第55話 影炎

文字数 3,111文字

黒いスマホの画面の中で 黒髪を綺麗に切り揃えた少学生くらいの女の子が、大きな黒猫を両腕で抱きかかえてはにかむ様に笑っている。
心からの笑みでは無い。無理にでもそうしなければならない、と知っている顔だ。
― ねぇ お姉ちゃん、今日は帰って来る?
そう聞きたくて でも言い出せない そんな顔だ。

― お姉ちゃん 今度はいつ帰って来るの?

「もう御覧になりまひたか?ガリガリ。こんろは ボキッ 鳴き蟲おんらボギボギボギれふって!」
「らんと言っへも絵が ガギッ 秀逸れバキバキ 描き手は未らにられか分かららいん メキャッ 其の方が良いほほもひまへんか?正体が謎れあるからほほ、ほもひろいのれすバリバリ」
スマホを持つ手がわなわなと震え へし折りそうな程力が籠もると
「もう!篝(かがり)ちゃん!食べるか喋るか、どっちかにして!!」
くわっと振り返って怒鳴り飛ばした。原付の座席シートで微睡んでいた黒猫が総毛立ち 脅かされた烏が近くの電線から非難の声を上げてバタバタと飛び立った。
「ふみまへん、甜伽はん。れも、此の拳骨煎餅、すっごい固いんれガリガリガリ」
篝、と呼ばれた少女は 其の声から甜伽と同い年か、近い年齢であると思われるが 何しろ黒頭巾を目深に被り、顔の中で見えているのはくっきりとして美しい蒼い眸だけで はっきりとした年齢は本人ですら不詳であった。
戦国時代に生まれた此の「鬼」は 甜伽の姉、蘭枷(らんか)が懇意にしていた諜報員で 姉の亡き後もこうして度々甜伽に協力してくれている。
元々忍びだった篝にとっては 時を超えても其の職に就いているだけの事で、此れが天職だと言う話だった。
幼い頃に姉に紹介されたあの日から 篝は時に友人の様に、時に姉の代わりに 甜伽の心を支え、見守ってくれた。
本来なら 持ち物も 其の存在すらも 全て此の世から抹消されるのだが、篝は掟を破ると言う大罪を犯してまで 生きる気力を失いかけていた甜伽の為に姉の形見を密かに届けてくれたのだ。
履歴は其の儘に ― 任務に関する事は一切残されていないが ― 甜伽と姉の思い出は今も此の中に残されている。

