第37話 甜伽 鵺杜守家の娘

文字数 3,197文字




「全然やってねーとか、お前マジ神だわ」
「今やってるだろ」
「いや、遅ーし。後十五分で終わらせろよ」
翌日には新那慧が 三日後には百鬼弐弧が教室に復帰していた。
連帯責任として出された宿題を今頃になってやっている。呆れたものだ。
百鬼弐弧は端からする気などなかったに違いない。叱責を受けて不満も露わだが 新那慧は時折意外な一面を見せる。
一つの机を挟んで勉強に余念の無い二人に 甜伽は冷めた一瞥をくれながら席に着いた。
新那慧は不遜な態度で人を苛つかせる能力にも長けているが 其れでいて勉強が普通に出来る、と言うのもまた面白く無い。
百鬼弐弧は 転校して来てから三日前まで異邦人の様にクラスから浮いた存在であった。
何事にも無関心を装いながら 其の実用心深く 心を見せない。
新那慧の包み隠さない暴言は時として そう言った護りの壁を崩落させる。
教室の一部となった二人の存在は もう何の違和感も無い。
男なんて単純なんだから。
自分は暴言にも甘言にも乗る気は無い。詭弁をもって近付く者には痛い目を見て貰う。

   クラスで浮いているのは私だけ か

甜伽は唇をひき結んだ。
   馬鹿  其れで良いのよ
烏合の衆を募る気はないのだ。
誰の手も借りるつもりはない。
此れは 私だけの戦いだから
自分の力だけで 成し遂げねばならない ―  

か」
てんか」

誰かが 呼んでいる。
ふ、と 百鬼弐弧と目が合った。色のない世界で 蒼みを帯びた其の眼には 何が視えているのだろう。
如何して 其の力が百鬼弐弧のものなのだ。

何の役にも立っていないではないか。若しも 自分に其の力があったなら
百鬼弐弧の視る力が 新那慧の攻撃を返す力が 自分にあれば ―

気付けば教室は静まり返っていて 全員の視線が甜伽に向けられていた。
クラスの異端を排除する視線。其れは
「甜伽。何お前、防災訓練でもしてんの?」
新那慧の抑揚のない声が理由を示してくれた。
「… !
顔から火が出る、と言うのなら噴火レベルだ。
頭に手をやると固い物に触れた。原付で登校してヘルメットを頭に被った儘だったと分かった。
学校に来るのは体裁を保つ為の惰性でしかなかったが 今日は大分ぼんやりしていたらしい。
「見てんじゃないわよ!」
醜態に狼狽えるどころか 誰彼無く噛みつかんばかりの甜伽の逆ギレっぷりに 一部を除いて全員が顔の向きを変えた。
「仕方無いわ。見えるんだもの」
ぞくっとする様な蠱惑的な声。長い睫に覆われた目は 永久凍土の如く冷たい蒼に耀く。
美しい其の姿。だが 其れは 紛れもなく ―
「鵺杜守!防災訓練でもしてるのか?!」
いつの間にか始業ベルも鳴っていたものらしい。
教師から再び繰り返された言葉に 甜伽は自他共に向けた冷笑で応えた。


「あ、大門さん?」
「いえ、今日は帰ります」
「大丈夫ですよ、夜彦丸(やひこまる)も居ますから」
「ぶなぁ」
名を呼ばれて 原付のシートに香箱座していた長毛の太った黒猫が怠惰な濁声で返事をする。
電話を切ると甜伽はふーっと息を吐き出した。
「大門さん、あんな怖い顔して心配性なんだから」
「ねぇ?」
黒猫は細く開いていた金色の目を瞑って同意を示した。
唯一 甜伽のパートナーとなってくれた大男には感謝している。其れでも
まだ本心を打ち明けられない。結局は 自分も百鬼弐弧と同じなのだ。

