第6話 マキリの著

文字数 2,557文字

親を失う理由は様々で 「孤児」とされる理由も様々だ。
ネグレクトや事故死 ― それに
物心ついた時から親の存在を知らず 廃墟で「狩られた」子供達。
黎明天生(れいめいてんせい) とやたら長い名前の学院は 主に廃墟から(強引に)連れて来られた「孤児」達を集めた学校で 寮も完備されており
養子に入った「孤児」も含め 幼少期から成人するまで面倒をみてくれる。
と聞けば感動ものだが 裏には蒼連会の存在があり 卒業後は構成員としての末路しかない、と専らの噂であった。

真夏日の陽光は容赦なく校舎に照りつけ 窓際の席に座る弐弧を焼き焦がそうとしているかの様だった
樹皮色の髪を一房束ね 残りは肩に落ちている。顔にもだらしなく垂れていたが 直す気にもならなかった。
今は何をする気力も失っていた。心はがらんどうのように 何も無い。
如何する事も出来ない現実から目を背け 考えないようにして防衛している。
マキリは ―
黒い灰ではなく 黒い蝶が廃墟に疫をもたらす、としていた。
弐弧の指は「マキリの著」をスマホの画面に呼び出していた。其の儘見るとはなしにページを繰り続け ある画像に来た時 指がぴたりと止まった。
マキリは廃墟で見た「禍い子」と呼ばれる 所謂バケモノの絵をサイトに載せているのだが
実際に見たのか マキリ本人が描いた絵なのか 全て不明で 見ている者も大半は信じて等いないだろう。
だが 其の絵は ―
タイトルは「サビ猫女」とあった。
女の顔は半面に出て来た錆色の猫の顔に苦悶するような表情で 鋭利な牙の並んだ口は横一列に繋がっており 顔半分は殆どが口で出来て居るかの様だ。
四つある目は血の如く紅い。
窶れた黒い躰は前屈みの姿勢で 長い手足が四つん這いになろうとしている。
破れた布を後ろに引き摺って 其れが尾の様に見えた。
錆色の髪をした少女の姿 ―
  サビ子
女の顔はサビ子に似ていた。
  まさか
黒い絵の中で 朽木の様な女の足に絡み付いたピンクのリボンを凝視している。靴は無かった。
顔から血の気が引いたのが分る。
周りの声も耳に入らない。

始業のベルが鳴った時には もう教室の何処にも弐弧の姿は無かったが 気に掛ける者は無く クラスメイトの一人が姿を消した所で 口に上る事も無かった。


トンネルを抜けた先に在ったのは 何時もと変わる事のない景色であった。
巨大な太陽に空の色すらも奪われて 佇む廃墟は白と黒の切り絵の様であり
音も無く 其処に生きる物も無い 「無」の世界。
だが 今日は廃墟が孕んだ陰惨な気が大気中に侵蝕し 見えない何かが近付くものを捕えようと 其の触手を伸ばして辺りを探っている。
真夏日の光が地面を白白と照らし 其処に 弐弧の黒い影が廃墟に向って長く伸びている。
べったりと張り付いたシャツの不快な感触。
生きている物を全て焼き払うかの如き灼熱の陽光を背中に浴びているにも関わらず
流れる程の汗をかいているのにも関わらず 弐弧は全く暑さを感じていなかった。
体を伝う汗は冷たく感じられた。
今から目の当たりにする事は 此れ迄に無い恐怖に満ちたものになる、と体が教えている。
夢遊病者の様な足取りで 向う場所を知っているかの様に弐弧は歩き出した。
近付くにつれ 心臓が張り裂けんばかりに激しく動悸し、息が苦しい。
罅割れた煉瓦の道に洒落たカフェのある通り。
床一面に造花が散らばっている。其の花はみな鮮やかな赤色をしていた。
弐弧の吐く息が震えた。
白白とした地面に 赤い水溜まりが円になってじわじわと這い広がっている。
赤い布がかけられたテーブルの上に 一塊の赤黒いものが無造作に載っていた。其の中に
たくさんの腕時計が鈍く光っている。
どくん、と心臓が跳ね上がり そして固まった。

― 分かった分かった!こう言う事だろ?

赤黒い塊の中に 腕を交差させたブッチが見せた 二人からの時計があった。
胃から喉へと込み上がって来る。無意識に手が口を塞ぐ。
全神経を眼前の光景に奪われて 体が麻痺した様に、弐弧は其の場から動けずにいた。
鉄製の白いガーデンチェアの一つにサビ子が背を向けて座っていた。
静寂の中に 弐弧の鼓動に混じって耳を塞ぎたくなる程おぞましい音が響いている。
がりがりと固い物を噛み砕き ぐちゃぐちゃと咀嚼する。不意に 音が消え
「…茶々丸?」
返り血を絡ませて縺れた錆色の髪の合間から赤い眼が覗き 背後を振り返った。
何も無い。澱んだ大気は動かず 動く物は何一つ無かった。
其処にはただただ白い地面があるばかりで サビ子は暫し様子を窺っていたが
ふいと向き直ると また肉を喰らう事に没頭した。

弐弧は自らの口を両手で押さえ ― そうしなければ叫びだしそうだった ―
廃ビルの暗がりの中で 壁に背をつき座り込んでいた。
どう逃げて来たのか分らなかったが 体が勝手に動いていた。
冷たい汗が幾筋も流れ落ち 全身を不快に伝う。震える体を止められない。
「あれ」は サビ子に違い無かった。
そして テーブルに載っていたのは ―
弐弧は眉間に深い皺を刻んできつく目を瞑った。
其の答えを必死に頭の中から追い出そうとしたが上手くいかなかった。
涙が溢れ出て来て上を向いた。
色んな感情が入り交じって頭の中が渦巻いている。何一つ考えがまとまらない。
今の状況を俯瞰する為には頭の中にある答えを認めねばならない。
其れは最も残酷な事だった。
びく と体が硬直し、暗闇に目を見開いた。何か聞こえた様な気がした。
聴覚を研ぎ澄ませ辺りに集中する。早鐘のように打つ自分の鼓動ばかりが煩く頭に響いて来た。
視覚を加えて周りを見渡す。
中の物は粗方運び出され がらんとした廃ビルの一階。
壁や天井が所々剥がれ落ち 瓦礫が雑然と床一面を被っている。
奥の壁に水着姿の女性のポスターが貼られていたが 上部分が破れ 女の顔が下半分だけになっている。
女は赤い唇を開いて嗤っていた。視界に入っただけで気分が悪くなり 弐弧はポスターから目を背けた。
硝子のない窓の外に 細い鉄骨が蔓草のように力無くぶら下がっている。
扉がなくなっているので各部屋が繋がり ある程度見通しが利く。
弐弧の目はある一点に注がれた。
隣の部屋の奥の暗がりに長細い何かが転がっている。其れは横たわった人間の様にも見えた。
真逆 ―
弐弧はそろそろと立ち上がり 奥の部屋に慎重な足取りで向った。
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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

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