第8話 紅い目の少年

文字数 2,117文字

千切れたピンクのリボンを絡ませた足が少年の頭をぎりりと踏みつけ 尖った爪が食い込んで みき、と鈍い音がした。
「死んだら虫に喰われたって痛くもないのにさ
「埋めたって土ン中で腐るだけ! アンタは何がしたいの?!」
今にも飛びかかって襲ってくるかと思うほど激昂していたのが 不意にまたふっと戻る。
「ってあたしずっと不思議だったんだけど
「やっと分ったんだぁ」
サビ子の顔に戻って にこと嗤う。
「でもね
「あたしはアンタなんかよりもっと良い事思いついたの」
歪んだ左面が重力に堪えきれなくなったかの様に ぶちぶちと音を立てて目元まで頬を裂き
だらりと落ちた口は歯茎を剥き出して 唾液を纏った牙がぬらぬらと光った。

「た 食ぁべちゃあえば い良ぃいんだよ」
口が大きく裂けた所為で呂律が回らなくなっている。
「こ此ぉれでぇ も もう他のヤツに喰われる心配もなぁいし
「ブッチはあーアタシの中で あアタシとずっと一緒に居られるのぉ
「ねぇ? ステキでしょお?
「ち茶々丸もおいでよぉ
「あああたし達ぃ また三人で暮らそうよぉ
「茶々丸がそうしたいならこ此の子も仲間に入れてあげるぅ
「ブッチも喜ぶよお ききききっとぉお」
「ねぇえ?」
半面のサビ子の顔が 在りし日の幸せそうな微笑みを見せた。
長くは続かなかった。
黒い痣が 半紙に墨汁が染み入る様に下半身から首まで這い上り サビ子の白い顔を蹂躙していった。
其れは瞬く間に拡がった。
サビ子の体は腐臭を放ちながら 水分を失った水母の様に干涸らびてゆく。
腐った黒い皮が顔の骨に張り付いて 其の中に 紅い目が落ち窪んだ眼窩の奥で光っている。
「ねぇぇえ
「まぁぁあた みぃいいぃんなぁでぇ くらそうねぇえぇ
サビ子の声が 壊れたTVから流れる音声の様に野太い声に変わり 変な具合に間延びした。
側頭まで繋がった口が大きく開いて じっとりとした生温い息を吐き出す。
片側の眼窩から肥大した紅い眼球が皮膚を裂いて飛び出すと あああああお ぎっしりと牙の並んだ口から薄気味の悪い猫の様な声が漏れ 凄まじい腐臭を放ちながら濁った涎をどろどろと地面に滴り落とした。
めりめりと音を立てて顔が裂け 責苦に耐えるかの様に 歯を食い縛り、サビ子が血の涙を流している。ぎゃああああああ 片側の化け猫が大きく開いた口から此の世のものとは思えない程恐ろしい雄叫びを上げると 紅い眼をぐるりと此方に向けた。

サビ子の絶叫が 吹き荒ぶ風の様に闇の中に渦巻いた。
引き裂かれてゆくサビ子の心が悲鳴を上げている。
列車が軋る あの甲高い音にも似たサビ子の悲痛な叫び声が 何度も何度も繰り返し襲って来る。
どれだけ耳を塞いでも 鋭く突き刺す其の悲鳴が 頭の中に反響して離れない。
   やめろ
   もうやめてくれ
同じ様に 弐弧も心の中でずっと声にならない叫び声を上げ続けて居た。
短絡的な考え方は サビ子其のものだった。
ブッチはそんなサビ子を 単純なヤツだな、と良く笑っていた。
   ブッチ
あの光景を見た瞬間に何が起きたのか分っていた。永久に気付かなければ良かったのに。
サビ子の口から聞きたくなかった。答えなど 疾うに分っていたのだから。
いつか 本当の別れが来る事は覚悟していた。其れでも
三人の絆は 此の先も変わること無く、永遠のものだ ― 今もまだ 其の思いは此処に在る。
   サビ子

「サビ子 逃げろ!」

叫び声が出た時には もう全てが遅かった。
一生忘れうることのない光景 ― 脳裏に焼き付き 其の音は永遠に耳に残るだろう。
骨が砕かれ 肉が引き千切られる。
血の様に真っ赤な目で 少年はサビ子の腕に喰らい付くと おぞましい音を立てて胴体から引き千切った。
サビ子は悲鳴をあげる暇さえなかった。

二人の目が合った時には 少年の右手が大きく振り被り 炎を纏った鋭い爪が今正に襲わんとするところであったから。
空を切り裂く衝撃波と共に 轟音を立てて地面が大きく抉れ 黒い炎が上がった。
雪崩の如くコンクリート片が降り注ぎ 地面が激しく振動する。
サビ子の腕を咥えた少年の紅い眼が弐弧に向けられた。其れは
暗闇の中で爛々と耀き まるで獲物を見付けた猛禽が、一点に狙いを定めたかの様に ―
其れに対する弐弧の行動は 普通では到底考えられないものであった。
地面に垂れていた少年に繋がる鎖を掴むと「自分の方に向って」力一杯引いたのだ。
不意をうたれて 少年が勢い良く地面に倒れ込む。と 同時に
少年が立っていた空間を黒い塊が突抜けて 凄まじい轟音と共に壁を大破させた。
「何をしている」
「そいつから離れろ」
予想外の邪魔立てを受けた背後の人物が 驚きを交えた怒りの声を上げた。
凜とした声音は男とも女ともとれた。
振り返ることは出来なかった。
眼前の光景が 突如現れた新参者よりも遙かに上回っていたからだ。
鬼の形相とはかくや ― 鋭い爪を立てて上半身を起こした少年の口から 轟と黒い炎が吐き出され 咥えていたサビ子の腕が瞬く間に灰も残さず消え失せた。
牙を剥きだした少年の 其の激しい負の衝動が 弐弧の視界を頭の中まで紅く染めた。
少年の紅い眼から 目を離せない ―
不意に テレビの電源を切るようにぶつっと全てが消えた。
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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

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