第35話 新那慧

文字数 1,725文字

「で、此れがお前のノートの残骸」
慧の右手が 度重なる災難に遭ったノートの末路を見せてくれた。
「…
弐弧は此の惨事にも平然と笑っていられるクラスメイトを半ば呆れた目で見返す。
「お前さー それ、立てんの?」
そう言われて 弐弧は漸く自身の体を見た。白いシャツは紅く染まり 道路に擦られて破れたズボンの膝から目を背けたくなる様な酷い傷が覗き見えている。
何かをはねた事に気が動転し 更には化け物が出現するにあたって其れ処では無かったが 心身共に動けなかった訳だ。
「… ああ 大丈夫だ」
心にもない笑みが顔に出るのも 噓の言葉も 弱さを見せれば喰われる世界で生きて来た所以だ。傷を見た途端 思い出した様に激痛が襲ってきたが 表情を変えずにいられる。
自分がこんなボロ雑巾の様な姿になっているとは思わなかったが 化け物はもういない。這ってでも何とか帰れるだろう。
慧と話している間に あの赤みがかった毛色をした巨狼の姿は消えていて 喰い千切られた化け物の残骸が道路に汚く散らばっていた。
「ならいーけどよ。取り敢えず渡しとくわ」
慧が最早塵同然になったノートを投げて寄越す。
心配するでも無く、あっさりと引き下がって 別れの挨拶もなく歩き去って行く淡泊な少年の後ろ姿を見て安堵した。
放っておいてくれた方が良い。
是れ以上の醜態は御免だ。
苦痛の声を押し殺し 蹌踉めきながらも何とか立ち上がった所で
「弐弧ー、お前の原付まだ乗れそうだぞ」
慧が原付を押して戻って来た。

「弐弧、お前はメットしとけよ」
リアキャリアもあり 乗れなくはないが二人乗り仕様ではない。慧は既にハンドルを握っている。
後ろに乗れと言うのだろうが
「お前は如何するんだよ」
慧の無防備を心配した訳でも 道路交通法がどうのこうのと言いたい訳でも無い。口から勝手に出て来た単なる質問だ。
「俺は良いんだよ」
「ヤバくなったら、俺の力は災難を誰かに振るからな」
「まー、もれなくお前しかいねーけど」
ははは、と笑う慧に 弐弧は苦々しい視線を送った。
「災難に遭わない様に予知しろよ。出来んだろ。言っても自分の身を守る為だしな」
言われなくとも弐弧には自身を守る為の「力」が働くが 「予知」は不完全だ。
血塗れになった自身は視た通りになった。
だが 衝突したのはあの女とは似ても似つかない化け物だった。

あの女は一体何だったのか
まだ 此の「予知」は終わっていないのだろうか

風と共に流れてゆく景色を見る    遠くに  歪な黒い影が連なって聳えている
蒼白い月の光も届かない    其処に在るのは  底知れぬ深い闇
流れ過ぎる闇の中に 歪な黒い影を見た気がした


「慧、悪い。お前のバイク、俺の所為で
自分の所為で壊させてしまったのだから弁償しなければならないだろう、と口を開いたのだが
「俺のバイク?」
「あー、あれか。一寸借りたんだよ」
「誰のか分かんねーし、人助けに使われたんだから本望だろ。まぁ良いんじゃね?」

酷い話だとは思ったが まぁ良いかと言う思考も二人が同じ様な境遇で育ったからだろうか。


森の奥に蛍火の様な仄かな灯りが幾つも見える。
程無くして屋敷が近付いて来た 其の時
「うわ、ヤバ」
感情の伴わない慧の声が聞こえた。
前方の闇の中に白い影が立っている。
森を流れる夜風に身を任せる様に 白いシャツと黒いネクタイを泳がせて立つ人影を 折しも雲間から現れた蒼い月が冷たく照らし出す。
人影は口を開くと白白とした牙を閃かせ 攻撃を予告する紅い炎を吐き出した。夜闇の中の 猛禽の様に鋭い真紅の目が敵意も露わに向けられる。
「一縷 ! … っうわ?!」
弐弧が其の名を呼ばなければ 慧は先程の化け物同様に一縷を轢き飛ばすつもりだったに違いない。其れを感じ取った一縷が迎撃の態勢をとったのだ。
慧が急ブレーキをかけた上に 原付を半ば倒して道路に半円を描いて滑らせたので、弐弧は危うく転がり落ちるところだった。
「あっぶねー」
其の台詞をそっくり其の儘、慧に返してやりたかったが
「え何。あれお前の知り合い?」
「マジか。超がつく堕鬼じゃん」
続けられた言葉を聞いた時 意を決して飛び込んだ此の世界は 自分だけが危惧を抱き 其の実 何も特別な事など無い当たり前の日常だったのかと思わさせられた。

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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

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