第34話 蜘蛛男

文字数 2,094文字

何の変哲も無い 何時もの帰り道。
あれが「映像(ヴィジョン)」だとするなら ― 原付で走っている時に起こる筈だ。
厄介な事に
出来損ないの「予知」は其れが何時、何処で起こるのかを教えてくれない。
自身の能力は確かに甜伽の言う通り 目下の所大した役には立っていない。
化け物に襲われれば 一縷を護るどころか自分の身さえも護りきれない。
考えれば考える程気が滅入ってきて 思考を切り替えた途端 教室に忘れ物をして来た事を思い出した。
教室の掃除と共にさぼっていたと見なされた分の授業が宿題となって出された。
机に放置した儘だ。放って置いて明日また怒られる事になったとしても 別段何とも思わないのだが ―
何となく取りに戻ろうと言う気になった。
街を外れると屋敷までの道は殆ど車が通らない。森に差し掛かれば一切なくなる。いつもなら此の時間でも痛いくらいの照射を浴びせて来る太陽も 吐き出される様に流れ込んで来た黒雲に覆われて辺りは既に薄暗い。自身のヘッドライト以外に灯りはないが 確認の為に後方に軽く顔を向けUターンしようとした 刹那
其れ迄何も無かった前方の空間に突如として黒い影が現れた。
気付いた時には既に遅く 影と衝突し 固い地面に叩き付けられると見えない力に引き摺られる様に道路を滑っていった。
「… 痛った」
全身が痛過ぎて怪我の度合いが分からない。だが そんな事よりも
「何か」をはねてしまった。
どうにか上体だけでも起こすと、辺りを見回す。
灯りはなくとも視界は変わらない。辺りは薄暗がりの中にひっそりと静まり返っていた。
道路に原付が倒れている。其れだけだ。
誰もいない、何もない。
何にぶつかったと言うのか。無意識に手がヘルメットを外しに掛かる。頭に怪我をした訳では無いが 目を開けていられない程の強い目眩がする。
「 …
じっとりと重苦しい大気の中に キイイィンと耳鳴りの様な音がして頭が痛んだ。
ピシ と微かな音がした。頭を押さえた右手の甲から血が弾け飛んだ。
「… っ!!」
反射的に手を押さえた途端 がら空きになった顔に同じ様に細い血の線が入った。
僅かに目は逸れたが

駄目だ 其処から動くな  音を立てるな

自身の声がする。
弐弧は血の滴が落ちない様に右手の傷口を左手で覆い隠して体に押し付け 動きを止めた。
倒れた原付の横に何時の間にか黒い影が立っていた。
前屈みの姿勢から長い上体をゆらりと起こす。二メートルはあろうか。
牙の並んだ口は顔を縦に裂いて 殆ど頭髪のない頭部と顔に濁った紅い眼球が人の目の数以上についている。
化け物の顔が真っ二つに裂けたかの様に口が大きく開いた。顔が口だけになると またあのキィィンと言う耳鳴り音がした。
頭が割れそうだ。耳を塞ぎたい衝動に駆られたが、歯を食い縛って耐えた。
動いてはいけない。
化け物はまた前屈みの姿勢になり 先端に錐状の鋭い爪がある節くれ立った蜘蛛の足の様な指を持ち上げると カシャカシャと奇妙に動かした。
ピシ と空間に小さな亀裂が入った様な微かな音と共に 咄嗟に目を庇った腕が幾筋も切られて血を撒き散らした。
「っ … !」
声を飲み込む。
剃刀の刃が飛んで来たかの様に、鋭利な切れ目から流れる血でシャツが紅く染まってゆく。
無数の紅い眼球のついた頭が首を傾げる様な仕草をした。弐弧の姿が見えないのか。
襲って来る気配はない。
だが 動いたら終わりだ。

如何すれば良い?
息を殺して此処に座り 此の化け物が何処かに行ってくれる事を願って 唯じっと待つしかないのか?

不意に 静寂を破ってけたたましい爆音が近付いて来た。
こっちには化け物が ― 
乗り手に注意を喚起するよりも早く 蜘蛛の化け物は猛スピードで突進して来た大型のオートバイに衝突され 弐弧が其の衝撃波に目を瞑った後視界から消えていた。オートバイは派手に部品と火花を撒き散らしながら道路を滑り ガードレールに激突すると自らを爆破して止まった。

「此れってさー
「絶対お前に嵌められたよな」

抑揚のない声。
濛々と黒煙を上げるオートバイを横目に弐弧に向かって歩いて来るのは

「… 慧!?」

「お前はこれ見よがしに置いてってるし」
慧は片手に持ったノートを扇ぐ様に振る。
「鬼瓦にはお前に届けねーと連帯責任だって言われるしよー」
「酷ーよな」

え   ― 

弐弧の前まで来た慧は背を向けると立ちはだかった。まるで 弐弧を何かから庇う様に。
「慧 ?
「馬鹿! 何やって …!
其の時にはもう 指を大きく広げた歪な影が 鋭利な爪で獲物を捕えて引き裂く為に上空から襲って来るところであった。

「俺らの力ってさー 自分を護る為に働くじゃん?」

嗄れた短い奇声が上がると同時に べきべきべきと粉砕される乾いた音がして 金色の双眸を光らせた巨大な狼が蜘蛛の化け物に喰らい付いて真っ二つにした。上下に分かれて道路に落ち 藻掻く化け物を更に滅茶苦茶に引き千切る。
「うわ、酷ぇ」
慧の抑揚のない声は 此の状況をまるで恐れていない。
「俺の力は 呪い返しって言われてるよ」
「攻撃されたら跳ね返す」
「つっても、どう返されるかは俺自身にも分かんねーのが難点かな」
何時もの様に あるかないかの笑みで事も無げに言う。
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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

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