第13話 少年の名は

文字数 2,084文字

確実に咎めを受けるであろうアキの身の上も心配だが ― 困った事になった。
弐弧は今度こそしっかりと扉の施錠を確認してから居間に戻った。
一彦 一生 宗一 ―
難解な姓をつける割に名は在り来たりなものばかりだ。
万一此の少年に名が無い時の為に 候補名が幾つか記載されている。
ベッドの脇まで行くと、膝をついて少年の顔を見る。どの名前も似合わないな、と思った。
姓名を管理している職員は此奴に「一」を付けたいらしい。
此の学院で名付けられた生徒は 必ず数を表す字の入った名が付けられている。
悪趣味だよな。皆が口を揃えて言う。
「良いのか、起きないと勝手に名前付けるぞ」
少年の長い睫はぴくりとも動かない。青白い顔で死人の様に眠っている。
もう何度目かになる物憂い溜息を吐き出し 弐弧は候補名の項目に視線を落とした。


三日後も少年が目覚める事は無かった。そんな気がしていたから落胆もない。
もう夜に歯を打ち鳴らす事も無い。ただ屍の如く横たわっている。
弐弧は翌日から痛む足を庇いながら登校していた。申請の為に頭を下げ 判を求めて走り回りたくない。
アキは案の定届けを出しておらず 三日に渡り罰を受けていた。担当教諭はアキの悪い癖を良く分かっているので 清掃と職員の手伝いをさせる位のものだった。言われずともいつもアキが率先してやっている事だ。名目上だけで罰にもなっていない。アキについては一先ず安心した。

夕刻。寮に戻った弐弧の足は、自然と少年が寝ているベッドへと向けられた。今日も起きそうに無い。
名前か ―
弐弧は暫く申請用紙と睨み合っていたが テーブルに転がっていたボールペンを手にすると少年の名を書き付けた。
蒼鷹 一縷(いちる)
自分も初っ端から難解な漢字を名に入れられ 空で書けるように成る迄随分苦労させられた。
いつまでも寝ているからだ。弐弧は意地の悪い笑みで少年の方を見遣った。
紙を封筒に戻し 幾らか晴れた気分で寮の一階にある事務所に向った。


其れから程無くして 再び困った事態に直面した。
代筆がばれる事なく、此の少年の申請が通ったのは幸いだったのだが そうなれば当然通学する事となる。
入学と入寮にあたっての説明を聞かねばならないのだが 其れが五日後に迫っている。
少年はと言うと 相も変わらずベッドに横たわった儘身動ぎ一つしない。
此の儘ではアキの言った様に 何れ管理官が少年を連れに来る事になるだろう。
気は焦るのだが 良い考えも浮かばず 少年を見ても溜息を吐く事しか出来ないでいた。
期限が残す三日となった夕刻の事だった。
いつもの様に制服のポケットから鍵を取り出し 鍵穴に差し込んで回したのだが 取っ手を引くと扉が開かない。如何した訳か「鍵がかかった」のだ。
真逆 ―
少年が目を覚まして出て行ったのか。弐弧は慌ててもう一度鍵を差し込んだ。鍵を回すより早く 扉は内側から開いた。
「弐弧 お前また鍵かけ忘れてたぞ」
弐弧の部屋からアキが出て来た。予期せぬ出来事に、咄嗟に言葉が出て来ない。アキはまるで悪びれもせず、いつもの笑顔で玄関に立っている。勝手に上がり込んでどう言うつもりだ、と怒るべき所だろうが
「ああ うっかりしてた。悪い」
弐弧の口から出たのはそんな謝罪の言葉だった。黙っていろ、と「自分」が言っている。
鍵を閉め忘れた、と言う事は絶対に無い。少年の姿をした化け物を部屋に残して出て来ているのだ。
戸締まりには慎重になる。だとするなら 一体どう言う事になるのか ―
学級委員長だからと言ってクラスメイトの寮の合い鍵を持っている、等という事が有り得るのか。
真逆。幾ら何でも其れはないだろう。そんな事をしたらプライバシーの問題でとっくに騒ぎになっている。幾ら学院寮とは言っても監獄では無いのだ。生徒は収監されている罪人では無い。
「彼奴 まだ寝てるんだな
「様子見に来たんだけどさ 全然起きねーじゃん
「ほんとに大丈夫かよ」
心がざわつく。
勝手に侵入しただけでは無い。何かがおかしいと感じているが まだ其の正体を掴めない。
「ああ」
「今朝はちょっと起きてたんだけどな
「まだ具合悪いみたいでさ」
此処に来てから起きたのはあの一夜限りであったが 弐弧の口はしれっと噓を吐いた。
「そっか。なら良いんだけどよ」
「勝手に入って悪かったな。何か心配になっちまってさ」
恥ずかしそうに頭を搔いて侘びる。
「ほんと 御免!悪かった!」
両手を合わせて頭を下げる。
いつものアキだ。
お節介で思い立ったら即行動に移し 其れで失敗する事も多いが、失敗は失敗と素直に認め 反対に相手が気遣ってしまう程謝罪して来る。日頃のアキの行いも功を奏し 其の真摯な態度に誰もが許してしまう。だが
今回の事は本当にただのお節介だろうか、と言う疑念が浮かんでいた。
口にはしない。気にするな、と言ってのけている。
弐弧は自身に任せているが 今は何も知らない振りをしておけ ― どうもそう言う事らしいのだ。
またアキのお節介が始まった ― 単純にそう思えたらどんなに楽だろうか。だが 釈然としていない自分が居る。
アキが出て行った後も 捉え所の無い漠然とした不安が消える事はなかった。


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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

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