第21話 廃トンネルの死戦 首女

文字数 2,575文字

黒雲が足早に空を駆けてゆく。雲が取り払われると灼熱の太陽が姿を現わした。
「おい 起きろよ」
知り合って間も無いのに 此の少年には日々思い知らされる。一縷は一旦寝ると起こすのが大変だった。時間は問題ではないが 此の儘駅舎で暮らしたくはない。空腹も極まっている。廃墟で暮らして居た頃は飢餓は日常の事であったから ある程度の耐性はついているが 其れだからと言って何も為ない訳にはいかない。茹だるような暑さだと言うのに 一縷の体は冷たく青白い肌に血の気はない。
「起きろって!!」
両手でプレス機の様に頬を叩くと目を覚ました。紅い目は虚ろで何処か具合が悪そうだった。とは言え 夢見が悪かった所為もあって弐弧も疲弊している。背負うのは御免だ。
飢餓を覚えた時 此の少年は一体何を食べると言うのだろうか ―
駅舎を出ると線路に降り、足の向く儘に歩く。いつしか風も途絶え 鎮まった大気の中に灰色の木々が幽鬼の様にひっそりと佇んでいる。其の影が 白白と真夏の光に照らされて 黒い歪な模様を地面に描いている。
足は前方にぽっかりと開いた黒い穴に向かっていた。錆びた線路は奈落の底に続いて居る。
絶対に行きたくない、と思わせるのに 行かねばならない、と意識が反発している。
「あー やっぱりねぇ。弐弧たんってホント良いコなんだよなー」
聞きたくもない声が背後から軽やかに響いて来た。弐弧は目だけを向け 軽蔑しきった顔に返答する気の無い口は固く引き結ばれている。
黒い狐は居ない。男だけだ。
「待って待って!何にもしないからさ。取り敢えず話だけでも聞いてくんない?」
「ほらほら 狐ちゃん達も居ないし 何も持ってないよ?」
両手を上げて見せるが 食わせ者の笑みが其の顔に張り付いているではないか。
「えーっと … 因みに 寝てるよね?」
「いやいや、お疲れみたいだから起こさなくて結構」
一縷は弐弧の背中で死人の様に眠っている。唯一の救いは 一縷の体は熱射を冷ます冷却シート代わりにはなる、と言う事位だ。
「ほーんと弐弧たんは優しいよねぇ。自分だって疲れてんのに」
「そんな優しいキミにお兄さんからアドバイス」
「廃トンネルに入る気でしょ?うんうん、良いアイディアだと思うよ?」
「残念でしたー★落石で行き止まりだけどねー」
舌をぺろっと出す。相変わらず人を苛つかせるのに長けた男だ。今一縷が目を覚まして襲いかかったとしても止めはしない。
「でも だーいじょうぶ!避難坑の扉は無事。其処から外に出られる様になってるから」
「開くかどうかは分かんないけどね。まぁ其れは何とかして貰って 其の先は ―
にやっと笑った。だが此の男は何時の時も本心から笑って等いない。鋭い目には陰謀を秘めている。
「見てのお楽しみ~♪ってね」
「ああ、そうだ。弐弧たんは見た事あるかな?  ― 
続けられた男の言葉に弐弧の目は険悪に細まり 無視を決め込んでトンネルに向かう。あの男の苛立つ話を聞き続ける苦行に比べたら トンネルに潜む脅威の方がまだマシだ。
「そうそう、早く行かないとおっかないオジサン達が来ちゃうよ~♪」
闇の中に消えて行く二人に向かって男は独りごちた。勿論
何時までも上司への怨恨を持ち続けている訳では無い。そう 一寸した余興だ。
― 少しくらい面白味がないとね
悪巧みの成功を受けて悦に入った顔で帽子に手をかけた 刹那
「あらあら 悪いコね」
男の顔に緊張が走りふつふつと汗が吹き出す。其の張り付いた笑みもが強張った。
「 ― 葵睡(あおね)さん」
緩いウェーブのかかった長い黒髪の女が背後に立っていた。目を奪われる美貌と肢体であったが 男は悪魔でも見る様な顔付になっていた。
彌廟葵睡(みたまや あおね)と言う名の此の女は 不便な便利屋だ。
蒼蓮会も時折其の情報を買う事がある。連絡は常に向こう側からの一方通行で 何時何処に誰の前に現れるのか予測もつかず 情報の対価は此の女次第ときている。上層部にも広く顔の知れた女だ。
「怖いお人に見られたなぁ」
「もしや ― 姫羅木(ひめらぎ)殿 めっちゃ御立腹されてたりします?」
「あら こんな最果てエリアの守備が疎かになってたって誰も気にしてやしないわ」
葵睡は美しい顔でにっこりと笑いかける。
「うん … そうですよね」
最果てのエリアリーダーである男は哀しげな笑みで応えた。


暗闇に一歩足を踏み入れただけで 真夏の陽光で火照った体が瞬時に冷まされる。トンネルの中は凍り付く程寒いのに、吐き出す息は白くもない。さしもの一縷の体温も掻き消されてしまう。線路は果てしなく続いている。何処へ誘おうと言うのか。男の話を信じるならば 落石があり此の先に出口はない。だが外へ出る扉がある ― 其れは何となく「感じて」いた。但し 其処まで辿り着く事が出来たのなら。
暗闇でさえ弐弧の視界を遮る事は出来ない。
線路は途中から地面ごと陥没していて、深い穴には紫と黒のヘドロが溜まっていた。湿り気のあるヘドロの塊の様なものが天井を埋め尽くし 所々から密集した細い根の様なものが長く垂れ下がっている。壁に塗りたくられたヘドロには白い楕円形の卵の様なものが幾つもぼこぼこと浮き出していて 其処から「何か」が産まれ出でそうな不気味さがあった。
足が動かない。
冷えた体に汗が流れる感覚だけを感じている。
大気は重く空気は薄かったが 其れ以上に 迫り来る命の危険を体が感じ取って息が苦しい。息を殺し、気配を消そうとも 此の相手には通じない。
闇の中に紅い光が灯り 弐弧の肩に鋭い爪が食い込んだ。
体を引き裂く音と共に、スキール音の様な凄まじい苦痛の絶叫が弐弧の背後で上がった。
背が軽くなった。哭泣の金切り声はまだ続いている。
「一縷!」
紅焰を上げ 一縷が黒い化け物をバラバラに引き裂いている。おぞましい光景であった。黒い化け物は其処彼処にうねり 長い首の先にある、骸に黒い皮が張り付いただけの巨大な女の顔が髪を振り乱し 乱雑に並んだ醜い歯を打ち鳴らして喰らい付きに来る。闇の中に白い歯だけが浮き上がって見える。目は二つの空洞であった。躰は背骨だけで肉はざわざわと蠢く蟲と黒いヘドロの様な物で出来ている。紫と白の入り交じった無数の卵のような物を抱き、手足はなく蛇の様に長い躰がヘドロの中から次から次へと沸き出でてくる。
耳を劈く狂乱の叫び声がトンネル内に響き渡った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み