた車へと向かった。
上着のポケットに手を入れると、煙草を取り出す。
簡単な話をするだけだったが、興味深い連中ではあった。



音の無い世界に走行音を響かせて 悪路に車はがたがたと激しく揺さぶられながら廃墟を後にする。
流石の青陽も話でしか聞いた事が無い。
蒼蓮会が守る「禍源の封域」は 「禍い神」が封じられた場所だ。

封印が解かれたのは  遥か昔 神と人が世に共存していた時代
誰かが   隠された其の場所を見つけ 扉を開くと  禍が無数の黒い蝶となり

此の地に闇を齎した

時代は流れ
幾度と無く都市開発の手が及んだが 穢れた土壌には死病が蔓延し
巨大なビルの群れは いつしか「禍い神」の墓標となった
奈落の闇に沈んだ廃墟で 黒い蝶は増え続け ― 其れは人の目には見えない ―
生まれ出る闇は 更なる深い闇を呼んだ

「蒼蓮会」の祖は 封印が解かれた時から戦い続けている。
現在 此の地は「蒼蓮会」の領地と為り 「大いなる災禍」は未然に封じられているが
其の現状は、二転三転し 今此の時も 闇との攻防は続けられている。
腐敗した此の世は黒い蝶の温床で 次から次へと生まれる黒い蝶を 未だ止める手立ては無い。
幾ら黒い蝶を祓った所で 「本体」を討たねば 広がり続ける「闇」を止める事は出来ない。

「封域」に舞う黒い蝶  廃墟には強い瘴気が渦巻き  穢れた土壌には生命も無く

蒼蓮会の者ですら 彼の地に赴くには相応の覚悟が必要になっている。
瘴気に冒され 自ら命を絶った者も少なくない。
忍び入った部外者は 二度と戻って来ない。



にしても ― 到頭やってくれたか。
悪を極めた黒鬼が 唯の鬼子など養子にする筈が無い。裏があるとは重々承知の上でいたが 真逆の非常事態だ。
此処まで来れば もう為る様にしか為らない。此の先あの男がどうするつもりか 等、余計な詮索はしない方がいい。

ただ一つだけ 気になる事がある。

断じて弁護をする訳ではないが あの日 黒鬼が私欲の為だけに「封域」に入り、悪計に邪魔な「回収屋」を始末したとは思っていない。
長連中の中で最も扱い辛く、動向には度々手を焼いてはいる。蒼連会で黒鬼に「力」で勝る者はおらず 誰に、何に対しても躊躇も容赦もしない真性の鬼だと知らぬ者はない。極悪非道な振る舞いなら常套化しているが、「此方側」の同族を討つ程ではない。相手の出方と同等の処置を執るのは、時と場合に因ってはやむを得ないだろう。

で互いに行き過ぎたとしたなら ― どちらかが 裏切り行為に出たと言う事だ。
頭の切れる男だから何か考えが在るのだろうが 黙して語らない性格が要らぬ誤解を招く。
例の一件には 青陽も少なからず疑念を抱いている。

「封域」を包囲する陣を敷いているのは「五嶺皇」だ。
「封域」に異変があれば 「五嶺皇」が真っ先に討って出るのは当然  其れを何故 隠密に終わらせようとしたのか。
あの時 あの場所に 「回収屋」と贄の子以外に誰が ― 「何が」居たのか。
今以て青陽に分かっているのは 居合わせた者全員が、此の世から抹消されたと言う確固たる事実だけだ。
其れ程の「力」を持ち得るのは「五嶺皇」か ― 或いは

其の真意を探るのは青陽の「仕事」では無い。
此の件に深入りすれば 青陽とて「消される」可能性は十分にある。
今以上の面倒事は御免だ。
アクセルを踏み込むと 青陽の車は追い縋る闇を振り切って、虚な街へと走り去った。



「つか 何食ってんの其れ」
抑揚の無い声を掛けられて
「何って何? リュックの中に入ってるだろ」
予想通り 質問の真意を分かっていない怪訝な顔と、そんな事も知らないのかと軽視した答えが返って来た。
「… へー」
先の戦いで心身共に疲弊の真っ直中にいる級友が、長旅の序盤で食糧に手を出したからと言って 咎め立てするつもりは無い。
「あっちぃー
「もうムリ。休憩」
学院に戻ろうと思えば、さして時間もかからない様な場所までしか来ていないが 夜半になっても大気の熱は衰えず 暑さに弱い雪鬼には酷だろうと言う事も頭では理解している。
頑是無い子供の引率を任され、先行きが不安になっただけで どれも大した問題ではない。

真面な思考を持って、文句も言わずに ― 口がきけないだけだとは言え ― 大人しく従ってくれているのが 闇堕ちした鬼だけだとは






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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきりにこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。ひねくれ者。

蒼鷹一縷(そうよういちる)弐弧が廃墟から連れて来た堕鬼。気分屋。

新那慧(にいなけい)呪い返しの「力」を持っている。率直が過ぎる弐弧の同級生。

鵺杜守甜伽(やとのかみてんか)弐弧と一縷を捕らえに来た「回収屋」。今は寸鉄人を刺しに来る同級生。

将生眞輪(まさきまりん)鬼虎こと鬼刄の長、将生刀豪の養女。「鬼姫」と呼ばれる魅惑ボディの同級生。

皇シ貴(すめらぎしき)蒼蓮会・魅鹿の長。チャラチャラした雪鬼の同級生。

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