第7話 サビ子

文字数 2,715文字

部屋を出ると 直ぐ様廊下に鋭い目を走らせる。
通路には天井から落ちてきた瓦礫が積み重なっているばかりで 闇はしんとしている。
用心深く左右を確認してから瓦礫の合間を抜けた。
がしゃん、と言う金属音が耳に響くと同時に 弐弧は苦痛の呻き声を上げていた。
大声で叫ぶ様な事はしなかった。廃墟で暮らしていればそうなる。
日々死の危険と隣り合わせの世界で 窮地に陥った事を大声で知らせる様な真似などしない。
右足に喰らい付いた獣用の罠も 幾度か見かけた事がある。「虎挟み」と呼ばれる物だ。
見た事はあるが解除の仕方は知らない。「開け方」なら分かる。
ネクタイを咥えて口を塞ぎ 鋭利な刃に気を付けながら 渾身の力を込めて罠を開く。
罠はかなり古い物で 少しばかり口を開いただけで音を上げ 短い金属音を立てて、呆気なく壊れた。
ぼろぼろに錆び付いている癖に牙は鋭利で 罠から抜け出た右足は骨こそ折れなかったものの 深く刺さった傷口からどくどくと血が流れ出し、声を上げない様に意識を集中する必要があった。
廃墟では日常的に「狩り」が行われており こんな旧式な罠も珍しくは無い。単純な物の方が時に効果がある。
だが 罠を固定する鎖は切れていて 例え罠を外せなかったとしても獲物は逃げてしまう。
せいぜい足を負傷させる位だろう。血の跡を追えば 逆上した相手に返り討ちに遭う危険性もある。
そんな罠を人狩り共が仕掛けたりするだろうか。
仕掛けられたものだ、と思ったのは
此程本体が錆びついているのに 並んだ牙は新品の様に光っていたからだ。まるで
つい最近仕掛けられたかのような ― 
前方に目を遣った弐弧は 先程のものがやはり人間の体であると確信した。
頑丈な鎖が幾重にも体に巻き付いていて 顔を覆うように頭にも巻き付いている。まるで木乃伊だ。
見えている肌は色を失い 既に生気は感じられない。
体の下に冷たくなった血溜まりが広がっていた。
俯せに倒れているのは 弐弧と同じ年頃位の少年らしかった。
何時から此処に一人横たわっていたのか。冷たい床の上で ひっそりと息絶えて ―
身に付けている服はぼろぼろで 汚れた足には靴もなく、髪も散切りであった。
何故 此の少年が此程までに残酷な目に遭わされなければならなかったのか。
考えるだけ無駄な事だ。此れをしでかした者は「人」では無い。
少年の無惨な姿に 一時の恐慌から我に返る事が出来た。今は冷静に判断出来る。
其れに 少年には悪いが、少しでも気が紛れるのは有り難い。 
咥えていたネクタイを吐き出し、右足を引き摺りながら少年の傍らまで来ると 片膝をつき もう息をする事もないだろうが頭の鎖から解きにかかった。
鎖を手にした弐弧はどきりとして其の手を止めた。
鎖は錆びてもいない。新しい物でもないが 手入れが施された物の様に思える。
理由は分からないが 若しかしたら あの罠も 此の少年を捕える為に仕掛けられたものなのかも知れない。
少年からは血の臭いも腐臭もしなかった。
解いた鎖の合間から少年の顔が覗き見えた。右側頭部に大きな傷がある。此れが致命傷になったのだろう。
相当出血が酷かったに違いない。顔中が血塗れだ。伏せられた長い睫にも血がこびりついて固まっている。
此れだけの傷を負わせられているのに 其の顔は ただ寝ているだけかの様に静かであった。
首に絡まった鎖に手をかけた 刹那
弐弧の手の甲に湾曲した鋭い刃が突き刺さった。
「 … っ!
悲鳴を飲み込んで 反射的に手を引き抜くと
「茶々丸って いっつもそう」
聞き慣れた声が上から降って来た。
血の流れる手を庇いながら座り込んだ弐弧の眼前に 闇の中から黒い女がぬうと姿を現す。
骨の浮き出た皮ばかりの窶れた黒い躰に 血の染みた布きれと化した衣服を纏い
異様に長い手足で四つん這いの姿勢をとり 横たわる少年など目にも入らぬかの様に踏み躙った。
目は白目の部分まで紅く染まっていたが 日焼けした肌にはそばかすがあり 緩いウェーブの錆色の髪と言い、顔の右半分は記憶にあるサビ子の儘だった。
残りの左半分は醜く歪んで肥大した紅い目が濁った鈍い光を放っている。
マキリの絵にあった女の姿其のものであった。
― サビ猫女
小さな縦長の瞳孔に ぬらりと光る紅い目。
歯は虎挟みの様にぎざぎざに尖り 口は頬の肉が裂ける寸前で辛うじて皮一枚で繋がり左側頭部にある錆色の猫の顔へと長く伸びていた。

「あの時だって
「ブッチが汲んできた水を茶々丸ったらさぁ 死んだ猫に全部かけちゃってさぁ」
思い出話を始めると 赤い眼を歪めて愉快そうにサビ子が嗤った。
「此処じゃあ 水はすごく貴重だって知ってる癖に アンタはさぁ 何であんな事したの?」
「ブッチが怒るのも当然だよ」

其の時のことなら覚えている
ブッチとサビ子に激怒された弐弧は廃墟を飛び出した
逃げ出したのではない 水を探しに行ったのだ 叱られたことが悔しくて
倍にして返してやる、そう思って
そして あの場所を見付けたのだ
外の世界に繋がるトンネル
初めて外の世界を見た   弐弧は
水の入ったペットボトルを両手一杯に抱えて帰り 二人の前にどや顔で突き出した
だが ブッチは険しい顔で弐弧を見た
憤懣遣る方無い、と言った表情で 
水を持って帰って来たのに   何故怒っているのか 幼かった弐弧には其れが分らなかった
ブッチが怒声を上げかけた 其の時
ばし、と音がして勢い良く噴き出した「水」がブッチの顔を直撃した
今思えばあれは「炭酸水」だったのだ
此の中の誰も字など読めなかったし こんな飲み物の存在を知る由もなかった。
全員が甘い泡水を被った所で
ブッチが 「ばーか!」と言った  三人は顔を見合わせると笑った

「本当ばか」
「アンタが居なくなってブッチがどれだけ心配したか分らないの?
「死んでるヤツなんかどうだって良いんだよ
「アンタは生きてるんだよ!
「アンタが何処かで死ぬ様な目に遭ってたって あたし達 助けることも出来ないんだよ?
「何で黙って出て行っちゃったの?!
「勝手に出て行ったと思ったら勝手に帰って来て アンタは好き放題してさ
「あたし達がどれだけアンタを心配してたかなんて考えた事もないんでしょ?!
「ブッチが病気になった事だって 知らなかった癖に …!
「アンタは自分だけ楽しけりゃ良いんだ
「残されたあたし達の事なんて なーんにも気にしてない
「アンタはさあぁ!なんにも!なんにも分ってないんだよ!」
サビ子の紅い眼が怒りに燃え 大きく見開かれた。
恐怖も傷の痛みも もう感じない。心臓が苦しいほどに締め付けられる。
サビ子の声。サビ子の顔。

サビ子

三人で外の世界に出たかった。

けれど ブッチの意志は固く 同じ様に 自分の思いももう譲れないものになっていた

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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

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