影炎(かげろう) そう呼ばれる
あらゆる地で諜報活動を行い 時には反する同胞を狩る事もある

篝が居るお陰で 甜伽は必要な情報と戦闘に有利な装備品を得る事が出来る。
姉の後を継いで「回収屋」に身を置く甜伽を 誰よりも気に掛けてくれているのは篝だ。
「鬼」でもない唯の人間と組みたがる者などそうそういない。
全てにおいて劣るだけで無く 足手纏い以外の何者でもないのに 任務の失敗に巻き添えを食らって無意味な殉死をさせられてはたまったものではない、そう言う事だろう。
篝 大門 夜彦丸 ― そんな中で どんなに辛くても、何度でも立ち上がる事が出来るのは いつも彼等が傍に居てくれるからだ。
感謝してもしきれない。
其の筈なのだが ― 偃月刀の様に閃く鋭い牙で、岩塊の様な煎餅と格闘している篝を横目に 甜伽は気の抜けた息を吐き出した。
実際年齢で言えば甜伽などより遙かに年上だが 主従関係を遵守する篝は、幼少時から甜伽をさん付けで呼び慣わしている。様、等と呼ばれるのを断り続けた結果だが 其れでも面映ゆい。
「ボリボリ、ごくん。ふぅ。御馳走様でした」
「鬼固い、等と書かれていたものですから 此れは若しや鬼に対する果たし状かと思いまして」
「ふふ 然程でもありませぬな」
煎餅相手に妙な自信を得ている。感傷に浸っていた甜伽の心に、冷めた風が吹き抜けて行き 思いを何処かへと運び去った。
「鬼」と言えば血肉を喰らう様な化け物だと思っていた甜伽には衝撃的な画であったから 其の事をぶつけると 篝はあからさまに憐れむ様な目になり「食べられたいのですか?」と返して来た。「何も其の様に御自身を食材、等と蔑まずとも」とまで言われ 鬼に憐憫の情を向けられた甜伽は、恥ずかしさの余り全身から湯気が出る程茹だった。
今と為ってはそんな馬鹿な質問をする事は無い。
「鬼とは何ぞや」と言う目で見るに至っただけだ。
「甜伽さん 御存知ですか?」
「今年度の懇親会の栄えある賞を獲得したのは 鬼華の御子息だそうですよ」
「ふーん、良かったじゃない」
篝の言葉に口ではそう受け流しながら 内心穏やかではない。
鬼眼を持つ者は 「鬼」其のものではないにしても 怪我の治りが早く、あらゆる感覚に優れ、動作一つとっても其の俊敏さと学習能力の高さは並の人間とは比べものにならない。本気を出せば「鬼」に追い付く事もある。
其処へ 百鬼弐弧には更に「予知」能力が備わっているのだから 上手く立ち回れたのだろう。
「鬼華の御子息と言えば 真に愛らしい御方で」
篝は蒼い目を和ませて ふわふわとそんな浮ついた事を言ったが
「へー」
甜伽の心にはもう別の思いがあった。抑もからして 百鬼弐弧にちゃんとした「予知」が出来れば 例え危機に直面しても、圧倒的優位に対処出来るのに。全体像は視れない様で 目の前で実際に事が起こってみなければ何も出来ないらしい、と言うのは「回収」の際に分かった。其の場しのぎに近い百鬼弐弧の回避手段では 自身の死は避けられないものになってしまっていた ― どうにか一命は取り留めたが。二度目の時も相変わらずだったが 其れにも増して、感情だけで行動し 又しても自ら命を危険に晒していた ― 其れが 最終的には百鬼弐弧の投げた狐玉に救われる、と言う結果になってしまったのが どうにも納得しかねる。回避行動が上手くいった事は認めるが 新たな襲撃者が現れる事は「予知」出来ていなかったのだ。屋敷からの援軍がなければ 何の抵抗も出来ない儘金髪女に撃ち殺されていただろう。「予知」と言っても 百鬼弐弧は恐らく断片しか視れない。使えない上に 其れを元に考慮も出来ない此の少年には過ぎた能力である事に変わりは無い。
私なら もっと上手く使い熟せるのに。
妬む心は面にも表れ 般若の如き表情が甜伽の心を雄弁に語っている。
「…」
篝は其れを見て取ると 深々と溜息を吐き出した。
戦国の過酷な乱世を生き抜いてきた篝にとって 学校生活がどんなものなのか見当も付かないが
「現実は上手くゆかぬものなのですなぁ」
嘆かわしそうに首を振る。
「何がよ」
不機嫌な甜伽にじろりと睨まれた篝は、黒装束の懐から一冊の本を取り出した。
「読まれます?」
篝が手にしていたのは 読むのも気恥ずかしくなる様な表題の、恋愛に重きを置いた少女漫画だった。
本当に ― 「鬼」とは 一体どう言う生き物なのだろうか。呆気にとられる余り 速さが自慢の口も流石に言葉を失う。
甜伽はこほんと一つ咳払いすると、気を取り直してにっこりと笑いかけた。
「また今度ね」
「そう言えば、今年の賞品は何だったの?」
懇親会に参加した事は一度も無い。どうせ呼ばれもしないのだろうと思っているが 養父である鵺杜守斎定が毛嫌いしているから、そう言った会の招待は全て断っているのだと篝は言った。
「よくぞ聞いて下さいました!其れはもう、実に珍しい品でして!」
「私も実際に此の目で見た事は無いのですが 噂はかねてから聞き及んでおりました」
「よもや 其の様な物が此の世に実在するとは ― 
不毛な話題を変えようとした甜伽の言葉に飛びついた篝は、子供の様に蒼い目を輝かせ 興奮気味に喋り始めたかと思えば 最後には英雄の名乗りでも上げるかの様に
「玖牙殿曰く 何と!其の名も無限たまた
「篝ちゃん!!!」
あの男の口調まで真似て吐き出された下品な名を遮って 怒髪天を衝く甜伽の咆吼が、清々しい明け方を迎えた辺り一帯に雷鳴の如く轟くと、広範囲に渡って生き物の気配がふっつりと消えた。
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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

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