第28話 新たな始まり

文字数 2,225文字

「弐弧ー、真面目にやってくれよ」
抑揚のない声にそう告げられ 百鬼弐弧は顔が紅潮するのを覚えた。
「… !
「まだ途中なんだよ」
苦しい言い訳だとは思ったが 其れは相手も承知している様で
「鉄板のセリフじゃん」
「まだ悪化させる気かよ」
「お前、感覚が鈍いのか絵が下手なのかどっちなんだ?」
とたたみ掛けてくる。
弐弧の能力は危機的状況でなければ発揮されないし 此れは「予知」を働かせる様な緊急事態でもない。
背中合わせで互いの肖像画を描くと言う一風変わった授業で ろくに見てもいなかった相手の顔を朧気にしか思い出せず 忠実に描けないからと言って此の言われ様はあんまりではないだろうか。
「あら、貴方よりはマシじゃないの?」
「新那(にいな)画伯」
弐弧の隣りに座っている少女が冷淡な口を挟む。
此の学院に転校して来てまだ日も浅い隣人の窮状を救った訳では無く もの申さずには居られない性格上 あからさまな侮蔑を込めて発言されたものだった。
「いやいや、お前の抽象画の才能には勝てねーわ」
「酷い絵ね…」
二人の後方から侮辱の言葉が銃弾の様に返されて少女の体を貫く。
「はぁ?!何よ!貴方こそ、其れ私じゃないでしょうね?」
非難を受けた少女は即座に反応し 鬼の形相で応酬した。
「如何して聞くの…?」
「あたしは悪くないわ」
気怠く蠱惑に満ちた声が冷淡に答えると
「悪意しかないわよ!貴方の目、硝子玉で出来てるんじゃないの?!」
良く透る甲高い声が其れを打ち消す。
要するに 此処に居る四人共絵が下手なのだ。
侮辱に対して毅然と立ち向かっているのは あの時「甜伽」と呼ばれていた少女だった。


あれから一ヶ月 ―
目を覚ました時から 日々は目まぐるしく流れ
時折 化け物に喰らいつかれたあの日の事がトラウマとなって苦しめられる事もあったが 今の生活は以前に比べれば幾分かマシだと思えた。
だが
最初の目覚めは酷いものだった。


其処には 何の音もない
乾いた大地は紙の様に白く 底無しの闇に包まれた空間とくっきりと分かれている
白い大地に 真っ赤な点が一つ 二つ と染み入った
手を出し 自身の体から零れ落ちる血を受け止めた
真っ赤な血の滴が 音も立てずに手に落ちる
震える手に溜まってゆく紅い血が 視界を紅く染めてゆくのを
ただ 目を離す事が出来ずに見ている
不意に
何処か遠くの方から 口々に叫ぶ声が聞こえて来た
気付いた時には
声は間近に迫り 大勢の人間の怒号が闇の中に渦巻いた
歪んだ声は 逃げ惑う弐弧を瞬く間に取り囲んだが 無限の空間の中に反響する言葉は不明瞭で聞き取れない
激しい憎悪の籠った言葉の 云わんとする事は感じ取れた
血を浴びた石が 音も無く足元に転がり
たくさんの手が闇から突き出されて来ると 弐弧を雁字搦めにした
冷たい白光が一閃し
斬り裂かれた喉から 真っ赤な血が迸った
死を齎す眼が 弐弧を見ている
血を流す弐弧を見て 嘲笑っている

声が 出ない
呼吸が  出来ない 

闇の中に
狂気に歪んだ人々の顔が 浮き上がり  ―  暗く虚ろな声が 冷酷に告げた

しね   ばけもの

恐怖に跳ね起きた弐弧を更なる衝撃が待っていた。
「若ーー!お目覚めッスかー!」
自身が置かれている状況を飲み込む間も無く 場違いに明るい声と共に障子がスターン!とまた良い音を立てて開いたのだ。
「うわあ!?」
教訓も忘れて弐弧が悲鳴を上げたのは致し方のない事であった。
「ああ、気にしないで下せぇ!あっしらは匂いで分かるんでさぁ」
「何か召し上がりますか?まあ、先生にはおかゆにしろって言われてんスけどね」
「ご所望のものがあれば何でも言って下せぇ!」
そう言われても 弐弧は声も出ない。
頭は重く 悪夢の所為でぐったりしていたが あの割れる様な頭痛はもう無かった。
動き出した思考と共に頭を巡らせる。
今居るのは古民家の様な部屋で居心地は悪くない。温かみがあり 寧ろ落ち着く。
目の前に居る男は ―
黒スーツがスカウトマンにしか見えない程 繁華街が似合いそうな二十代半ばの若い男で 肌の色は浅黒く、濃い黒のサングラスをかけ 髪は赤味のある茶色で跳ね放題の短髪、尖った耳と八重歯とは言えない程鋭利な牙が突き出している。醸し出されている雰囲気からしても異質さしか感じない。
唯 人懐っこい顔付は此の男の心を素直に表している様で 妙に安心させられた。

歳経ても 屋敷は変わらない威厳を放って聳え立っている。
竹林が奥まで生い茂り 池の水は上辺だけ澄んでいるが 底は見えない。
水底から時折大きな鯉が顔を出す。
庭園とはとても呼べたものではないが 適度に手入れが施された庭の見栄えは そう悪くもない。
古木の枝垂桜から 霧雨の様に静かに花弁が舞い落ちて 景色を淡い色に染め上げている。
「この時期にまだ咲くとはね」
源清舟は素直な感想を述べた。
突然黒服の連中が「里」に押しかけて来て 問答無用で此の屋敷に連れ込まれた。
人を拉致同然に呼びつけておいて 主は我関せずと寝るだけで何もしない。事態は差し迫っていた。仕方なしに清舟が出向いて行ったのだが 万事上手く収められたのは幸いだった。
「うちの花ぁ 気合いが違いまさぁ」
黒いサングラスを掛けた黒尽くめの男が 白い牙を閃かせて満足気に応じた。
此れから何が起こるのか 此処に居る連中にもまだ分かってはいない。

厄介事である と言う事だけは確かな様だ。
毎度毎度 良い様に巻き込んでは振り回してくれる。
鬼華の長の悪計には敵わない。清舟は笑みを浮かべると暫し物思いに耽った。
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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

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