第27話 鬼姫 少女の涙

文字数 2,378文字

悲観的な気持ちを消し去ったのは
西洋のマンドラゴラと言う生物は 恐らくこんな声を発するに違いない、と言う思考だった。
女の脳が此の期に及んでどうでも良い様な知識を披露して来る。
其れと言うのも
少女が恐ろしい声で泣き出したからだ。此れも攻撃の一種かも知れない、と思える程の強烈な声だった。主に精神と鼓膜に苦痛を与える。幼い少女特有の甲高い声に 金毛の狼は耳を後ろに倒してきつく目を閉じ 猛吹雪に耐え忍ぶかの様に地面に踏ん張っている。
「あたし、悪くないわ!」
「あたしのせいじゃない!」
少女は大粒の涙を振り飛ばして泣き喚く。
「あんた達が悪いんじゃない!」
「あんた達がこんな所まで来るから悪いんでしょ!」
「あたし、帰れって言ったわ!」
「二度と来ないでって言ったじゃない!」
「何で来たの?」
「あたしが死んだら面白いから?」
「あたしが死ぬとこを見たいの?」
「だから、あたしを殺しに来たんでしょ?」
二つの意味で耳が痛い。唯
自分も地団駄を踏んで泣き喚きたい気分だったが 此れで救われた気がする。
「回収」の指示が出れば女は従うだけだ。情は持ち込まない。だが
少女の立場からすれば 其の言葉の全ては正論だ、と言える。

少女が此れ迄に受けて来た残虐な行為の数々は計り知れない。其れも
其の魂に 「鬼」が取り憑く程のむごい所業だ ― 

少女は 見世物であった。

其の悪名も高い大富豪の穢らわしい「城」に捕らわれていた。
極めて悪趣味で 内部を知る者が大勢居ながら 簡単に手出し出来ない危険な場所であった。
強固な関塞を抜けると 幾筋もの鋭いサーチライトの光が屈強な見張りの姿を映し出す。
全身武器と化した 城主自慢の私軍だ。
上階は着飾った富豪達が 贅を尽くした派手な演出と賭博で豪遊出来る「良くある」カジノに過ぎないが 地階には更に「楽園」と呼ばれる場所がある。
其の場所に行けるのは 特別な者だけ ―
厳重なセキュリティをクリアした 其の先には
見るも悍ましい享楽の場が在った。
普通の「物」に飽き足りた富豪達を集め 残虐な行為を見世物にし 臓器・人間・武器に薬  あらゆるものを競売にかけ
愉楽に貪欲な「上客」を招き入れては 悪銭を稼いでいる。
「上客」にはありとあらゆる「要職」に就く者も在籍しており 顧客名簿は豪華絢爛。
「商品」の中には 見世物にする為に廃墟から連れて来られた子供達が大勢居り 彼等が其処で何をされるのか 普通の神経ならば 見られたものでは無い。
地下の奥深くには
「用を終えた」者達の亡骸が 塵の様に扱われ 黒く歪んで積み上がっていた。

其処は 正しく「地獄」であった。

「ショー」は不定期に行われ 上物が揃うとより盛大に催した。

ある事件を機に 少女は其処から逃げおおせた。だが
結局は廃墟に戻った。少女の居場所を奪いに来る者を 少女の命を奪いに来る者を 得た「力」で殺める事になったとしても 此の少女にとっては「回収」される謂われはない。
確かに
秩序のない世界で理性を失い 狂った獣として生きる廃墟の子供であったなら 関与する事は無かった。此の少女が「鬼」でなければ 女が此処に来る事はなかった。
少女が血を流す事も 其の心を壊す事も無かった。
自身の恥ずべき不手際であったが どの道 今迄のような事を続けていれば遅かれ早かれ「堕鬼」と化していただろう。
「出て行って!」
「出て行ってよ!」
「此処から出てけ!」
「あたしは絶対、死んでなんかやらないんだから…っ!
「絶対…っ あんた達なんかに、殺されてなんかやらないんだから!」

男の顔に血も凍る様な笑みが浮かんだ。
其れを見た女は卒倒せんばかりに恐れ戦いたが

「悪かった」

男はどっかりと胡座を搔いて座るなり 咆吼の如き声を上げて少女に深く頭を下げた。
女は目も飛び出さんばかりの驚愕の眼で男を見た。
咆哮の直撃を受けた少女の罵声も涙もぴたりと止まった。僅かな時間ではあったが 女には底知れない闇が渦巻く地底に落ちて絶望している程に 此の沈黙が長く感じられた。
少女はすん、と鼻血を啜り そうして
「分かれば良いのよ!」
と牙を剥いた。
女は悲鳴を飲み込んだ。もう息が止まりそうであった。自分は此の男に斬られる事になったとしても 何百万分の一秒ですらそんな威丈高な言葉を発する事はない。
知らぬとは恐ろしい。いや 此の少女は誰が相手でも決して怖じ気づく事は無いのだろう。
男は心から愉快そうに声を上げて笑った。
正体を知る女には 此の男の笑い声すら獰猛な虎の咆吼にしか聞こえない。
「侘びと言っちゃあ何だが
「俺が嬢ちゃんに面白ぇもんを見せてやろう」
「一緒に来い」
男が片手を差し出すと 少女は其の手に噛みつきそうな顔になったが
「後悔はさせねぇ」
そう言われて 少女の目が半信半疑に揺れている。他者への強い不信感を覆すのは容易ではない。自分なら此の少女を懐柔するのは絶対に無理だろう。
「面白くなかったら
「其の時は 殴ってくれりゃあ良い」
動き出した心と立ち止まった儘の体がせめぎ合っているのだろう。
あれだけ騒々しかった少女が きゅっと口を引き結び其の場に立ち竦んでいる。
そして
女の耳に世界が終わる音が聞こえた。
真っ直ぐ男に向かって歩いて来た少女が 座った男の前に立つなり平手打ちを食らわしたのだ。
男の凶悪な顔に小さな血の手形がついた。
「さっきのはつまらなかったわ」
少女の蒼い目には男への恐れなど微塵も見られない。
「こいつぁ ハナから手厳しいねぇ」
女には 到底男の本心を推し量る事等出来ないが 面白いものを見付けたかの様に其の顔は愉しげだと思った。

少女は男の眼に魅入られた。同じ様に 男も少女の眼に魅入られたのだ。
「鬼」の魂が 互いを惹き付けた。

自分は鬼魂を得てはいるが まだ真の「鬼」とは言えない。
鬼の姫とは正に
斯くも「鬼姫」とは 此の少女の事を表すのに最も最適な言葉なのだ、と女は痛感した。

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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

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