疑わなければ生きていけない。
闇に目を凝らさなければ 喰われるから。
灰色の世界で育った子供達は 皆そうだ。

「行くよ。夜彦丸」

雨は上がったが まだ黒雲は去っていない。
薄暮の空はどろどろと渦巻く雲に覆われて 遠雷の音が重々しく鳴り響く。湿り気を多く含んだ大気が纏わり付いて 茹だるような熱に思考を持って行かれたが 其の方が楽で良い。
何も考えずに済む。
車も殆ど通らない。規則正しく並ぶ外灯が道標の様に薄闇を照らす。
黒雲の中に稲光が走った。
気を取られて 信号を完全に無視してしまった事に気付いた時には遅かった。
「きゃあ!」
「うわ?!」
危うく衝突する所だった。
相手の原付は 寂れたビルの合間にある片道一車線の脇道から左折して大通りに出て来た。進行方向が同じだった為 衝突さえ回避出来れば併走となる。とは言え 甜伽の方が悪い
「 …!!
咄嗟には言葉も無かったが 謝罪の言葉が出る前に
「百鬼弐弧!?こんなとこで何やってんのよ!」
つい何時もの様に憎まれ口が飛び出した。当然 相手の顔は苦々しいものになる。
自身を擁護する訳では無いが 百鬼弐弧の二人乗りも罰せられるべきだろう。
「呆れた。まだ其の堕鬼と一緒に居るの?」
青白い顔に表情の無い紅い目をした少年。だが 堕鬼としては異端だ。

忘れもしない。
あの時 廃トンネルで起こった事なら今もはっきりと思い出せる。
鎖から解き放たれた堕鬼は 迷わず百鬼弐弧に喰らい付いた首女を其の爪で引き裂いた。
甜伽の事等 端から眼中に無く
百鬼弐弧の血の臭いに群がって来た首女を片端から肉塊に変えていき 黒い屍の山を築き上げた。殺戮に目覚めた紅焰が激しく上がると 辺りは瞬く間に焦土と化した。
攻撃を続ければ続ける程に 鬼の血に狂い 自我が失われてゆく。
闇に堕ちた鬼を止める手立ては一つ。
   斃すしかない
焦土の中で百鬼弐弧だけが 唯一存在していた。其の惨状から生きているとも思えなかったが 生死に関わらず 何れ狂った堕鬼の炎に灰も残さず消されてしまうだろう。
   そうでしょう?
   如何してそうしないの?
此の堕鬼は 己が狂おうとも、百鬼弐弧を護ろうとしているかの様だ。
   どう言う事?
   まだ心が残っているとでも言うの?
否。そんな事がある筈はない。例え僅かに残っていたとしても どうせもう長くは持たない。
自分の使命は 堕鬼となった鬼を始末する事。其処には 情など不要だ。
甜伽が再び鎖を手にした時 思い出すだに忌々しい事が起こった。
連投された狐玉が 鼓膜も割れんばかりの騒々しい破裂音を立ててトンネル内を揺るがし 蒼い炎が矢継ぎ早に大輪の花を咲かせて飛散すると 同時に飛び出した数多の狐共が駆け回り、竜巻の如き猛威を振るったのだ。
後で思えば 玖牙は甜伽達を助けに来たのではなく 自らの悪計を完成させに来ただけに過ぎない。
玖牙は二人共出て行った、と言ったが 百鬼弐弧が生きて出られたとは俄に信じられなかった。
一度血に狂った鬼は 元に戻らない。狂った鬼が何を喰らうか ―
トンネルの先は 蒼連会でも最凶を誇る黒鬼の領地だ。
只で済む筈がない。
そう 思っていたのに ―

其れが 二人共こうして生き存えて あろう事か 百鬼弐弧は黒鬼の養子となり あの堕鬼が制服まで着ているではないか。
「関係無いだろ。放っとけよ」
百鬼弐弧は憤りを隠そうともせず そう言い放つと スピードを上げてトンネルの中に入って行った。弾き飛ばされた空き缶が 追随する様にがらんがらんと不機嫌な音を立てる。
トンネルの距離は短く 十メートルも無い。だが 此処から先は
「あ ?! … ちょっと!
百鬼弐弧の危機回避能力は 付加要素の「予知」によって高められている。
だとするなら 此の先に脅威はない、と言う事だ。
甜伽の求めるものは此の先にはない、と言う事でもある。
唯 回避能力は百%確実に働くものでもない。其れに
今の百鬼弐弧の能力は 回避出来ない危機に陥った時 他者を動かす。
ならば 此の先の脅威は情報通りで 百鬼弐弧の力はあの堕鬼か 若しくは

私を「使う」気?

ぐぎぎと歯を食い縛ると
「そっちが其の気なら こっちだって容赦しないわよ!」
罪の無いトンネルを吹き飛ばさんばかりの咆吼を叩き付けた。
百鬼弐弧は黒鬼の養子だが あの堕鬼は違う。
跡目争い等と言った煩わしい事態を避ける為に 養子は一人しか取れない。
堕鬼は客人と言う扱いだが 正当性があれば堕鬼を斃したとしても 何ら罪に問われる事は無い。
其れが 鵺杜守家の使命なのだから。
甜伽は猛然とトンネル内に入って行った。
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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

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